53.相手を見つける前から積立

 結婚申請書は出さなくてもいいらしい。というのも、役所に登録したい人が提出する書類で、任意なのだ。事実婚で生活する夫婦なら出していないこともある。だからといって不利になることはない。


「ふーん、日本よりフランスに近いのかな」


 実際に行ったことも住んだこともないが、フランスは事実婚が多いと聞いた。書類を出さない夫婦が多いのは、日本より海外のほうだよね。たぶん……。


 曖昧な知識で感心しながら、この世界では役所はまとめ役程度だと気づいた。竜帝だが、レイモンドが行政を牛耳っているわけではない。ただ間違っていないか議論して、大丈夫だと判断したら許可を出す人なのだ。


 直訳された響きが帝だったので、偉い人と感じた。実際は役所の受付のお姉さんの方が強かったりする。


「その割に大きい家に住んでたじゃない」


 こんな感じのお屋敷! そう尋ねると……レイモンドは決まり悪そうな顔で、ぽりぽりと頬を掻いた。短い前足での仕草は、なんだか可愛い。


「あれはその……実は……」


 言い淀んだ後、覚悟を決めて言い放った。


「結婚にすごく夢を見ていたんだ。幼い頃に両親が亡くなったので、とても期待して……結婚積立をした」


「結婚積立」


 あれかな、株式投資みたいな? 置き換えながらアイカが頷くと、ほっとした顔でレイモンドは続ける。


「働き始めてすぐに積立をして、そのまま積立続けた結果……管理会社から断られた」


「え?」


「金額が高額すぎて怖いと返されて、ちょうど家が売りに出ていたので新居にいいかと……その、この頃にはもう百年以上経っていて。嫁は来ないと諦めて、老後の住居にしようと買ったんだ」


 そんな事情があったので、レイモンドはアランが勝手に住み着いても放置した。ところがアイカと出会い、惚れて結婚を意識したことで……。


「アランさんが家なき子になった、と」


 顔を引き攣らせながら、アイカは濁された部分を直球で口にした。家なき子の意味がわからず、周囲が首を傾げる。手短に説明し、うーんと唸った。


「アランさん、今はどこに住んでるの?」


「家を借りたそうだ。今まで貰った手当を貯めていたし、家賃も浮いていたから生活に困らないだろう」


 家を買うほど金があるはずだ。そう締め括られ、同情しかけた気持ちを投げ捨てるアイカ。アランは全然気の毒ではなかった。それどころか、レイモンドの家に居候して家賃を浮かせていたなんて。


 ある意味、アランらしい。全員がほぼ同時にそう思った。


「無事に家を借りられたならよかったじゃないか、ねえ」


 ブレンダが同意を求めると、トムソンは大きく尻尾を振った。


「過去の家賃を徴収した方がいいぞ。今後は新婚で金がかかる」


 レイモンドに説教を始めるトムソンの脇を、元気にブランとオレンジが走っていく。ノアールは相変わらず窓際でくつろいでいた。


「猫が一緒に住める家があるなら、私が引っ越すのかな」


「アイカが引っ越すなら、私は前の家に戻ろうかね。トムソンと住むなら森のほうが楽だし」


 今後の住居事情で盛り上がるが、最終的な結論は持ち越しになった。

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