第22話君に大人になってほしい(リッテル)



 このままでは、ユアの精神が歪むとリッテルは考えた。


元から偏っている教育方針で、ユアは育てられているのだ。ある程度の歪が出るのは予想の範囲内ではあるが、それが取り返しのつかないことになることをリッテルは恐れていた。


リッテルは、出来る限りユアに真っ直ぐに育って欲しいと願うようになっていたのだ。


 人間が幸せになる近道は、健全に育つことだとリッテルは考えている。幼いうちに人格に歪みが出来れば、その修正だけに人生が費やされることになる。


つまり、それだけ人生を楽しむ機会を失ってしまうことに繋がるのだ。


 だからこそ、ユアの精神的な成長にリッテルは心を砕くようになった。ユアという一人の人間を台無しにしないためにも。


「ユアは、同世代の子供と触れ合う機会が極端に少ない。というか、少なすぎます。今までは、どうだったんですか?」


 いつものようにユアと模擬戦をする軍人を連れてきたファレジに、リッテルはそう訪ねていた。ファレジは、その言葉を予測していたかのように困った表情を浮かべる。


「今までは……ほぼないかもな。関わるのは大人ばかりで」


 やはり、とリッテルは思った。


「家庭教師としてハデア隊長に進言するつもりです。ユアは、同世代との触れ合いが少なすぎる。ユアをどういうふうに使いたいのかは知らないけど、このままではコミュニケーション能力に支障をきたす」


 リッテルは、ユアの将来を心配していた。


 このままでは、ユアが将来的に他人との交流に問題をきたすのではないかとリッテルは懸念していたのである。


「ユアの将来については……あまり心配はしなくていいかもしれない。あと数年もすれば、ユアは実戦に投下されるはずだ。戦場で生きるようなれば、いつまで生き延びられるかは誰にも分からない」


 模擬戦をおこなうユアをファレジは眩しそうに見つめる。


「ハデア隊長がユアの教育を急いでいるのは、一刻も早く前線の出したいから。これは、ユアの教育が始まった当初から決まっていた。だからこそ、ユアの教育には色々と無理をしているし、身につけなくても良いものは出来る限り削っている」


 ユアが同年代と交流することは、ハデアにとっては削っても良い教育だったのだろう。もしかしたら、ユアを長期間は使用できないとハデアは考えているのかもしれない。


だからこそ、ユアが同年代と交流する必要はないと判断されたのだ。同年代が軍に入るころには、ユアはいない可能性が高いから。


「俺と一緒に暮らしてまで学習を急がせているのも、そういう理由なのかよ……」


 リッテルは、唇を噛みしめる。


悔しかったのだ。


 教育者として一番悔しいのは、自分が手掛けた生徒たちが他人に使い潰されることである。そして、ユアは使い潰されることが決定した人生を歩んでいる。


「ユアを学校に通わせたいと考えているんだな」


 ファレジは、リッテルの要望を読み取る。


リッテルは、自分の希望は叶わないだろうと考えた。長い時間をかけて同年代と交流させるのは労力がかかりすぎるが、結果には結びつかないと判断されるだろうと思ったからだ。


「……ハデア隊長に進言をしておく。彼にも思うところはあるだろうから、きっと叶えてくれるだろう。セリの望みでもあったからな」


 ファレジの呆気ない答えに、リッテルは毒気を抜かれた。


「そんなあっさりと」


 珍しいことにファレジは得意げな顔を見せる。幼稚な似顔絵のような表情は、意識的に作った表情であろう。


今まで年長者としての落ち着き払ったファレジしか見ていなかったリッテルは、彼の意外な茶目っ気を知った。案外、若い頃はやんちゃなな人間だったのかもしれない。



 ファレジがどんな手を使ったのかリッテルには分からなかったが、ユアは近場の小学校に短期ではあるが通学することが数ヶ月後に決定する。相変わらずリッテルとの生活は続き、ユアの模擬戦の頻度も変わることはなかった。


