第61話 番外編 ソーハの夏野菜カレー 後編

 ダンジョンの調理場にて。


「野菜は、ええと、たしかこう……」


 豆太郎に教えてもらった「猫の手」を思い出しながら、ソーハはズッキーニを切っていく。

 皮の張ったトマトはなかなか切れなくて苦戦した。


 野菜を切ったり洗ったりするのに夢中になっているソーハ。

 足場用の椅子に乗っているのを忘れてあっちの野菜を取りに行ったり、こっちの野菜を洗いに行ったりするもんだから、魔物達はずっとハラハラしていた。


 ソーハの足が椅子を超えて空を切るたび、ミニゴーレムが自分の腕の岩を操作して足場を作る。

 そうやって既に10回くらい転倒を阻止していた。

 リビングメイルは後ろで総合監修し、水の龍はトマトをかじっている。そんな状況だ。


 トマト、ズッキーニ、玉ねぎ。野菜をすべて切り終わったソーハは、玉ねぎを切った際にこぼれた涙を拭った。一見地味な作業だが、なかなか大変だった。

 いつも何気なく食べている朝昼晩のご飯だが、料理とは材料を準備するところから大変だったのだなあとしみじみと感じた。


「次は……、とりあえず全部火にかけたらいいんだよな」


 ぼっ、とソーハの人差し指に炎が灯った。

 リビングメイル、焦る。

 このままいくと出来上がるのは、スパイスを振りかけた野菜の丸焼き。


 リビングメイルは急いで戸棚からレシピ本を探した。

 手甲の金属製の指で、器用にパラパラと本をめくる。そして目的のページを指差してソーハに見せつけた。


「……! ……、……!」

「ん? どーしたお前……、おお、レシピを見つけたのか! でかしたぞ」


 ソーハはレシピを受け取って、頷きながら目を通していく。

 そしてレシピにしたがって、鍋の中でスパイスを炒め始めた。


 スパイスの粉末と油を炒めると、なんとも刺激的で食欲をそそる香りがしてきた。

 もうこれだけでも食べられる気がしてくる。


 そこに玉ねぎを入れて、飴色になるまで炒める。

 次に別のスパイス、トマトとズッキーニ、またスパイスを入れて、塩を振る。

 火で汗をかきながら、ソーハは一生懸命炒め続けた。


 リビングメイルは握り拳を握って、ことの成り行きを見守っている。

 チビゴーレムはソーハを見上げながら、自分の主の成功を祈っている。

 水の龍は2個目のトマトにいった。


「……よし! あとは水を入れて、と」


 ソーハは鍋の中に水を入れた。

 当たり前だが水を入れたことで鍋の温度は下がり、なかなか沸騰しない。

 待ちきれなくなったソーハは、火に手をかざした。


「少し温度を上げるか」

「!」


 リビングメイルが止める間もなく、鍋の下の火が「ごごおっ!」と激しさを増した。

 一般家庭で使用する火力ではない。

 このままではカレーが焦げる。ていうかその前に鍋底がなくなる。

 一刻も早く伝えなくては、ここまでのソーハの努力が水の泡だ。


 喋れないリビングメイルが、どうやってそれを伝えようか迷ったとき。


「きゅー」


 2個目のトマトを食べ終えた水の龍が、火元に近づいて口から水のブレスを吐いた。


「あ、こら! 火が消えちゃっただろ」


 ソーハは水の龍のお腹を押さえて引き剥がす。

 リビングメイルは「今だ!」とばかりに必死にジェスチャーをした。


「ん? どうした、鍋の底を指差して。……ああ、さっきのだと火力が強すぎたのか。うーん、仕方ない。めんどうだが、弱火で混ぜ続けるか」


 弱火でコトコト、ぐつぐつ、コトコト。

 丁寧に煮込まれたカレーが、ますますいい匂いを漂わせる。

 ソーハはがんばって混ぜ続けた。

 いつも料理を作ってくれる2人が、美味しそうに食べる姿を思い浮かべて。


「……よし、できた!!」

「!!」


 チビゴーレムが、リビングメイルが、全身で喜びを表現した。

 ソーハも満足そうに笑う。


「これで完成だな。……あ」


 ソーハはレシピの最後に「辛めがお好みの場合、このスパイスを適量追加」と端書きがあるのに気がついた。

 ソーハはちょっと迷った。彼自身は、カレーは甘口が好きなのだ。

 でも今日のカレーは大人の豆太郎のために作ったもの。

 なので彼は考える。ここはダンジョンの主としての度量を見せつけるべく、カレーの辛さを大人に合わせてやろう、と。


 ソーハはスパイス入れから、指定のスパイスを取り出した。


(適量、適量。こんくらいか?)


