第39話自由を奪われる恐怖を知った(ファレジ)


 知らせを聞いたファレジが施設にたどり着いた時には、セリの遺体はすでに回収されていた。ファレジは新人を鍛えるという仕事があり、彼らと共に数日間も山籠もりをしていたせいで連絡が遅れたのだ。


 山を下りて初めて、セリが施設内で刺殺されたという報告を聞かされたのである。 


 急いで施設に向かったファレジは、まずはユアの姿を探した。いつもの部屋に、ユアの姿がなかったのだ。ユアを探しながらも、ファレジは絶望に叩き落された気分になる。


 セリが殺されたことなど嘘であって欲しかった。

 

 セリが施設に通っていたことを知っていた者こそ多いが、彼に殺意を抱いている人間は限定される。セリは、看護師という新たな職業を作ろうとしていた。それに反対している一派がいるとも言っていた。


 彼らが、セリを殺したに違いない。


 新しいことをするというのは困難が伴う。新しい職業を作るとなれば、誰かの既得権益を犯す可能性すらあった。今までのセリの功績やハデアという後ろ盾を得られそうなことが、相手の神経を逆なでしたのだろう。


 セリならば新しい職業を作ってしまうと危惧した誰かが、彼を殺したに違いない。誰かの利益を守るために、セリは殺されたのだ。


「ユアは……。ユアは、どこなんだ」


 セリと約束したのだ。どちらか一方が死んでもユアを守るのだと。なのに、いつもの部屋にユアはいない。施設でセリが殺されたから、別の場所に移されたのだろうか。


 その方が安心できるとファレジは思った。


 ユアは、死に対しの解釈がまだ未熟である。セリの死と向き合うには、大人の力と時間が必要だろう。セリの死で忙しいだろう施設では、その時間が取れないかもしれない。ならば、他の場所に移ってくれた方がよっぽど良かった。


「ファレジさん!」


 施設の職員に声をかけられて、ファレジは振り返った。ここの職員に話しかけられるのは珍しくあり、同時に嫌な予感もする。


 セリが死んでしまった今となっては、職員がファレジに話しかけてくる理由などユアのことぐらいだ。


「ハデアさんが、セリさんが亡くなった責任を……ユアにとらせると言って」


 職員の言葉に、ファレジは言葉を失った。ハデアが何を考えているのか分からずに立ち尽くしていれば、職員からセリが殺された際にはユアが側にいたらしいという話を聞いた。ユアは魔力切れでベッドから動けず、そんな子供を守るようにセリは事切れていたという。


「そんなのは、ユアがどうにかできる状況ではないだろうがっ!」


 セリが殺された時に、ユアは動こうとしても動けない状況だったはずだ。それなのに、責任を取らせるとはどういうことなのか。


 子供のユアに、そもそも責任があるはずもないというのに。


 うろたえている職員の様子を見るに、彼もファレジと同意見なのだろう。だが、立場もあってハデアに進言できなかったようだ。仕方があるまいとファレジは思う。


 軍の息がかかっていることもあり、この施設で働いている職員は訓練こそ積んでいないが軍に所属している。そのため、上官であるハデアの命令は絶対だ。


「ユアは……どこにいる」


 ファレジは、努めて冷静に尋ねる。どこかに狭いところにユアは立閉じ込められているとファレジは考えていた。悪さをした子供を折檻として物置などの閉じ込めるのは、ファレジの世代ではありきたりな躾だ。


「別の部屋で……魔力発動阻害の首輪をはめられています」


 職員の弱弱しい言葉に、ファレジの頭に血が上った。すぐに職員に、ユアがいるという部屋に案内をさせる。


 ファレジは廊下を速足で歩きながら、頭のなかで上官であるハデアを罵った。


「ハデアにだって、ユアに責任がないことぐらいは分かるだろうが……」


 傷心のユアの心のケアをするのならば分かるが、彼に責任を求めて罰まで与えるなど見当違いもいいところである。これでは、まるでセリを失ったとこに関する八つ当たりだ。


「ユア!」


 職員が案内したに部屋にたどり着いたファレジは、その光景に唖然とした。魔法発動阻害の首輪は、魔法使いから魔法を奪う手段である。


 脳から送られる魔力を発動するための信号を阻害するもので、この首輪を付けている間は魔法を使うことは出来ない。主に捕虜に着けられるものだが、普通の状態であれば手足を拘束するなどの工夫をしなければ使えないものだ。


