第47話最悪の敵は転移者


 セバッテは、ユアの頭を踏みつぶしていた。ぐりぐりとユア頭を踏みつけているセバッテだが、その顔には若干の落胆も浮かんでいた。ユアの魔法の効力が消えてしまってから、セバッテはずっとユアに暴行を加えている。


 殴ったり、蹴ったりをしてもユアは何一つ感じない。宣言した通りに屈辱を与えるために犯してみせても、声一つも上げないのだ。


 何一つ感じず表情を全く変えないユアに、セバッテは焦れていた。これでは人形相手に八つ当たりをしているだけだ。


「くそっ。どうして、お前は何も感じない!どうすれば、お前に屈辱や痛みを与えることができる!!」


 自分で暴行を加えながらも、セバッテは肩で息をしていた。ユアは、セバッテは見ていない。彼が気にしていたのは、ヒステだった。


 呼吸音が小さくなっているヒステは、回復系の魔法使いが来ない限りは助かる見込みはないだろう。もうすぐ死ぬであろう。


 セバッテが駆けつけてすぐにヒステに処置をすれば、なんとか生きながらえていたかもしれない。だが、セバッテはユアへの暴行を優先した。


「どうして、自分の部下を優先しない。部下の命を守るのが、上に立つ者の仕事のはずだ」


 ユアの言葉に、セバッテは目を丸くした。ユアの言葉が上手く理解できていない顔は、軍人のものではなかった。


 軍のことを何も知らない一般人に似ていた。軍人の残酷さだけを学んでしまった一般人だ。


「ここにいるのは、俺の部下じゃない。これは俺の私怨だから、部下を使えなかった。代わりに昔買ってた奴隷とその奴隷に惚れたとか言い出す馬鹿と自分の力を試したいだなんて言う中二病の娘を連れてきたんだよ」


 ユアは、眉間に眉を寄せる。


「ちゅうにびょう?」


 ユアが聞いたことのない病気の名をセバッテは口にした。


「お前もそれぐらいの歳か。いいや、高校生なのか。それぐらいの歳の男子だったら、部下の前で犯されるのは嫌だろ。一番プライドが高い時期だもんな」


 セバッテは、性的な暴行が屈辱を与えるのが一番良いと考えているようだ。たしかに、それは有効な手立ての一つだ。


 だが、ユアは何も感じない。そもそも痛みを感じない体だ。他者に局部を去らすことですらも慣れている。


 ユアの人生は、産まれた時から屈辱の連続だった。だから、何も感じない。一番恐ろしいのは、魔法が使えなくなることだけだ。


 魔法を使えなくなれば、ユアは自死すらできなくなる。施設のベッドから動けなくなる。


 それが、一番恐ろしい。


 生まれながらに自由な人間は、動けない苦しみを知らないだろう。そして、一度自由を知ってしまったユアは、永遠に不自由を恐れることになった。


 今のユアが魔法を失ったのは、セバッテの魔法の効力による一時的なものだ。メレナーデが過去に魔法を受けた際も、効力は一時的だった。


 だから、今のユアは魔法の喪失を恐れてはいなかった。魔法の効果は、いつかは切れる。


 このまま殺されたとしても、それは恐れるに足りないことだ。魔法が使えないようにされて生き続けることが、ユアにとっては一番恐ろしいのだから。


 自分の上で腰を振るセバッテの間抜けな姿は、不自由を知らず自由を奪われる恐怖を知らない者の楽天的な姿に思えた。この男は、きっと本当の絶望を知らないのだろう。


「俺は、向こうの世界ではずっと不幸だったんだ。受験に失敗して、Fランの大学を卒業して。就職先なんて無いから、行きたくもないブラック企業に就職して……。挙句の果てに、ビルから身投げしたヤツに巻き込まれて」


 死んだのだ、とセバッテは言った。


「瀬場って言うのが、あっちの俺の名前だった。でも、いつの間にか名前がセバッテになって……。魔法が使えるって分かった時には、嬉しかったなぁ。だって、そうだろ。こっちの世界では、魔法を使える奴は人生の勝者だ。あっちの世界では負け組だった俺の人生が、一気に好転したんだよ」


 セバッテの声は、嬉しげだった。


 彼は彼なりに人生の不自由を味わったらしい。そして、自由を手に入れたようだ。だとしたら、この世界を追い出されて魔法が使えなくなることがセバッテが恐れるものなのだろうか。


