第43話最悪の敵は静かにやってくる


「おいおい、子供一人って……。ヒステお兄さんは、もしかして舐められているのかな」


 不服そうなヒステの表情は、どこか道化師じみている。実力が拮抗している相手を前にしながらも余裕のある口調を崩さないのは自信の表れなのだろうか。それとも、こちらを挑発しているのか。


 リッテルと似たようなタイプかもしれない、とユアは考えた。


 飄々とした雰囲気は似通っているが、リッテルの場合は周囲と早く打ち解けるために術でやっている節がある。そのせいなのだろうか。リッテルは、子供だろうが大人だろうが誰とでも打ち解けるのが早い。


「ヒステお兄さんの移動の魔法も利便性高いし、剣の腕も結構なものだと思うんだけどな。まぁ、いいや。この戦いが終わったら、デートに行く約束をしているし」


 ヒステの姿が消えた。影に消えたのではない。音もなく素早く移動し、気が付けばユアの目の前にいたのだ。


 彼の軽い口調は、油断を誘うものだったらしい。自分の性格までも武器にしてしまうヒステに、ユアの笑みが深くなる。


 あまり戦ったことのないタイプの敵だった。そして、同時にあまり軍人らしさを感じない。勘のようなものだが、ヒステの動きには軍人にありがちな癖がないように思えるのだ。


 軍に入隊すれば、大抵の者は武器の扱い方をそこで初めて学ぶ。そのために同じ師匠についたかのように、動きが似たものになることが多いのである。


 軍人でないとしたら、金持ちの護衛などの経験者だろうか。セバッテの仲間たちは全員が元軍人であると考えていたが、多様な経歴の持ち主が集まっているようだ。


 ヒステの剣とユアの槍が、互いの体重をかけあって重なり合う。見た目だけならば、痩身のユアが不利な勝負である。ユアにも、それは分かっていた。体重を増やせないのは、ユアの弱点だ。


 ヒステが、ユアの槍を彼の体こそ薙ぎ払った。空中に舞ったユアの身体は、不自然な体勢で地面に着地する。その動きに、ヒステは思わず口笛を吹く。


「あんな体勢で着地だなんて。調べた通りみたいだね」


 ユアは、うすら寒いものを感じた。


 ヒステの言葉は、まるでユアのことをよく知っているような口ぶりだった。調べたと言っていたので、もしかしたら生まれ持ったユアの弱点すらも知られているのかもしれない。


 ユアの四肢が麻痺しているということは、最低限の人間にしか明かされていないはずだ。それでも油断はできない。


「……リッテルと離れたのは失敗だったか」


 だが、仕方がない。


 ヒステが足止めならば、ファレジたちが敵の猛攻にさらされている可能性がある。部下たちはユアのことを第一に考えてくれているようだが、隊長の気概が自分にもあるのだ。


 隊長として分隊を守り、任務を完遂しなければならない。危険にさらされる覚悟や死ぬ覚悟は、とっくの昔に出来ている。


 それこそ、戦場に立つ前から。


 ユアとヒステは、槍と剣を使って切り結ぶ。何度となくヒステは影に潜って姿を消すが、ユアはその度に敵を見つけ出した。


 ヒステは、ユアの魔力切れを狙っているのだろうか。だとすれば、ユアの魔力量までは知らないのかもしれない。


 ユアの魔力は規格外であり、枯渇を狙うのは非現実的である。それでも早々に決着を付けておくべきだろう。


 ユアは、リッテルが置いていったアタッシュケースを足で蹴って開けた。


 そこから現れたのは、精巧に作られた男女の人形である。雪のように白い肌に、感情を感じられない硝子の瞳。一目で高級品と分かる人形は、それぞれ鋭いナイフを握っている。


「お前の魔法の弱点は、もう見切った」


 ユアは、二体の人形を走らせる。人間以上の素早い人間の動きだった。それなりの距離があったのにも関わらず、ヒステの瞬き一つ間に人形たちは彼の眼前に迫っていた。


 そのナイフで自分を刺すだろうと予測したヒステは影の中に逃げようとするが、人形たちは予想外の動きにでた。ヒステの両手を掴み、尋常ならざる力で彼を地面に縫い留めたのである。


「お前は、僕と組み合っているときは影から逃げていない。その魔法だったら、すぐに逃げて翻弄した方がずっと効果的なのに。だとしたら、相手に触れられている間は――。いいや、敵意を持った相手あるいは事前に設定した相手以外に触れられている間は魔法が発動できないというところか。寮に出た時は、シデリアという女と共に撤退していたしな」


