第35話医者は転生者(ファレジ)
「すまない。私がユアにかけるべき言葉を間違えて……」
ユアのいないところで、ファレジはセリに謝罪をした。セリは、ユアの教育などに一生懸命になっていた。ファレジは、自分がそれを邪魔してしまったような気がしたのだ。
「気にしないでくれ。ユアの歪さは、いつかは分かったんだ。むしろ、矯正できるうちに僕たちが分かって良かったんだよ」
会話がなりたっていたので気が付けなかったが、ユアには当たり前の倫理観が備わっていない。それは集団生活などで学ぶものであるから、ユアに身についてなくて当たり前だったのだ。
大人として教育に関わっていた者として気が付くべきことであったのに、セリもファレジも見落としていた。
「情緒面の教育も視野にいれないと大変なことになるのは分かった。こればっかりは、専門の教師とかが必要なのかな……。本当は、あの子を学校に入れてあげるのが一番良いだろうけど。でも、カウンセラーとかはいないだろうし」
今の状態では無理だな、とセリは判断する。
「ユアに自由に動けるようになれば、医者として成果を残せると思ったのに……。子供の教育の問題に躓くとは思わなかったよ。子育て経験は一応はあったのに、男は役に立たないっていうのは本当だな」
セリの言葉に、ファレジは違和感を覚えた。セリは、十分に医療に貢献している。すでに教科書に載って良いほどの偉業を成し遂げているセリは、どうして今更になって成果を残したいなど言ったのだろうか。そして、セリは結婚もしていないはずだ。
「そういえば、セリはたまに不思議なことを言っていたな。今だって、カウンセラーなんて聞いたこともない言葉だ」
ファレジの言葉に、セリの顔は引きつった。そして、大きなため息を吐く。
「まったく……治そうと思っても癖って治らないよな。頑張って言わないようにしていたけど、どうしても口から出るんだよ。本当に欲しいから、無意識に口から出るんだろうけど」
セリは、改めてファレジと向き合った。彼の表情は、今まで見たことがないほどに真面目なものであった。
「この話をするのは、お前が最初だ。実は、俺には前世の記憶があるんだ」
ファレジは、セリが新興宗教に入信したのかと思った。
「……前世は、木こりか異国の王子様か?」
ファレジの返答に、セリは首を横に振る。そして「そうだよな……。普通は別の世界で生きていましたとかは思わないよな」とぼそぼそと呟いていた。
「信じられないと思うが、俺の前世は別の世界の人間だったんだ。その世界は、ものすごく医学が発達していた。五十歳で死んだら若いうちに死んだと言われたし、頑張れば百歳まで生きられるような世界だったんだ。これは、一般市民の寿命だ」
冗談のような話であった。良い生活をしている人間ならば、七十歳まで生きる者はいる。だが、大抵の平民は五十歳ほどで死んでいく。ましてや、百歳まで生きた人間など神話のなかでしか知らない。
「そこには、生きたまま人間の内臓や骨を見られる機械があった。呼吸が出来ない人間に無理やり空気を押し込む機械もあったし、食事のとれない人間に栄養を送り込む方法だってあったんだ。この世界と比べたら信じられない進歩をした世界で、前世の俺は医者だった」
前世は特段に偉くもない医者だったセリだが、この世界に何故か転生したという。そして、この世界に愕然とした。
医療が未発達の世界は、セリにとっては地獄に等しいものだったのだ。風邪一つが命に関わる世界のことなど知ってはいても、前世では実感はできなかったという。
「国境なき医師団とかに参加していたら違うだろうけど、ともかくショックだったんだよ。しかも、僕はあくまで別世界の医者だ。医療器具の使い方を分かっていても、それの作り方は分からない。道具や薬がなければ、医者だって無力なんだ」
だからこそ、セリは今回の人生でも医者になったという。そして、この世界でもあっても患者の生存率を上げられそうな手をすべて打った。
「俺が提案した方法は、すべてが前世の世界にいた偉人達の業績だ。その成功した話を知っていたから、俺は真似ができた。しっかし、ナイチンゲールはやっぱり偉大だったよ。衛生面を改善したら生存率が上がるとは思っていたけど、ここまでとは思わなかったし。統計では、上層部を黙らせられるし。モノづくりができない俺の大師匠だ。」