「軍では出世して、奴隷を買えるぐらいの賃金だってもらえた。俺の人生は、順風満帆だった。あっちの世界とは違ってな。魔法が使えなくなった魔法使いたちの絶望の顔を見ながら殺すのだって、楽しかった。だから、お前だけなんだよ。俺にとって、お前だけが汚点なんだ。汚点は消してやる。それで、俺の人生はようやく――ようやくプラスとマイナスが噛み合うんだよ」


 過去のメレナーデのようだとユアは思った。メレナーデにとって、セバッテに負けたことは最初の挫折だったと聞いている。セバッテにとっては、ユアに負けて捕虜になったことが最初の挫折だったらしい。


「僕に加虐を加えたいがために、協力者を見殺しにするのか……。協力者なら、なおさらに巻き込んではいけない一般人だろうに」


 セバッテには、軍人としての最後の一線がない。自分の人生のことだけを考えている。今の自分の人生を、過去の自分の人生の精算でしかないと思っている。


「僕は、お前と似たような人を知っている。その人も前世の記憶を持っていた。お前の話を聞く限りは、前世とは違うのかもしれないけれども……。その人は、この世界での出来事を過去の清算だとは思っていなかった。この世界で、懸命に生きようとしていた」


 ユアは屈辱を受けながらも、その瞳に強い光を宿した。その輝きに、セバッテは一瞬だけ怖気づく。その瞳の光は、過去の世界で見たことがあった。


 勤めていた会社で、厳しいノルマを課せられながらも絶対にあきらめてなるものかと食いついてきた社員の瞳だ。いくら頑張ったところでクリアできるノルマではないだろうとあきらめていたセバッテと違って、無理難題に立ち向かっていた。


 今だって、彼らの選択が正しいとは思えない。そういう人間は速くに潰れて、会社を退職していった。のらりくらりと日々をやり過ごして、ほどほどに給料をもらっている自分は惨めだが賢いと思っていた。


 不幸であるが身の程は知っていると思っていた。


 ああ、違う。


 本当は、怖かったのだ。


 今の会社を飛び出して、新たな世界に行くことが怖かったのである。たとえ業務やノルマがきつい職場であっても給料は支払われていたし、働き続けていれば社会人としては認められていた。再就職に失敗したら、それこそ自分のアイデンティが壊れてしまうような気がした。


 この世界に来て、これまでの社会や自分から解放されたような気がした。全てが新しくなって、魔法まで授かって、生まれ変わったような気がしていた。


 だというのに、この世界でも困難に食らいつく瞳に出会ってしまった。自分の人生に食らいつき、敵に食らいつく、世間知らずで負けず嫌いの瞳。


 その瞳が怖い。


 賢い選択を続けてきたはずの自分を否定されそうで、とても恐ろしい。


「お前は、前の世界の人生を嘆くためだけに生きているんだな」


 セバッテは、ユアの顔を力いっぱい殴っていた。今までだって殴らなかったわけではないが、この拳ほどに力はこもっていなかった。


 感情をこめられた拳を受けたユアは、口の中から歯の欠片を吐き出す。歯が折れるほどの拳を受けながら、ユアには表情の変化はない。


「お前のような子供に何が分かる!お前には、人生の失敗なんて分からないだろうな!!あの世界で、弱い立場に追いやられた人間がどんなに惨めな思いをさせられて生きるかを……」


 無意識のうちに、セバッテの手はユアの首に伸びた。少年らしい瑞々しい皮膚に、目立ち始めた喉ぼとけ。


 男になりきってはおらず、だからといって子供でもない首筋だった。その首に、セバッテは手をまわす。


「殺してやる……!お前みたいな餓鬼は、生かしておくべきじゃない。殺してやる!!」


 首を絞められたら死の恐怖を感じるだろうと思ったのに、ユアの表情はやはり変わらない。死の恐怖を全く感じていないユアの様子が、セバッテは恐ろしく感じられた。


「弱い立場も惨めな思いも知っている。死にたいのに死ねないのは苦しいな……」


 その言葉の先は、ユアの息が止まったせいで聞こえなかった。セバッテの掌が軌道をふさぎ、ユアの呼吸を妨げたのである。


 これで、ようやくセバッテの悪夢は終わる。こちらの世界での屈辱の悪夢を終わらせることが出来るのだ。



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