だが、リッテルは嬉しかった。ユアが自分の人生を生きるための第一歩だと思ったのだ。



 だが、リッテルの考えは甘すぎた。



 ユアの生育環境は、たしかに異常だ。人間を育てるというよりも兵器になりうる人形を急いで製作しているようなものだ。


 それでも、ユアにとっては日常だったのだ。


 だから、リッテルがユアの幸せのために提案したモノは、彼にとっては日常を奪うようなことでしかなかった。


 大人たちから歳に見合わない教育を受け続け、戦う人形になるために技術を身に着けて、魔法使いとしての成長を続けることを義務つけられたユアは――年相応の子供たちの中に馴染めなかった。


 リッテルは、それに気が付くべきだったのだ。


 ユアと共に住んでいて教育者としての経験があったリッテルが、一番最初に気が付くべきことだった。


 小学校に通って、数日でユアは嘔吐した。学校ではなく、自宅での嘔吐だった。


ストレス性の嘔吐であることは間違いなかった。ユアにしてみれば敵陣に等しい学校では何でもないふうを装うことが出来たが、家に帰宅したことで気が緩んだのだろう。


「どうして……ここまで我慢をしたんだ」


 トイレにしがみついて胃の中のものを吐き出すユアの背中をさすりながら、リッテルは尋ねた。その反面、ここまで悪化する前に自分を頼らなかったユアに若干の苛立ちも覚えたのも事実だ。


ユアのために尽くしたと言うのに、それに見合う信頼を得られなかったことに対して苛立ってしまった。教師失格の感情だった。


「求められたんだ……答えないと。答えないとガラクタになるんだろ」


 ユアの返答に、リッテルは息を詰まらせる。けれども、動揺を悟られるわけにはいかないので背中をなでる手は止めなかった。


教師の未熟さを子供たちは敏感に察し、それを侮ったり不安に思ったりする。だからこそ、教師は不安と動揺を隠さなければならない。


 リッテルは、見誤っていたのだ。


 ユアにとって、学校はストレスを感じるほどの異空間であったこと。


 そして、ユアは他者の期待に応えられないことに恐怖心に近いものを抱いているということ。


 ユアは、優秀な子供だ。教えたことを素直に飲み込み、年齢に見合わないこともこなして見せた。だからこそ、リッテルはユアが何を思いながら普段の課題に挑んでいるかを考えたことがなかったのだ。


 ユアにとって、日常生活は常に試験の場だったのである。大人たちが自分に寄せる期待に応えることは当たり前で、それに答えられないことは許されない失敗だと考えていたのだ。


 だからこそ、ユアは常に自分の限界を超えるまで努力をしてしまう。皮肉にも、その才能と努力は見事に噛み合った。それは、ユアの実力を押し上げる。


ユアという人形は、そうやって作られていったのである。


 けれども、物事には限度がある。


 ユアにとっては、学校に通いというのは限度を超えるほどのストレスだったのだ。年齢に見合わない教育を受けてきたユアにとって、小学校の授業は退屈で苦痛だ。そして、子供同士の会話では共通する話題もなかった。


なにより、学校で教わる道徳はユアが学んできたものとはかけ離れていた。


 大人が小学校に通わされるような屈辱と異文化の国で何でもない顔をして暮らす違和感。それらが、ユアを追い詰めていたのだ。


 ユアが普通の子供になるということは自分のエゴでしかないのだ、とリッテルは気が付いた。ユアには彼なりの経験と世界があり、学校という場所はそれとはかけ離れた場所だ。


ただの同情心で、リッテルはユアから日常を取り上げるべきではなかった。


「悪かった……悪かった、ユア」


 それからリッテルはユアの状態をハデアに報告し、学校に通うという計画はすぐに打ち切られた。リッテルは考え方を切り替えて、大人の世界に放り込まれてもユアが委縮したりせずに会話が出来るようにという教育を目指すことにする。


ユアが早期に戦場に放り込まれることが決定しているならば、同世代との出会いは大人になってからだろう。その時に会話に困らずに、友人関係を築けるならば良いと考えるようにしたのだ。


 もう一つ誓ったことがある。


 ユアを普通の子供としては扱わないということだ。特異な育てられ方をした子供に普通を求めれば、それこそ歪が産まれる。


教師になるための研修時代は子供の歪や傷にも気が付けずに、女の子を自殺に追い込んでしまった。だからこそ、次は失敗してはならない。


 リッテルは、その決意を新たにした。彼の目的はユアにいつかの女子生徒のような事をさせないこと。


そして、無事に大人に成長させること。


 それだけになった。


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