第25話

 さて。

 ダンジョンに来訪するさまざまな人々に、ヤギミルクともやし料理をふるまうのが豆太郎の常だ。


 けれど今回は少し悩んでいた。

 きっかけは昔読んだとある童話。その童話では、クチバシの長い鳥は平たい皿だとスープが飲めず、細長い口のツボを食器として使っていたのだ。

 もちろんそれはあくまで童話フィクション。だが人間用の食器が、他の生き物の食生活に適しているのかという問題は確かに存在する。


 豆太郎は毛布にくるまって動かなくなった鳥をちらりと見た。

 人に怯えていたようだから話もできず、結局名前も聞けずじまいだ。

 先ほどのしかかられたときに少しだけ見た姿を思い出す。

 南米のオニオオハシみたいな、まるっとした大きいクチバシだった気がする。


(うーん。どの食器でもやし料理を出すのが正解だろうか)


 悩む豆太郎。それでももやし料理を食べさせることは諦めていない。


「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど、いいか?」


 思い切って食器について尋ねようと、豆太郎が口を開いた。


『ああ。分かっている。この姿についてだろう?』

「え」


 違う。

 違うが、言い出しづらい雰囲気になった。

 沈黙を肯定と判断して、大きな鳥は語りだす。


『隔世遺伝というやつでな。信じられないかもしれないが、私のご先祖には魔物と添い遂げた人間がいたらしい。以来こうして、時々魔物に変身する子どもが生まれるようになった』


 ファシェンは月に1、2回、本人の意思に関わらず魔物の姿になってしまう。

 ファシェンの家は代々、変身するようになった子どもは家に置かずに旅をさせる。

 もし普通の人に知られれば、殺されるかもしれないからだ。


『まったく。ご先祖さまのことは知らないが、ずいぶん迷惑しているよ』


 幼いころは恐怖や悲しみで胸が張り裂けそうだった。

 けれど時が経つとともにこの特異体質にも慣れ、感情を受け止められるようになった。

 そうして彼女は風の勇者となり、人々を守り、いつしかザオボーネたちという居場所もできた。だが、それによってまた新たな恐怖が彼女の中に生まれたのだ。


『変身するときはある程度予兆がある。だからその日に姿を隠すことで、今まではばれなかった。でも、今日はここに住む魔人のにあてられたらしい。制御が効かず変身してしまって、このザマだ』


 「魔人」という単語に、豆太郎がぎくりと体をこわばらせた。


『だけど、今まで強力な魔人と戦っても突然変身したことはなかった。私の身体が、だんだんと魔物に近づいていっているのかもしれない。……体だけではなく、心も』


 ファシェンは己を守るように、翼を縮めて体をおおう。


『正直、怖いよ。この姿になっているときは、感情のコントロールがうまくできない。凶暴になっている気がする。それが敵に向かうならいい。だけど、いつかそうやって仲間を傷つけたらと思うと、怖くてたまらなくなるんだ』


 こうやって変わり果てた自分の姿を見るたびに思うのだ。

 いつか自分は、ようやく見つけた居場所を、仲間を傷つけるようになるかもしれない。


 豆太郎は沈黙した。

 エルプセやレグーミネロの人生相談の時は、空気を読まずにもやしの話をしていたおっさんでも、さすがに人が魔物になりかけているという重たい話題の前でもやしを出すことはできなかった。