 だが、ユアにとっては首に嵌めるだけで十二分に効力を発揮する。


「この数日の間……誰も世話をしなかったのか!!」


 ファレジの怒声に、彼を案内した職員さえも恐怖で肩を震わせた。部屋に投げ捨てられたユアは、まるごみ溜めに捨てられた死体のようだった。


 自分では排泄も食事も出来ないユアの周囲には悪臭が漂っており、水分も取れなかったユアの唇は乾ききっている。呼吸も浅いようで、かろうじて生きているという状態だった。


「はやく、水を持ってこい。砂糖と塩も一緒にだ。一刻も早く水分を取らせないと死ぬぞ!」


 人間に一番大切なのは水分であり、それを絶たせるなど罰の領域を超えている。これは、すでに拷問だった。


 ファレジは、職員が持ってきた水に砂糖と塩を急いで溶かす。人体に素早く水分を吸収させるには、水だけではたりない。


 砂糖と塩を混ぜることで、体に水分を吸収しやすい飲み物が出来上がるのだ。軍隊では、夏場の訓練でも使用する飲み物だった。


「ゆっくり飲み込め。急ぐな」


 ファレジは汚れたユアの身体を抱きかかえながらも、吸い口を使ってユアの口に飲み物を注意深く注ぐ。わずかに動く喉に、ファレジは安堵した。水分さえも飲み込めないほどに衰弱していることが、ファレジには一番恐ろしかったのだ。


 休憩を挟みながらもファレジは、ユアに水分を取らせ続ける。やがて、ユアの瞳から涙が流れた。ファレジは、それを命が助かった安堵から来たものだと考えた。しかし、ユアの乾いた唇から紡がれたのは別の言葉だった。


「……やだ。動きたい……。動けないのは嫌だよぉ」


 あまりにも小さく情けない声は、ユアが示した初めての願望だった。魔法によってユアは、初めての自由を知った。


 手足が思い通りに動くというファレジたちにとっての当たり前が、ユアにとっては特別だった。そして、その特別が普通になった頃に――ユアはそれを取り上げられたのだ。


 自由を知らない頃ならば当たり前のことだったが、手足を動く自由を知ってしまえば受け入れられないのは当然だ。身体が動かないということは常に他人の世話になる必要があり、当たり前だと割り切らなければ尊厳を破壊されたと感じる人間だっている。


 名誉の傷を負った負傷兵でさえ、体が不自由になったせいで入浴や排せつを他人に世話されることには抵抗を示す。いくら理由があろうとも今まで出来たことを他人に任せなければならないという事は辛いのだ。


「セリが……僕のせいで。動けなかったから……僕のせいで。もっと強かったら」


 ファレジは、歯を食いしばる。


 どうしようもなかったことを自分のせいにするユアが痛ましく、それ以上にハデアに対しての怒りが沸き立ったのだ。


 ユアに水分を十分に取らせたファレジは、魔法発動阻害の首輪を外そうとした。だが、あろうことか首輪には鍵が付けられている。


 憎たらしいと思いながら、ファレジは動けないユアの世話を優先した。汚れた体を清潔にし、使っていないベッドに寝かせてからゆっくりと食事を取らせた。


 動けるようになってからは普通の食事を取っていたユアだが、絶食のせいもあって食事は慎重を期す必要があるとファレジは考えた。よって食事内容は、重湯になった。米を使った粥の上澄みは、ほとんどが水分だ。だが、暖かな食事にユアの表情が安らぐ。


「私は、ハデア隊長に会ってくる。この首輪は外させるから、ユアは休むんだ」


 時間をかけた食事を終えて、ファレジは席を立とうとする。しかし、その瞬間にユアが呟いた。


「セリは……僕のせいで死にました。ファレジ、ごめんなさい。色々と教えてもらっていたのに、セリのことを守り切れなくて。もっと、強くなれていれば」


 ファレジは、首を横に振った。


 ユアは十分に強い。同い年の子供と遊ぶこともせずに、大人の思惑のために武器を握っていた。


 軍に配属されても困らないようにと歳に見合わない勉学に励んだ。こんなにも強くなったユアに、今以上のものは求められない。いいや、求めてはいけない。


「お前は、セリの自慢の息子だった。だから、これ以上は自分を責めるな。お願いだから、責めないでくれ」


 動くことのない手を握ったファレジは、改めてユアを守ろうと決心する。セリは二度も息子を残して死んでしまった。その口惜しさは、ファレジには想像もつかない。だからこそ、残されたファレジがユアを守るのだ。


 それが約束であり、ファレジのこれからの人生だった。

 

 

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