 どばっ、と。

 辛口スパイスがカレーにぶちこまれた。

 適量とは、初心者がよく引っかかる罠である。


 ここで残念なお知らせがある。

 リビングメイルとチビゴーレムは、カレー完成の喜びのダンスを踊っていたので、ソーハの凶行を見ていなかった。


 唯一見ていたのは水の龍だが──、


「きゅう?」


 小首を傾げるだけだった。


「さて! マメタローの元に届けてやるか!」


 かくして、スパイスたっっっぷりカレーが、意気揚々とデリバリーされようとしていたのだった。



 □■□■□■



「まあ、ソーハ様が」

「1人でカレーを」


 豆太郎の部屋で、レンティルと豆太郎は目を丸くして顔を見合わせた。

 ちなみにレンティルがここにいるのは、外で買ってきた湿布を豆太郎に貼ってやるためだ。


 2人の驚いた表情に、ソーハは得意満面に胸を張った。


「まあな! このくらい俺にかかれば造作もないことよ」


 ソーハは嬉しそうに、カレーを2皿に盛り分けた。緑と赤の野菜が均等に入るよう気をつけながら。


「さ、食べていいぞ。今日は俺より先に食べるのを許す」


 レンティルはまじまじとカレーを見つめた。

 焦げ目のついた野菜が美味しそうな、さらりとしたスープカレーだ。

 ちらりとソーハの背後を見る。

 ソーハの背後で、リビングメイルが両手で○印を作った。同様に、チビゴーレムも腕のかけらをつなげて小さな○印を作る。


(彼らが監修してくれたのなら、マメタロウ様に食べさせても大丈夫でしょう)


 レンティルは知らない。

 彼らの目が離れたわずかな瞬間に、ソーハがやらかしたことを。


 レンティルは一口カレーすくって、はくり、と口に入れて。


(!? 〜か、か、辛……っ!?)


 思い切り目を白黒させた。

 ソーハにバレないよう、表情筋を総動員してにっこりと微笑む。


 辛い。めちゃくちゃ辛い。

 火吹き花を丸ごとかじるより辛い。

 口から火が吹けそうだ。


(こ、これは、マメタロウ様には耐えられない……!)


 慌てて静止しようとしたが、既に遅し。

 豆太郎は大きな口を開けて、カレーを食べたところだった。


(ああ〜!!)


 レンティルは、心の中で悲鳴をあげた。

 次いで落ち着きなさい、と自分に言い聞かせる。

 まず自分が確認すべきは、豆太郎の次のリアクション。

 きっと火を吹くなり目を回して倒れるなりするだろう。


 後者なら「ギックリ腰の疲れで寝てしまった」と言い訳もきく。

 前者だとフォローが難しい。豆太郎は甘口派だったことにして切り抜けられないだろうか。

 時間にしてわずか数秒。その間に思考をフル回転させるレンティル。


 だが豆太郎がとった行動は、そのどちらでもなかった。


「ん。美味いな」


 なんと豆太郎、普通にリアクションを返したのだ。

 ソーハは分かりやすく顔を輝かせる。


「ま……まあな! 俺が作ったんだから当然だがっ」


 レンティルは驚愕した。

 もしやこの男、すごい辛党なのか。

 だが、違う。よくよく観察してみれば、額にすごい汗をかいているし、舌も若干回っていない。

 本当は、辛さのあまり後ろの水源に飛び込みたいほどだろう。

 だけど、耐えているのだ。

 自分たちに美味しいものを食べさせたかった。そんな子どもの心意気に応えるために。


 レンティルは、生まれて初めて人間をすごいと思った。


「レンティルは、どうだ?」


 レンティルは再び微笑んだ。

 人間に負けてはいられない。こちらにも、ソーハへの敬意と愛情がある。


「美味しいです、ソーハ様」


 ──そうして痩せ我慢した大人2人は、ソーハの激辛夏野菜カレーを完食したのだった。



 □■□■□■



 1時間後。

 空になったお皿を洗いに、ソーハがリビングメイル達と調理場へ戻っていく。

 その姿を見送った豆太郎とレンティルが、大きな大きな息をついた。


「……マメタロウ様。大丈夫ですか?」

「はっはっは。俺を誰だと思ってるんですか、レンティルさん。このダンジョンを踏破した勇者ですよ」


 豆太郎はそこで言葉を切って「……でも水取ってもらっていいですか……」と弱々しい声で言った。

 レンティルは思わず吹き出した。そして柔らかく目を細めて、微笑んだ。


「はい、勇者様」

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