第36話初めて軍人になったことを後悔した(ファレジ)



 ファレジは、基本に立ち返ることにした。


 つまりは、物語の読み聞かせである。昔話には子供に教えるべき教訓や道徳観を教えるものも多いのだ。それらを通して、ユアの足りないものを補おうとしたのである。


 物語の読み聞かせは、ユアに常識を教える面でも役に立った。ユアは村や家、家族、友人、家、商品、金、それらの当たり前のことを知らない。物語でユアが引っかかった個所を一つ一つ説明するのは骨が折れたが、子供の世界を根気強く広げていくのは楽しい作業でもあった。


「たくさんの動物や人間がこの世界に住んでいるのに、どうして世界は動物と人間で溢れないんですか?」


 大人にはない発想の質問も多かったが、そのようなことに対して考えを巡らすことも子育ての一つであるとファレジは考えるようにした。


 自分が知らないことに関しては調べても誠実に答えたが、調べても分からないことについては「自分でいつか調べるように」とユアに伝えた。そしたら「いつかって、どういう時間なんですか?」という質問が帰ってきた。


「……」


 好奇心が出てきたのはユアの健全な成長の証だったが、正直なところ面倒くさくはあった。懸命に、顔には出さないでいたが。


 そして、ときには生きた虫や魚、あるいは小動物をファレジは施設に持ってきた。ユアにとっては、初めて見る人間以外の生き物である。


 最初こそおっかなびっくりとした態度で生き物を眺めていたが、それらに害がないと分かるとよく観察するようになった。


「なんで、小さいのに動くんですか……。なんで、四本足なんだろう……。なんで、共食いをするんだろう」


 生き物を見せるようになってから質問は倍以上に増えた気がしたが、その質問は野原で子供が遊びながら身に着ける知識でもあった。そのため、ファレジが答えるのは楽だった。


 ファレジは、ユアに武器を持たせ始めた。まだユアの歩行がおぼつかなかったので、ベッドの上で槍や剣といった武器を触らせる程度だ。


 練習用ではなく戦場で使う本物を見せたのは、体の感覚がないユアだからこそだった。いつか武器を使うのならば、少しでも早くなじんで欲しいという親心からだ。


 戦場に立つのならば、立ち続けるのならば、勝ち続けなければならない。


 武器に馴染ませるのは、ファレジなりにユアの将来を思ってのことだったのだ。



 そして、ユアは一人で歩くことが出来るようになった。その瞬間を見た時のセリの顔は、ファレジは一生忘れないと思う。


 それぐらいに目を見開き、大口を開けていた。その癖に、瞳はきらめいていたのだ。歩くことが出来たユア本人よりも嬉しそうで、それこそ親のようだと思った。


 だというのに「初めて息子が産まれたような顔をしているぞ」とファレジの方がセリに言われた。解せなかったが、反論はしないでおくことにする。嬉しかったのは、事実だったからだ。


 歩けるようになれば、ユアの世界はさらに広がった。施設の部屋だけにユアを押し込んでいるのは、もはや懸命とは言えない。


 ユアはファレジやセリに付きそってもらいながら、施設のなかを歩きまわるようになった。立ち入れない場所は当然あったが、そこでユアは自分以外の子供を初めて見たのだ。といっても遠巻きに彼らを見るだけで、一緒に遊びたいとせがむ事は一切なかった。


「動き回っている……」


 ユアの呟きに、ファレジは気が付いたことがあった。ユアは、遊ぶという事を知らなかったのだ。


 故に、子供たちが遊んでいても「動き回っている」という感想しかもらさなかったのである。これでは他の子供たちと対面した時に、コミュニケーションが取れない。


 ファレジは、ユアを少しでも外に連れ出すことを考え始めていた。施設内で出来ることは大方やりつくしていたというのが主な理由だ。


 そして、なによりもユアの将来のためだった。ユアの活躍はあくまで戦場という屋外で、その環境に馴れさせる必要があると考えたからである。ファレジはハデアを説得して、ユアを屋外に連れ出した。


 自然のなかで生きる、虫。川で泳ぐ、魚。そのようなものをユアに見せてまわって、虫取りや魚釣りを体験させた。吊り上げた魚はその場で焼いて食べさせたし、動物を狩って調理をさせたりもした。


 つまりは、子供が体験するべき遊びを一通りさせたのだ。


 子供の遊びは無意味なことではない。それを通して学ぶことは山ほどある。その遊びには、ときにはセリも参加した。


 三人がそろうと一番楽しんでいるのはセリで木登りやらキノコ狩りなどをして、子供に戻ったかのようにはしゃいで見せたのだ。


 ここでも新たに判明したことがある。

 ユアには味覚がなかった。いつも出された食事は間食していたので好き嫌いがないとは思っていたが、味を感じないから機械的に食べていただけらしい。岩塩を舐めさせたときに「しょっぱい」という味を感じられなかったので、あきらかになった事実だった。


 さらには、食べ物の温度すらも感じていないようだ。考えている以上に、ユアが感じているものは少なかった。だからこそ、見ているものまでも少なくして欲しくはなかったのだ。


「こうしていると普段のストレスから解放されるようだよ。まったく上と来たら余計な事ばっかり言って、そのくせに予算はくれなくて……」


 ぶつぶつと文句をいうセリは、だいぶ疲れていた。彼は医者の世界で、少し孤立し始めていたようだ。


 革新的な考えで患者の死亡率を下げた功績がある彼だが、その際にいくつかの迷信じみた治療も切って捨てていた。それを信じる医者の一派には嫌われていたし、高名になったくせに出世欲を見せないことに対してのやっかみも買っていたのだ。


