23.野生か食用か、そこは問題じゃない

 茂みがごそっと音を立てた。アイカは目を凝らすが、都会人の視力など当てにならない。真っ暗で何も見えなかった。ブレンダの家は森に囲まれ、外灯がない。急に怖くなった。


 腕の中のオレンジは、爪こそ立てないが「フシャーッ」「ア゛オォオオ!」と威嚇を放つ。視線が一点に集中しているので、その茂みに何かいるのだろう。熊や猪なら、目を逸らさずゆっくりバックする。いや、もし動物姿なら言葉が通じるんだっけ。


 アイカの頭は大混乱で、さまざまな知識が浮かんでは消えた。その中で一際派手に流れたのは、森に一人で入らないの注意だった。直後に、猫以上の大きさの虫を見たら全力で逃げること、も思い浮かぶ。虫、じゃないよね?


 心配になりながらじりじりと後ずさるアイカは、茂みから目が離せなかった。


「アイカっ! 早く逃げるんだよ!!」


 裏口ならぬ、窓を全開にしたブレンダが叫ぶ。声を振り返ったアイカは、全力で走った。後ろでガサガサと音がするが無視! 窓枠へオレンジを放り投げ、自らも飛びついた。


 ブレンダの腕がアイカを掴んだが、すぐに右手が離される。左手だけでアイカを支えるブレンダは、何かを叩いているようだった。バチンと音を立てて振り払ったブレンダが、両腕でアイカを引っ張り込む。乱暴に窓を閉めた。


 何かがぶつかる音がしたものの、すぐに静かになる。ほっとしたアイカは、涙ぐんでいた。


「怖かったぁ」


「全く、仕方のない子だよ。だから家を出てはダメだと教えたのに」


 ブレンダに泣きついたアイカは、少しすると落ち着いてきた。途端に自分の振る舞いが恥ずかしくなる。いい年齢なのに、子どもみたいだった。反省する彼女に、ブレンダは窓を示す。


「ほら、あれに襲われるところだったんだ」


 あれ、と表現されたのは窓にへばりつく巨大なカブトムシだ。艶々した硬い外装を持ち、立派なツノも生えている。その上、大きいので怖い。力がありそうだし、窓にくっつくと腹だけ見えて余計に気味が悪かった。


「うわ、気持ち悪い」


「齧られたら、ニンゲンの細い腕なんか一瞬だよ。分かったら、二度と夜に外へ出ないこと。いいね?」


 こくこくと必死に頷いた。あれに襲われて貪り食われるのは、ホラー映画展開だ。そんなのは絶対にごめんだった。


「まあ、捕まえたらそれなりに美味いんだけどね」


 聞き捨てならないセリフに、嫌な予感が過ぎる。これは聞いてはいけない部類の話だろう。そう思うのに、怖いもの見たさに近い感覚で口を開いた。


「美味しい、の?」


「ああ、こないだ食べただろ。シチューの肉に使ったからね」


 大変失礼だと知りながら、アイカは嘔吐いた。カブトムシを食べてしまった? シチューに入ってたから、色や味は曖昧だけど。鶏肉に近い食感だった気がする。思い出すたびに肩が震える。


 そんなアイカに、ブレンダは慰めを口にした。


「安心していいよ、野生のじゃなくて食用に育てられた虫だからね」


 そういう問題じゃない。伝えようとしても上手く表現できず、アイカは鼻を啜りながら諦めた。しばらく肉に見える物は口にしないようにしよう。そう心に決めながら、まだカブトムシが張り付く窓から目を逸らした。

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