第21話子供は歪んで育つことを望まれていた(リッテル)
一番最初にユアの暴走に反応したのは、ファレジだった。彼はユアと軍人を無理やり引き剥がし、軍人に声をかける。
「肩と足を治療する。私は自分が視認した場所しか治すことができないんだ。他に痛むところがあれば教えてくれ」
ファレジは素早く軍人に駆け寄り、治療を開始する。上着を脱がし、ズボンをまくり上げて怪我の箇所を確認し、ファレジは患部に手を触れた。
軍人は一瞬だけ痛みに顔を歪めたが、すぐに痛みは引いたらしい。ほっとした表情をしている。
「ユア……。何をやっているんだ?」
リッテルは、ユアに声をかける。
自分が傷つけた軍人が痛みで喘いでいるというのに、ユアは立っているだけだった。
軍人は足を骨折し、肩も外されていた。しかも、悲鳴があがったときにはユアは軍人の肩に触れていたのである。骨折した相手に追い打ちをかけていたのだ。
「これは、模擬戦だ。あそこまで相手を痛めつける必要はないんだ!!」
リッテルの怒鳴り声に、ユアは戸惑いの表情を浮かべる。どうしてリッテルが怒っているのかが分からないようであった。
ユアは愚かではない。むしろ、賢いぐらいである。相手には痛みがあるという事を理解しており、それを意識して普段は生活できている。
しかし、今日に限ってユアは軍人を必要以上に痛めつけたのだ。
ここが戦場ならばともかく、彼らがおこなっていたのは模擬戦である。相手を痛めつけるのが目的ではないし、ましてや殺すことは絶対にしてはならない。
「ハデア隊長が言ったから」
ユアは、ぼそりと呟いた。
その返答を予想していなかったリッテルは、言葉を失う
「ハデア隊長に従わないなら自由を奪われて、死ぬこともできなくなるから」
リッテルは、改めてユアの顔を見た。彼から表情は消えており、見ている人間をひるませるほどに冷たい雰囲気を称えている。
「ユア、こっちに来なさい」
リッテルがどうすれば良いのか分からなくなっているなかで、ユアに声をかけたのはファレジだ。彼は動かないユアの背中を軽く押して、家のなかに入るように導く。
「ユアと少し話をしてくる。少し気が立っているだけだから、心配はいらない」
怒りが込み上がってきたリッテルだが、今の状態でユアと顔を合わせ続けているわけにはいかない。
大人が子供を叱るときには、頭に血が上った状態ではいけない。子供を叱るときには「どうして怒られたのか。なにが悪かったのか」を子供自身に考えさせなければならない。そうしないと子供にとっては、叱られたという記憶しか残らないからだ。
だからこそ、ファレジがユアと共に家のなかに戻ってくれたのはありがたかった。リッテルが教師としての役割を務めるためには、頭を冷やす必要があった。
「あんたは、ユアの新しい教師なのか?」
ファレジに怪我を治療された男が尋ねてくる。三十代前半の男は、軍人として一番油が乗っている時期だろう。
身体能力は若い時代のほうが優れているが、格闘技の技の研鑽や肉体の鍛錬の結果は若い内には現れないものだ。つまり、己の肉体を知らない内はいくら若さ故の身体能力が高くても、戦力としてはいまいちだということである。
「最近のあの子の様子はどうなんだ。ちょっと前はコテンパンにしてやれたのに、最近ではこっちがギッタンギッタンにやられる始末だ。今日だって、まさか骨を折られるだなんてな」
男は、苦笑していた。
けれども、その表情はどことなく楽しそうだ。その様子から、ユアとの付き合いはそれなりにあるのだろうとリッテルは思った。
それはつまり、ユアが知り合いの骨を容赦なく折ったということである。大人でさえも躊躇するような事をユアは何の気なしにやり、それに罪悪感すらも抱いていなかった。
「……ユアは、昔からああなのかよ。知り合いの骨を折って、何が悪いのかも分からないような」
リッテルはユアと一緒に過ごすことによって、彼のことを高く評価するようになっていたのだ。自己主張が苦手だが、優秀で物覚えの良い子供だと思っている。
他者との生活にも問題なく順応することができるほどに、社会性の高さを持っていることも評価していた。
しかし、今日のユアは獣のようだった。
「それは……仕方がないところがある。あの子は、俺のことを敵だと認識しているんだ」
男の言葉に、リッテルは目を丸くした。男の軍服は、間違いなく自軍のものである。しかも、話をしてみても敵意を抱くような悪意を感じない。むしろ、子供を心配することが出来る優しさまで感じることが出来る人柄だ。
「でも、ユアとは知り合いだったんですよね……。どうして、そんなことを」
ユアと男が仲たがいしたという可能性は考えられない。男の性格から言って、子供のユアが怒ったとしても簡単に折れてくれるだろう。
「最初は、普通にユアに体術を教えていた。あの子も俺に懐いてくれたよ。ファレジには敵わなかったけどな」
男によると、ファレジはユアの父親代わりであるらしい。ユアがいないところでは、ファレジは自慢げにユアとの思い出を語ると男は言った。その様子は、まるで本物の父親のような表情なのだと。
魚釣りや木登り。子供の遊びは、全てファレジが教えたらしい。それを聞いたリッテルは、ファレジの父性を信じた。
男親は、息子に遊びを教えることを喜ぶことが多い。そうやって、自分の子供時代を息子と共に共有しているような気持になるのだ。
「そのファレジに紹介されたからな。ユアは、早々に気を許してくれた」
父親の友人に子供が懐くのは当然であり、男の表情からもユアとの蜜月が伺えた。
「そこまで仲が良かったならば、ユアは、どうしてあんなことをしたんですか……」
リッテルの言葉に、男は悲しげな顔を見せた。しかし、その顔すらも許されないのだとばかりに、軍人らしい厳しい表情を作り出す。
「ハデア隊長が、俺が敵だと言ったからだ」
その返答は、リッテルの想像を超えていた。
ユアは、ハデアの養子である。独身のハデアがユアを引き取り、特殊な環境で養育している時点で並々ならない期待を込めていることは分かっていた。けれども、ハデアが一言命令しただけで親しい人間を敵視するようになるのだろうか。
「ハデア隊長は、自分に絶対に逆らわない人形を欲しがっているんだ。その思惑によって作られたのがユアで、俺は最初からユアがどれだけハデア隊長に忠義を誓えるかを試すための道具だった」
ユアと男が過ごした一時は、全てが忠義心の試験の前準備でしかなかった。男は「自分のような存在は他にもいるのだろう」と語った。
「あんまり、ユアを怒らないでくれ」
男は、最後にそう言った。
リッテルは、いつかは自分もユアの教材になるのだろうかと思った。人間が身近な者に情を移さずに生きていくなんて無理な話である。
最初こそ無感情だったユアも、今ではリッテルに笑顔を見せるようになった。ユアは、リッテルに懐いてはいる。
けれども、その感情すらもいつかは利用されるかもしれないのだ。
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