第34話人を殺せば褒められると思っていた(ファレジ)


 ファレジは、ユアの面倒を見ることを了承した。仕事内容が簡単なことも要因の一つだった。


 本業である軍人としての訓練終了後にユアがいる施設にまで訪れて、彼の身の回りの世話をしつつも話しかけ続けることがファレジの仕事内容だった。


 ユアの身体は、まったく動かない。そのため寝たきりの老人の世話をするように排泄の解除をし、褥瘡が出来ないように決まった時間に寝返りをうたせなければならない。


 さらには水分補給も自力ではできないので、吸い飲みという急須のような道具を使って少しずつ水も飲ませなければならなかった。このときに急がせたりすれば肺に水が入り、肺炎を起こしかねない。食事も同様であり、ゆっくりと本人のペースに合わせる必要がある。


 全ての事に手がかかり、ほぼ付きっきりの介護が必要になるユアは施設にとっては手間がかかるだけの存在だと思われているらしい。


 ファレジがいない時間帯は施設の職員が世話をしているが、ユアは最低限の世話だけをされていた。仕方がないことだが、話かけられることもなかった子供は自分を人間だと認識していないのかもしれない。


 ユアは、話しかけても一切の反応を示さない。


 魔法使いはユアの魔力を研究材料としてしか扱わず、看護をする人間は肉体の世話だけをした。彼に話しかける人間はおらず、ユアは言葉や他者と触れ合う機会がなかったのである。セリは、ユアに世界には言葉があることを最初に教えたかったのだ。


 もしかしたら、だからこそ協力者にファレジを選んだのかもしれない。ファレジはお喋りではないが、命令にはしっかりと従う。そして、機転も利く。喋る内容が尽きれば、子供に読み聞かせる物語をユアに語った。


 ユアからの反応は相変わらずなかったが、それでも彼が言葉という存在があることを知ってくれたら良いのだ。会話でも物語でも、どちらでも構わないであろう。


「ほら、ユア。僕はセリ。こっちはファレジだよ。今日は、魔法の勉強をしよう。いつもの通りに、ランプで魔力の放出を続ける訓練をするんだ。魔力を出来るだけ長く、均一な強さで放出し続ける練習だ。出来るようになれば、将来的には発動時間がもっと伸ばせるかもしれない」


 忙しいはずのセリは、暇を見つけてはユアの元にやってきていた。セリは出来るだけ早く魔法を使えるようになって欲しいと思っているらしく、ファレジに指示をしながら自ら魔法をユアに教えようとしていた。


 セリは魔法が使えないので、普通ならば魔法を教えることは専門外のはずである。それでも、ユアのために必死に教育関連の本を読み漁ったようだった。


 そして、それは正しかったのかもしれない。


 ユアは魔法使いを目指す子供である前に、四肢が不自由な患者である。出来る事と出来ない事の見極めは、医療関係者でしかできない。


 このときのファレジは、気が付いていなかった。ユアは話しかけても無反応ではあったが、言葉の意味自体は理解していたのだ。


 そうでなければ、セリが行っている指示にも従えない。自分の側で行われた医療関係者たちの僅かな会話あるいは愚痴。そういうもので、ユアは言葉を学んでいた。


「あり……が……とぅ」


 ファレジがユアの高い学習能力を知ったのは、彼が初めて喋ったときであった。ユアは、礼の意味を知っていた。それでいて、普段から自分の世話をしているファレジに向かって礼を言ったのだ。


「……おう」


 ファレジが礼に対して返した言葉は、驚きのあまり締りのないものにはなったが。


 ともあれ、ユアは一番最初のハードルを乗り越えた。そこからの人間的な発達は、目覚ましいものだった。


 ユアが使用できる言語はどんどんと増えていき、ファレジやセリとの日常会話が可能となった。それに伴って魔法の理解も進み、徐々に自分の身体を動かせるようになっていく。


 最初は、指一本。


 次は、二本。


 そういうふうに、ゆっくりとだが着実に進歩していったのである。


 ファレジは、寝たきりであったユアの身体を揉み解すことも始めた。放っておかれたユアの身体はこり固まっており、今はともかく将来的には問題になることが予測できたからだ。


 難しかったのは、関節の可動域を広げるためのマッサージだ。普通ならば痛みを感じるはずの負担も、ユアには分からない。だからこそ、肉体に負担がかからないように慎重にマッサージをする必要があった。


「ファレジとセリは、どうしてここにいるんですか?」


 もうしばらく経つとユアは質問をするということを覚えた。それは、ユアの精神面の発達を意味している。


 今までのユアは常に受け身であり、それが当たり前になっていた。興味を持つという事すらなかったのだ。


「私たちは……ハデアという人からユアの世話を頼まれている。ハデアというのは、お前の上司になるかもしれない人だ」


 ハデアは最初にユアを養子にするつもりであったが、ファレジは彼を父とは教えなかった。ハデアは最終決定をしていなかったし、一般的な父と子の関係を結べるとは思わなかったからだ。


 だから、上司という説明をした。このままユアが成長すれば、ハデアは自分の操り人形として彼を使用する。それを見越しての説明だった。


「上司……?」


「命令をする人って言うことだ。その人の命令は、絶対で逆らえない。お前は、いつかは軍人になる。軍人は上司の命令を従って、作戦を遂行する。戦争になれば、人だって殺す」


 ファレジは、そんな説明をしたことを後に後悔した。ユアの成長が進むほどに、彼の歪さが際立ってきたのだ。この会話でユアが納得した時点で、ファレジは歪みに気が付くべきだった。


 ユアは勉強を始めて、歩行の訓練も始めるようになっていた。むろん、最初から上手くいっていたわけではない。


 歩行の練習と同時に、転んだ時にはどのように受け身を取るのかも同時に教える。痛みが分からないユアにとっては、怪我を防ぐための受け身は大切な技術だ。


「ここまで、ユアが頑張れるなんて……感動だな。しかも、進歩のスピードがすごく早い」


 セリは、ことあるごとにユアを褒めた。それだけの成果をユアは上げていたし、セリは褒められることで子供は成長すると考えていようだ。


 ファレジはあまり褒めるような人間ではないので、バランスも丁度良かったのかもしれない。それを差し引いてもセリに褒められているユアは嬉しそうで、その笑顔を見るたびにファレジは彼が幼い子供であることを再確認した。


「このまま続けたら、軍人になって沢山の人を殺せますか?」


 ある日、そんなことを尋ねたユアは笑顔だった。


 望まれたことを達成して褒められるのはユアの喜びで、さらなる目標はいつかのご褒美を想像させるのだろう。それは健全であったが、問題は――軍人は人を殺せば褒められると認識してしまっていることだった。


 完全に隔離されたユアは死というものを理解できず、実感がわいていないことを想像するべきだった。このままユアが人並に動けるようになれば、敵味方関係なく殺し続ける可能性がある。


 否、ユアには敵味方の判断すらできない。一般人と軍人の区別すらついていないだろう。そんな未熟な状態なのにも関わらず、ユアにとって人殺しは自分が褒められるための手段だと思ってしまった。


 ユアが一般的な生活を送るのならば、人殺しはいけないのだと頭から否定すべきだ。しかし、将来のことを考えればそれも難しい。


 戦場に投下される予定の子供なのだ。今ここで殺人をしてはいけないと教え込めば、将来のユアは自分の行いと存在に苦悩するだろう。


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