第6話勝手に森のなかのマラソン
「私は、メレナーデ!軍に所属しているが、今は特別講師として赴任している。今日は、あなた達のたるんだ精神を叩きなおす!!」
メレナーデは一年生に向かって、そう叫んだ。校外の森に集められた生徒たちのどよめきに、授業を覗き見していたリッテルはため息をついた。
軍隊ではないのだから「たるんだ精神を叩きなおす」はないであろう。メレナーデは、授業を部下の育成と勘違いしているのだろうか。
「これは、見てないと危ないな。それにしても、事前の予定と違うことをするなよ」
痛む頭を押さえながら、リッテルは提出された書類を思い出す。特別教師は本職の教師ではないので、事前にどのような授業をするのかの予定表を提出する必要がある。
危険が伴う授業や特別講師だけでは手に負えないと判断された授業は、学園所属の教師も参加するのが決まりになっている。今回は他の教師が付き添っていない。つまり、メレナーデは偽の予定表を提出したのである。
更迭されてしまえ、とリッテルはメレナーデに念を送る。
「先生。具体的にどうやって精神を叩きなおすんですか?」
手を挙げたのは、なかなか立派な体つきをした男子生徒だった。年齢に見合っていない高い身長と鍛えられた筋肉のおかげで、二学年は上に見える。
単純に運動やスポーツが好きという筋肉の付き方はしておらず、戦うためにバランスよく肉体は鍛えられていた。リッテルの記憶によれば、カゼハヤという名の生徒だ。すでに魔力の制御は出来ており、入学前から魔法に触れていたのだろう。
「よく聞いてくれた。あなた達には、授業終了の時間まで湖を目指してもらう。無論、走ってだ」
とどのつまり、森の中を走れと言っているのだ。特に珍しい訓練ではないが、それは軍での話だ。入学したての生徒たちは、戸惑うしかない。
森の中を走るなんて、一般人は考え付かない。足元が不安定であり、怪我をしやすいからだ。どんな親だって、森や山では走るなと教えるだろう。
「これは序の口だが、今日は初日だ。これぐらいで許してやるから、走ってこい!」
メレナーデの号令が出ても、生徒たちの足は動かなかった。普通の少年少女は「走ってこい」の一言が、走り込み開始の合図だとは思わない。
「走ってこい!最後までこの場に残っていた奴に、罰則として腕立て伏せ百回を命じる!!」
軍隊の癖が抜けないメレナーデに戸惑いつつも、生徒たちは走り出した。なお、最後まで残っていたのはユアだった。ユアは腕組をして、メレナーデを見ている。
「ぶんた……いいえ、ユアくん。えっと……」
走り出す様子もないユアは、無言である。表情も消え去っており、喜んでいるとは思えない様子だ。
「メレナーデ先生……この授業になんの意味があるんだ?」
ユアの言葉に、メレナーデはあたふたしはじめる。学園では体を動かすといっても体育程度のことしかさせないはずだ。森のなかを走れというのは、明らかにやり過ぎである。
「その……健全な精神を宿すために……体を鍛えて」
蛆虫を見るような目でユアに見つめられたメレナーデは、どんどんと小さくなっていった。細いだけの少年に見えるユアの前で、申し訳なさそうな顔をするメレナーデはいっそのこと滑稽だ。そろそろ頃合いかもしれないと思って、リッテルは茂みから姿を現した。
「すみません、ユア君。メレナーデ先生は、教育熱心過ぎて暴走したみたいなんですよ。今後は、こういう暴走はさせないので大目に見てあげてください」
突如現れたリッテルに驚く様子もないユアは、メレナーデを再び見た。彼の冷たい視線に、メレナーデは「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
「リッテル先生は、しっかりと監視をお願いします。次に目を離したら、学園長に報告する」
ユアの言葉を聞きながら、リッテルは大きなため息をついた。メレナーデは高学歴でユアの部隊では二番目に階級が高いのだが、ユア相手となると理性が飛んでしまうのが彼女の悪い癖である。
ユアは背を向けて、森の中を走り出す。何かしらの被害が出る前に、ユアとしては生徒たちの無事を確認したいのだろう。
「ああ……どうしてこんなことになってしまったんだろう。私は、分隊長の凄さを周囲に知らしめたかっただけなのに」
メレナーデは地面に転がって、自らの至らなさを嘆いていた。ユアのことを神様と勘違いしているメレナーデにとっては、次の失敗は許さないという意味の言葉はこたえたらしい。
「安全確保のために、生徒の行動を監視するぞ。それをサボったら、今度こそ分隊長の雷が落ちる」
リッテルの正論に、メレナーデは無言で頷いた。
メレナーデは、エリート軍人だ。幼少期から優秀な成績を収めていたらしく、大きな挫折もなく軍のなかでも出世していったのだという。卒がなく優秀な人間がメレナーデだが、言い換えれば大きな挫折を知らない女なのだ。
その挫折と命を救った人間が、ユアなのだ。
だからこそ、メレナーデはユアを信仰している。その過激な心理状態を評価されて、メレナーデはユアの部隊に配属されたのである。
「……リッテルとファレジは、分隊長と前々から知り合っていて良いな。私だって、もうちょっと早く分隊長と出会っていたら色々と違っていたもん。分隊長の一番の理解者になれたもん」
メレナーデはぶつぶつと文句を言いながら、地面に丸を書き続けていた。リッテルは、その様子に呆れながらも彼女の頭を叩く。
「分隊長は、姉さんに期待しているって。その証拠に、姉さんだけが分隊長にスカウトされたんだぜ。そりゃあ、ハデア隊長の思惑も色々とあるだろうけどな。けど、分隊長が初めて選んだ部下が姉さんだ。入隊前から知り合いだった俺たちとは違うんだ。」
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