『少し暗い話になったな、すまない』


 ファシェンは翼を戻して、首を下に向けて座り直した。話題を変えようと周囲を見渡す。


『お前の周りで育っているそれは、植物なのか? 見たことがない種類だ』

「あ、ああ。もやしっていう植物だ」

『もやし!? 魔人が呪いに使うという、あの!?』

「どの!?」


 とんだ誤解だ。火のないところに煙は立たぬというが、火のないところにガソリンをかれて大炎上させられていた。

 ただし、その噂の原因はこの男であるということを忘れてはならない。

 ファシェンはじゃっかん後ずさりながら豆太郎を半眼で見る。


『ま、まさかお前。魔人の手下じゃないだろうな』


 魔人を感知できるファシェンは、豆太郎がただの人間の冒険者だと分かっている。

 だが、せっせと育てたもやしを見て、よもや魔人の手先なのではないかと疑い始めた。

 ちょっといきどおりながら豆太郎は説明した。


「あのな。俺はどこにでもいる庶民だし、もやしにそんな力はありません。栄養豊富で美味しいだけです」


 豆太郎はさっきテーブルに置いたもやしを手に取った。


「ちょうど今日、落花生もやしができたんだ。よかったら食べ比べしてみてくれないか?」

『呪われたりしないだろうな……』

「せんて。食器はどれがいい?」


 ここでようやく、当初の目的である食器をどうするか尋ねることができた。

 するとファシェンはフォークと平皿を希望した。

 豆太郎はどうやって食べるのか不思議に思いながら平皿によそい、フォークと一緒に渡した。


「ほい、じゃあまずは一皿目。緑豆から取れたもやし」

『食べたら魔人が出てきたりしないだろうな』

「出ない出ない」


 ファシェンは驚くことに、羽の間にフォークを挟み、こなれた仕草でもやしを刺した。そしてその奇妙な植物を眺めながら、太いクチバシを開いてぱくりと食べた。


 根菜類より柔らかく、葉物よりしっかりとしたしゃきしゃきとした食感。

 シンプルな塩胡椒がなかなか悪くない。


『ほんとうに普通の野菜だったんだな』

「分かってもらえてなによりだよ。ほい。次はこっち、落花生もやし」


 豆太郎が二皿目、茹でた落花生もやしを差し出した。

 普通のもやしよりも、胚軸と呼ばれる食べる部分がぷっくりと太い。

 そちらもクチバシを開けて、ぱくり。

 先ほどと同じ食感。それに加えて、豆の香りが鼻をつき抜けた。


『こっちのもやしは、豆の香りがするな』

「あ、やっぱり分かる? そうなんだよ! 落花生もやしは豆の風味がかなり残るんだ」


 豆太郎は嬉しそうになにかを持ってきた。

 大きな薄黄色の種である。それを指さしながら解説する。


「これ、もやしになる前の豆の状態な。こっちもかじってみるか? おんなじ風味がしておもしろいぞ」


 ファシェンは器用に翼で種をすくいあげ、ひょいと口に放り込んだ。

 確かに落花生もやしと同じ香りがする。


『驚いた。こんなに見た目が違うのに、同じ味がするんだな』

「ああ。姿形が変わっても、風味は変わらない。すごいよな」

『姿形が変わっても……』


 ファシェンは「はっ」とした。


(もしかしてこの男は、落花生もやしを私に見立てて励まそうとしているのか……!?)


 落花生が、もやしになっても同じ風味であるように。

 たとえ魔物の姿に変わっても、ファシェンの心は変わらない、と。


(……ああ。この男は、この人は)


 美女ではない、魔物の姿をした自分とまっすぐに向き合う真摯しんしさ。

 食べ物の話にまじえて、悩みに答えてくれる小粋こいきさ。


(なんて、なんて大人な男なんだ……!)


 いつものことだが、言っておこう。

 誤解である。


「じゃ、2つのもやしの食べ比べをしたところで! 『アレ』をします!」


 じゃん! と豆太郎は油を入れた鍋を見せた。


「ずばり天ぷらだ! 落花生もやしはこれが至高! 最っ高にうまいぞ~」


 ノリノリでもやし料理を始める豆太郎。

 ファシェンが思わず彼の横顔を見つめていると、ふと視線に気づいた豆太郎が顔を上げ、ばちりと目が合ってしまう。


「あ、悪い。思い切り見ちまった」

『も、もう大丈夫だ。その、お前が気にしないなら』

「そうか。そりゃ良かった」


 豆太郎がにかっと笑う。

 ファシェンの心臓が跳ねる。彼女の目には今フィルターがかかっており、豆太郎の背景にはいっぱい花が咲いていた。


「ふんふふん、栄養たっぷり落花生もやし~っ、へいっ」


 美女ファシェンの恋は、そんなロマンチックもくそもない鼻歌とともに花開いてしまったのだった。

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