 ヒステは、余裕の表情を初めて崩した。


 くやしそうに顔を歪め、ユアを睨んでいる。今までユアを子供だと思って侮っていたが、その実力を前にして自分の間違いに気が付いたからだろう。


 ヒステは、油断するべきではなかったのだ。


 ユアを子供だと思ってはいけなかったのだ。


 彼は、戦うためだけの人形なのだから。


「出来れば、そちらが僕ことについてどこまで知っているかを知りたい」


 ユアは表情を変えずに、地面に張り付けにされたヒステのわき腹を刺した。その瞬間に「ひっ。うぐ!」という痛みに耐える声がユアの耳に届く。


 痛みとは無関係に生きるユアだったが、戦場において痛みに喚く人間は多く見た。その経験から鑑みるに、ヒステは痛みに弱い方のようだ。本当に痛みに強い人間は、これぐらいの怪我ならば臆することなく反抗しようとする。


 ユアは刺さったままの槍の先をぐりぐりと回し、わざとヒステ傷口を広げた。「やめっ。いつっ!!いつぅう!!」面白いほど上がる悲鳴から、ヒステがかなりの痛みを感じていることをユアは察する。


「……もういいか」


 痛みというのは傷がある内は持続するものらしいので、こちらの質問に答えてくれる程度はダメージを与えられたとユアは判断した。


 穿った腹から、ユアは槍を抜き取る。今まで以上に血液が服に滲んでいき、それと正反対にヒステの顔色は青くなっていった。


「お前たちは、僕の何をどこまで知っている。正直に言わないと、今度は役に立たない喉を潰すぞ」


 喉ぼとけが浮き出た首が、ユアの言葉を聞いたせいなのかゆっくりと動いた。息を飲んだのか唾を飲み込んだのかは分からないが、ユアに恐れをなしているのは間違いない。


「本当は、か……体が麻痺して動かないって。施設の元職員が言っていたんだよ。知らない。それ以上は知らない!!」


 ユアは、息を吐く。


 施設には長年世話になり、職員にも迷惑をかけた。人の手を借りなければ生きていけない状態だったユアに関わった職員は、かなり多かったはずである。


 施設を出た後のユアの行方は職員には知らされていないはずだが、ヒステは姿絵でも見せて自分の弱点を聞き出したのであろう。


「施設を嗅ぎつけられたのか……」


 施設の職員には、とても世話になった。動けるようになったからこそ、ユアは四肢が麻痺した自分の面倒を見る大変さを知ることになる。


 食事も入浴すらも一人では出来ないユアは、職員たちからしたら負担にしかならなかったであろう。いくら仕事とはいえども自分の面倒を見てくれた職員たちには、成長したからこそ感謝していた。


「ヒステ。その職員に乱暴はしたのか?」


 ユアは、寂しそうに微笑んだ。


 彼は、施設の元職員が生きてはいないことを察していた。戦う人間の野蛮さは、ユアが身をもって知っている。何故ならば、自分も残酷で野蛮であるからだ。


「らっ、乱暴なんてするものか!たすけっ、たすけてくれ!!」


 ヒステの命乞いを信じないユアは、宣言通りに柔らかそうな喉を狙った。しかし、槍がヒステに届く前に、ユアの身体から力が抜ける。


 自分の手から零れ落ちた槍を視線だけで追って、魔法が無力化されたのだとユアは理解した。


「あ……。嘘だろ」


 ユアの身体が、地面に転がった。受け身など取らずに倒れたユアの身体は、まるで糸の切れたマリオネットの人形のようだ。


「なにが、発動条件だったんだ……。なにが……」


 メレナーデに暴行を働こうとしたときには、魔法の無力化はユアには効かなかった。そのことをセバッテは不思議がっていたから、なにかしらの魔法の発動条件に引っかからなかったはずだ。なのに、今は引っかかった。


「よぅ、美人さん。戦場での活躍は聞いてるぜ。伸ばした黒髪は切ったんだな。もったいねぇ」


 いつの間にかユアの後ろに、セバッテが立っていた。にやにやと下品な笑みを浮かべたセバッテは、倒れたユアの髪を乱暴に掴む。


 ぐったりとしたユアの身体が持ち上がり、力の入っていない手足がぶらん揺れた。


「捕虜にされてからは退屈でな。お前が伸ばしているっていう髪をこうやって掴んでやりたかったんだよ。ほら、良い眺めだ」


 セバッテとユアの視線が、しばしの間だけかち合う。ユアの瞳は未だに闘志を宿しているが、その奥には不安があることをセバッテは見つけていた。


 セバッテが自らの魔法で追い詰めた人間の眼だ。魔法に自信がある人間ほど、絶望の色は濃くなる。その瞳を見ることが、セバッテにとっての愉悦だ。


「俺のあそこまで追い詰めたのは、この世界では久々だからな。あの時に約束した通りに、思う存分に犯してやる。それで、これまでないほどの屈辱を味わうってもらうからな」



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