苦笑いするセリの顔は、少し悔しそうだ。セリの話をすべてを信じるつもりはファレジにはなかったが、彼の功績に元ネタがあることは真実味があった。そして周囲の評価された功績が自分一人で思いついたものではないことに、セリは罪悪感を抱いているようだった。
「でもって、俺にはどでかい野望がある。それは、看護師っていう職業を作る事だ」
セリは、再び聞きなれない単語を使う。
「看護師は、前世では病院で病人の世話をしていた職業だ。この世界では病人の世話は、寡婦やら売春婦くずれがやっているだろ。しかも、医療に関する教育を受けていない素人だ」
ファレジにとっては、それは当たり前のことだった。
病院で患者の世話をするのは、貧しい女性が中心だ。病が流行した時に危険にさらされる事が多く、さらには患者の世話は重労働である。
ユアほど動けない人間はいなくとも体の不自由な人間の世話には、かなりの労力が必要なのだ。嫌な仕事というのは下層の人間のものになり、結果として病院で働く女性たちに教育を受けた者は少なくなる。
「僕は、それを変えたい。看護師という職業を作って、病院に専門知識がある人間をいれたいんだ。そして、医者の仕事のサポートをして欲しい。患者の世話だけではなくて、病状の記録などを取れるような助手を作りたいんだ」
あまりに壮大な理想に、ファレジの呼吸は止まった。新しい職業を作るということは、今までにない苦労と問題が立ちはだかる。
人材の教育や人材を育てる人物の選定。そして、教育にかかる費用の捻出。教育された人間の受け入れ先だって問題になる。
専門教育を受けた人間を雇い入れるならば、今よりもより給金が必要になるだろう。安価で使える人間がいるというのに、病院は果たして看護師という新しい職業を受け入れるだろうか。そして、看護師に仕事を奪われた女性たちの行く末――専門家ではないファレジさえも頭痛がするほどの問題が上がってきた。
こんなことは、いくら偉業を成し遂げてきたセリだって不可能だ。医者という職業では及ばないような権限が必要になるのは間違いない。
「ハデアからユアのことを頼まれたときには、これはチャンスだって思ったよ。ユアがハデアにとってかけがえのないものになれば、彼に恩を売れる。俺の知り合いで、出世しそうな人間はハデアだけだ。いつかハデアがものすごく偉くなった――それこそ軍のトップに近づけるようになっときに、看護師という職業を作る援助をしてもらえると思ったんだ」
なるほど、とファレジは納得した。
セリは、自分の夢のためにユアを利用したと言いたいのだ。けれども、善良な医者であるセリだ。近い内に消えてしまう子供の命を助けたいとも思ったのも確かだろう。そうでなければ、二回の目の人生でも辛いことが多い医者という職業を選ぶわけがない。
前世の知識を自分の一人のものではなく、苦労してでも人民に広める。そのような選択をする時点で、目的のためには子供も利用するだなんて悪役ごっこは出来ないのである。しかも、目標だって長い目でみれば患者のためになるためのものだ。
「セリの目標は、病院に衛生兵を送りこむようなものなんだな。医療の知識がそれなりにあって、患者という名の負傷兵の世話をやって、必要時に医者を呼びに行く」
ファレジの言葉を聞いたセリは、無言で彼に詰め寄った。なにか不味いことを言ったのかとファレジは思ったが、セリの目の輝きを見た瞬間に自分の不安は間違いだったと気がつく。
「そうだ!衛生兵だよ、衛生兵。看護師って縛りがあったから気が付かなかったけど、この世界の衛生兵の知識は看護師に近いんだ!!ということは、教育のノウハウはあるんだよな。問題が一つ解決した」
セリの喜びようは子供のようで、彼の目標が本気のものであるのだと改めてファレジは実感する。
「ユアは、大きな夢の第一歩なんだな。未来の大勢の患者のためにも、ユアの教育には今まで以上に力を入れるか。倫理観を学んでもらって、健全に育ってもらって」
そこまで言ったファレジは、セリを見た。
異世界の記憶があるらしい医者は夢を語る。
「いつかは、ユアを学校に入学させる。それでもって、友達を作って、一緒に遊んで、人間の命は大切なんだって学ばせるんだ。ユアには、俺たち医者が守りたいものを知って欲しい」
セリが一番大切だと思っているもの。
それが人の命であることは、ファレジには言わなくても分かっていた。
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