第10話こうして彼は初めて自分で部下を選んだ(メレナーデ)
メレナーデは、ユアの前に現れなくなった。上に報告すると言ったので、さすがにあきらめたのかもしれない。
「今回は疲れたなぁ。本部でも敵襲におびえるって何なんだよ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、リッテルは本部での最後の一日を満喫していた。明日には、再び戦場に戻るのだ。清潔な寝床や水を潤沢に使えるシャワーとは、少しの間だけお別れである。再会できる日を楽しみにしながら、命のやり取りをする仕事に精を出さなければならない。
「風俗にはいかなかったようだが、そこに未練はないのか?」
昼間からとんでもない発言をするファレジだが、そんなことを咎めるような軍関係者はいない。男社会の軍というのは、基本的に思春期男子程度の猥談に寛容である。
「風俗には行かないって。俺って、子供の面倒を見ていると性欲がどんどんなくなっていくんだよな。教師の研修時代は恋人が欲しいとも思わなくなってたし。軍に入ったら、性欲も少しは戻って来たけど」
ファレジは、驚いた顔をしていた。
それなりの期間を共に過ごした年上の仲間が、これほど驚いているのを見るのはリッテルにとっては初めてのことだった。
「それは大丈夫なのか。ユアの面倒は長く続くぞ。自分の恋愛や結婚を台無しになりそうならば、今からでもハデア隊長に掛け合った方がいい」
年上のファレジには、リッテルに人生を台無しにするなと言った。婚期を逃して独り身の人生が決定している男の忠告だったのかもしれない。
リッテルは、少しばかり気恥ずかしくなった。他人に人生の心配をされるなど初めてで、ファレジの言葉に遠方に住む両親の姿を思い出したせいもあった。
「ご心配なく。ファレジの旦那に言われるまでもなく覚悟はしているし、次に付き合った女とは土下座してでも結婚してもらうって決めているから」
リッテルとしては本気の言葉だったのが、ファレジは可哀そうなものを見るような目をしていた。もしかしたら、そもそも次の恋人が出来ないと思われているのかもしれない。
「あのな、性欲がなくなっても恋愛はできるの!純愛って言葉が世の中にはあるの!!」
純愛の末に嫁と結ばれるとリッテルは宣言するが、ファレジの反応は芳しくはない。きっと純愛というものが存在しないと思っているのだろう。
男性の軍人の悪い面だとリッテルは憤る。彼らは恋愛に関する思考回路が下半身に直結していることも多くて、純愛など想像上の産物だと考えているのだ。
「結婚までキスもしないような関係もあるんだって。バージンロードで初めてキスをするんだよ」
純愛についてぶつぶつと呟き続けるリッテルは、なかなかに気持ち悪いものがあった。おかげで廊下を歩いていただけなのに、リッテルとファレジは他の軍人たちから避けられてしまっている。
「旦那も他の奴らも純愛を舐めているんだ。運命の男と女が少しずつ信頼と愛情を深めていく結婚は絶対にあって、その二人は死が二人を分かつまで一緒に暮らすんだからな」
リッテルの長々とした力説を聞き流しながら、ファレジは昼食を何にするのかを考えていた。人には何か譲れない事があるが、リッテルの場合はそれが純愛なのだろう。
もしかしたら、ユアの教育についてもそれが反映されているのだろうか。そんなことが頭に浮かんだが、ファレジは頭を振った。教員免許を持った人間が、偏った思想を子供に押し付けるわけがない。それにユアは、年頃の男子として健全に成長している。
なにせ、この間は若い軍人たちに卑猥な絵を見せてもらっていた。少しばかり理解が追いついていないようだったが、男の子はあのように性を学んでいくのだ。やはり、リッテルは過保護すぎる。
子供の教育に関して古い考えを持っているファレジは、ユアが健全に育っていると内心で喜んだ。
ちなみに十四歳のユアが大人に卑猥な絵を無理に見せられたら、親に性的虐待で訴えられてもおかしくはないのが現代の価値観である。ファレジの教育方針は、現代のものよりもかなり古いところで止まっている。
「リッテル、ファレジ。ちょっと良いか」
ユアに声をかけられた二人は、背筋を伸ばす。人の眼があるところでは、ユアは自分たちの分隊長である。それ相応の態度で接しなければならない。
「メレナーデのことで言いたいことがある」
リッテルとファレジは「ついに接近禁止の命令が出されたのか」と身構えた。彼女の存在によって、ユアたちの精神と肉体を休める時間が阻害されている。
これは、かなりの問題だった。
戦場から一時的にでも離れたのならば、兵士たちは休むことが任務となる。それを過剰な行動で阻害するのは規律を乱していると捉えられてもおかしくはない。
