第45話女と女は燃え上がる


 ファレジはメレナーデを押しのけて、自分の槍でもってシデリアを薙ぎ払う。メレナーデが圧倒された病的な覇気をファレジだって感じていないわけではない。


 炎を身にまとってなお主人に勝利を捧げようとしているシデリアは、常軌を逸している。だが、このような輩をファレジは初めて見たわけでもない。


 戦場では、彼女のように頭のネジが外れた人間だっている。そして、ファレジも他者から見たら頭のネジが外れた人間であろう。


「うわぁぁ!!」


 炎に焼かれたシデリアは、叫びながらもファレジに向かってくる。


 ファレジは再び槍で彼女をいなそうとするが、炎に包まれたシデリアの手が槍を鷲掴みにした。離すものかという彼女の気概が、炎の向こう側からでも伝わってくる。


「セバッテ様のために。セバッテ様のために!!」


 シデリアは、セバッテに心酔しているらしい。ファレジはセバッテに一目見ただけだが、彼女が焦がれるような人間だとは思えなかった。


 セバッテは、戦場という無法地帯を楽しむ小悪党だ。メレナーデを犯そうとしていた時点で、それは分かった。普通ならば殺して武勲をあげようと考えるものなのに、セバッテは自分の欲望を優先したのである。


 つまりは、生粋の兵隊ではない。


 魔力を持っただけの小悪党。


「セバッテは、お前が心酔するような兵ではないだろうに」


 ファレジの憐れむような声に、シデリアは大声で答えた。


「あの人は――セバッテ様は、売られていた私を唯一買ってくれた神様なんだ!!この手袋だって、セバッテ様がくれたんだ!!誰も、私を見つけてくれなかったのに!セバッテ様だけが、私を見てくれた」


 売られていたというシデリアの言葉で、ファレジは彼女が元奴隷であると気が付いた。


 隣国では、今でも奴隷制度が残っている国がある。だが、奴隷というのは彼らの食事代などの維持費がかかることから購入するのは極一部の富裕層だけであるとも聞く。


 シデリアは力仕事には不向きな女で、魔法に関しても自爆といっていい効力のために商品としての魅力が薄い。そのため、奴隷としての価値は低かったのだろう。シデリアの扱いは、想像を絶するものだったに違いない。


 そこから救い出してくれたのがセバッテだったのだという。


 セバッテが、どういう理由でシデリアを購入したのかは分からない。けれども、どんな理由であれシデリアにはセバッテは救いの神であったのだ。


「つっーー!」


 ファレジは、槍を握る両手に燃えるような熱を感じた。シデリアの炎の熱が、槍の金属部分を伝ってファレジの掌を焼いていたのである。


 ファレジの槍は、全てが金属で出来ていた。故に、熱が伝わってきたのだ。掌は焼けていくが、ファレジは槍を離すわけにはいかなかった。


 ファレジの魔法は、あくまでも回復。


 しかも、他人には有効だが自分には恩恵がない。だからこそ、ファレジは武器を手放すわけにはいかなかった。それを捨てれば、ファレジは足手まといになってしまう。それだけは許せない。


 最年長としてのプライド。そして、ユアを守りきるという誓いのためにも、両手が燃え尽きたとしてもファレジは武器だけは離すことができない。


「退け!!」


 メレナーデの声と共に、シデリアの身体が吹き飛んだ。なにがあったのかと思えば、シデリアの炎にも脅えずに一匹の猪が彼女に突撃していた。


 猪の吹き飛ばされたシデリアは壁に叩きつけられ、炎の熱さと叩きつけられた痛みに喚く。


 メレナーデは、未だに消えないシデリアの炎に恐れを抱かなかった。


 シデリアの炎は、もはや彼女自身も包んでいる。この場で死ぬ気なのかもしれないと思う程の火柱だったが、メレナーデは油断をしなかった。


 予想がつかないのが、魔法である。


 セバッテに負けた時に、メレナーデはそれを学んだ。メレナーデは、最初こそセバッテ対して油断していた。彼が魔法を使う気配はなかったし、使えないのだろうと高をくくっていた。


 なのに、セバッテにメレナーデは負けてしまったのだ。未だにセバッテの魔法の詳しい内容は分からないし、自分の女の尊厳を破壊しようとした男を恐ろしいとも思う。


 それでも、メレナーデが軍人を止めなかったのはユアを見てしまったからだ。あの鮮烈な少年を目に映して、どうして戦うことを止められようかと思った。あの美しい少年の隣に立ちたいと強く望んだ。


 だから、恐れてなんていられない。


「うやぁぁ!」


 メレナーデは叫びながら、燃えるシデリアに剣を突き立てようとした。シデリアの息の根が完全に止まるまでは、油断ができないと思った。どんな隠し玉を抱えているのか分かったものではないのだ。


 顔が醜く焼ききれたとしても髪の全てが燃え尽きたとしても、メレナーデは炎を恐れることはない。それによって、ユアの隣に立ち続けることが出来ると言うのならば女としての魅力など安いものだ。


 メレナーデの剣が、シデリアの腹に刺さった。炎に燃える二人の女の叫び声が木霊し、ファレジはメレナーデを急いでシデリアから引き離す。火傷を負った彼女に治療を施す間だけ、メレナーデは満足げに笑っていた。


「中々の根性でだろ」


 その勝ち誇った顔に、ファレジは渋面を作る。


「生き残るのも軍人の仕事だ。私の回復があるからと言って無茶はするな」


 小言が多いなと思いながらも、それを心地よく思う自分もいることにメレナーデは気がつく。


 最初こそユアだけに憧れたが、今のメレナーデにとっては分隊の男二人も大切な仲間だ。小言でさえも相手が自分のことを思っていてくれるものだと感じられる。


 地獄の底から響くような叫び声が、ファレジとメレナーデの耳を貫いた。声の方向を見れば、そこには少女がいた。


 ユアと同じぐらいの年頃だろうか。真っ黒なワンピース姿は軍人だとは思えない様相であり、その目はどろりと淀んでいた。


「死んでないよね?ああ、死んでいたらさすがに回復はしないか……」


 少女は叫んで苦しむシデリアを蹴り飛ばした。痩せているシデリアは、少女の蹴りでも簡単に床に崩れ落ちる。


「さて、私の名前はリリゼゼ。悪夢の名前だから、覚えない方がいい」


 少女は、そのように己を語った。


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