 医学会の一部に嫌われていたセリは、本来ならばユアに関わっているべきではなかったのかもしれない。色々な場所にかけずり周り、少しでも味方を増やすべき時期だったのかもしれない。


 それでも、セリはユアを優先していた。


 セリは、出世欲がない人間だった。というよりは、出世にまつわる地固めや人間関係を繋ぐのが下手な部分があるのだ。セリが異世界からの転生者と聞いてからは「前世からして必要なかったものだからなぁ」と愚痴られたことがあった。


 前世のセリは地方にある病院に勤務していて、勤務先こそ立派だったが自身の出世には無頓着だったらしい。立身出世するよりも金を貯めて畑をやりたいと思ったから、前世は地方の医者になったという。


「前世は都会育ちだったから、虫取りとか川遊びできる田舎に憧れていたんだよ。でも、農業一本で食べていく自信はないし、金が稼げそうな医者になって土地やら何やらを買ってほそぼそと生きていくつもりだったんだ」


 ファレジにはセリの前世の世界の価値観は分からないが、彼は前から変わりものだったのではないだろうかと思った。農民になるために医者を目指す者はいない。


 しかし、その前世の夢を鑑みれば、ユアと自然のなかで遊ぶことが出来る日々はセリにとっては本当に楽しい一時だったのだろう。


「しっかし、ユアは本当にすごいな。いつの間にか木登りとか駆けっことか俺よりも速くなっているし」


 ユアに体力で抜かされたのは、セリの運動不足のせいでもあった。しかし、ユアの成長が目まぐるしいのは確かだ。


 寝たきりだったユアの肉体は、健全に成長している。


 幼少期の栄養状態の偏りのせいなのか少食で痩せ型ではあったが、魔法で肉体を操っているせいもあって体力面に問題はなかった。と言うより、魔法で体の動かしていたので体力は必要なかった。


 そして、屋外で遊ぶことで自分の肉体に負荷がかかる動きすらもいつの間にか学んでいたのだ。


 机の上で行う学習が得意なことは前から知っていたが、日常生活においての学習も早い子供だったのだ。今では釣った魚をナイフ一本でさばくこともできるし、食べられる山菜やキノコを見分けることだって可能だ。


 そして、なにより――

「ユア、命っていうのは……生かすものでもあるし、奪うものでもある。牛や鶏、ウサギの命を奪って人間は食べているし、その動物の命で人は生かされてもいる。医者は人を生かすけど、軍人は人の命を奪う。どっちが良くて、どっちが悪いということはないんだ」


 セリは、少し寂しそうにユアに命について教えた。本当ならば、命を奪うことは駄目だと教えたい。だが、それはユアを苦しめることになる。


「ユアが殺すことに苦しくなっても、それはユアが悪いんじゃない。ユアに人殺しをさせている時代が悪いし、戦争が悪い。上司が悪いし、世界が悪い。ユアは悪くない。絶対に忘れるな。ユアは悪くない」


 この時のユアは、セリの言葉の意味をあまり理解していないようだった。あどけない顔で首を傾げるユアの姿が、大人二人には憐れに思えてならない。


 けれども、人殺しという目標がなければユアは生かされなかっただろう。


「なにがあってもユアは、可愛いユアだ。僕とファレジと一緒に、自然のなかで遊んだ子供。僕の願いを叶えてくれた、希望の子供。あのね……ユア。僕は、自分の息子と自然のなかで遊びたかった。それが、夢だったんだよ」


 セリは、ユアのことをぎゅっと抱きしめる。それは、本物の息子に対するものに見えた。


 ファレジやセリが、かつて子供時代の感じた安心感。親から教えてもらったソレを子供であるユアに伝えるための尊い儀式だった。


 セリには息子はいない。


 結婚もしていない。


 けれども、セリの横顔は子供がいる親のものに見えた。前世のセリは、子供がいたのかもしれない。


 彼は、その成長の全てを見ることなく死んだのだろうか。その無念を抱きながら、ユアに接していたのだろうか。


 ああ、違う。


 ファレジは、首を横に振った。


 セリの瞳は、ずっとユアを見つめている。セリの前世には、子供がいたのかもしれない。けれども、所詮は前世のことだ。


 セリは、ユアのことだけを考えていた。そして、それは自分も同じだとファレジは気が付いた。


 セリとファレジだけが、今のユアの世界だ。けれども、いつかはユアの世界はもっと広がる。


 ファレジは、踏み台になりたいと思った。


 ユアという子供の踏み台になって、彼を大人にしたいと思った。ユアが、自分のところから巣立っていく未来を見たいと思ったのだ。


 そして、ようやく親が自分に向けていた愛情すらもファレジは理解した。実家に居場所がないと思っていた大人の時代はある意味で正しく、ファレジは自分の居場所を新たに作るべきだったのだ。


「……セリ。今更になって、軍人になったことを後悔した。いつ死ぬかも分からない職業に就くべきではなかった」


 ユアの成長を見守り続けるならば、いつ死ぬか分からない軍人の職は相応しくなかった。だが、軍人でなければファレジはユアと出会わなかったであろう。


「なら、約束しよう。僕とファレジ。どちらが先に死んでも、残った方が最後までユアの側にいる。それで何かあるたびに死んだ方の墓参りをして、寂しくないようにユアの近況報告する。それならば、少しは安心だろう」


 それは、ファレジのための約束だった。


 いつ死ぬかも分からない軍人のファレジのための約束だったのだ。セリは医者であり、死とは程遠い場所にいる。ユアの成長を最後まで見届けるのは、間違いなく彼であろう。



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