「ハデア隊長から、メレナーデを部下にしてはどうだと打診があった」
ユアの言葉に、リッテルとファレジは言葉を失った。メレナーデの暴走は、とてもではないが制御できるものではない。部隊にメレナーデを入れても、害悪にしかならないであろう。
「ハデア隊長は、どうしてそんなことを言ったんだ……」
リッテルには、信じられないとばかりに呟いた。ハデアは、リッテルのことを自分ための武器だとしか思っていない。だが、だからこそユアの活動を邪魔するような提案をするとは思わなかった。
「理由は分からないが、決定権は僕にあると言ってくれた」
これは、初めてのことだった。
現在の部下であるリッテルとファレジは、ユアが分隊長になる前からの知り合いである。そして、双方ともにユアの保護者的な立ち位置にいる人物でもあった。ユアが部下の選択権を握ったのは初めてのことだ。
「分隊長的には、メレナーデは「なし」ですよね。裸で男風呂に入ってくるような痴女ですよ。あんなのと一緒に戦える気がしませんって」
リッテルの言葉に、ファレジも深く頷く。
「だといっても、三人では限界が出てきたのも確かだ。ファレジは回復の魔法使いだから、実質戦うのは僕とリッテルだけ。しかも、僕たち二人が戦っていればファレジを守ることはできない。誰かを分隊に入れるのは、必須事項だ」
ユアの言葉に、リッテルも黙るしかない。ユアの分隊が人手不足であることは、火を見るに明らかだ。一日の活動時間に制限があるユアのこともあり、部下を増やすことに対してはリッテルも異論がない。しかし、メレナーデが信用できるかどうかが問題なのだ。
「僕は、メレナーデを分隊に入れても良いと思っている。彼女の魔法は、遠距離あるいは中距離に秀でた魔法だと聞いている。僕たちの分隊には、必要な人材だ」
ファレジは、大きくため息をついた。
「結局のところは、メレナーデを分隊にいれるしかないということか。まったく、ハデア隊長は選択権を与えると言っておいて」
呆れたと言いたげのファレジだったが、さすがにそれ以上の上司の批評はしなかった。ファレジはハデア隊長と年齢差こそあるが同郷であり、彼とは長年の友人でもある。
それでもハデアの方が階級が上なので、年下ばかりが集まるユアの分隊ではファレジは出来る限り隊長についての言及を避けていた。下手のことを言って、ハデアの隊長としての信頼と信用が落ちることを避けていたのだ。
「僕は、メレナーデを部下にしても良いと思っている。ただし、これは僕自身の選択だ」
ユアの発言に、リッテルとファレジは驚いた。
「本気なんですか。そりゃあ、人材的には優秀かもしれないけど……」
人格的には大問題である。ユアと出会う以前には自分の分隊を率いていたエリートだったらしいが、今は行ってはいけない方向に大暴走している。
「僕の分隊……部下に求められるのは、一つだけだ。僕のために死ぬことが出来るかどうか。それだけが、部下に求めるもの」
お前たちはできるのだろう、とユアは無言で問いかける。
リッテルとファレジは、当然だとばかりに頷いた。この場において、ユアのために命を懸けられない人間はいない。では、メレナーデはどうなのであろうか。
残念ながら、彼女もユアのために命を懸けられる人間であろう。ユアだって、それは分かっている。
そして、今のところメレナーデ以外にユアのために命をかけられるような人間はいなかった。英雄のユアに心酔している人間はいるだろうが、ユア本人のために命を捨てられる人間は今のところいない。
「仕方がないことか。まぁ、たしかにメレナーデしかいないですね。ただし、メレナーデから分隊長が変な影響を受けないようにしないと……」
リッテルは、ぶつぶつと独り言を呟きだす。ファレジも何も言わないながらも、新しく仲間になる女性に対して不安を抱いていた。
「戦場で暴走して、命を散らさないといいが……」
ファレジの心配を余所に、正式にユアの部下になったメレナーデは優秀な働きをした。そもそもが自分の分隊を率いていた人物であるので、戦闘の経験も豊富で判断力もある。さらにエリートとして教育された頭脳は本物であった。
こうして、メレナーデは男性陣二人に心配されながらも部隊に馴染んでいった。リッテルなど未だに解せないと思うのだが、ユアに「俺の慧眼も中々のものだったろう」と言われてしまえば反論できない。子供は人生において重要な選択を繰り返して成長していくのだとリッテルは自分を納得させることにした。解せないとは、未だに思っているが。
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