第31話炎の魔法使いは全身と寮を焼く


「カザハヤ!」


 名前を呼ばれたカザハヤは、次の瞬間にはユアに首根っこを掴まれて投げられていた。惚けたりしていたわけではないが、何があったのか理解が追いつかない。


 ユアの部屋から出てきたと思しき女が、ユアと対面していた。分厚い手袋をした女の両手は燃えており、焦げ臭い香はそれらしい。


「学園の生徒じゃないぞ。外部の魔法使いってことかよ」


 カザハヤの判断は、間違っていない。

生徒や教師が廊下で魔法を使うなどありえないからだ。ましてや、それが建物に燃え移る可能性がある炎の魔法ならば尚更に。


「シデリア……。メレナーデを助けた時に、セバッテの隠れ家の見張りをしていた魔法使いか」


 シデリアと呼ばれた女は子供のように小柄であるが、その顔のいたるところには醜い火傷の痕がある。年頃の女性とは思えない醜さと痛々しさに、カザハヤは思わず顔を背けそうになった。


「セバッテ様からの伝言がある。……『短くした髪も似合うな。長かった髪を馬の手綱みたいに引っ張ることが出来ないのは残念だが安心しな。あの時に言ったみたいに犯してやるからよ』」


 シデリアの伝言を聞いたユアは、わずかに眉を動かす。だが、表情の変化はその程度だ。嫌悪などの感情は見られず、視線も目の前の女からは外れない。


「けれども、私は許せない。私だって抱いてもらえないのに、あの方はどうして敵ばっかり!!」


 女の両腕の炎はさらに強く燃え上がり、ユアとの距離が詰められる。だが、攻撃はユアの方が早かった。


炎の熱さも恐怖も感じないかのように、ユアは女の鳩尾に蹴りを入れた。シデリアの身体は身長の通りに軽いらしく、ユアの蹴りであっても簡単に吹き飛んでしまった。


最も、ユアの蹴りは見た目通りの威力ではない事をカザハヤはすでに知っていたが。


「くそっ、やっぱりだ。こいつは、熱さを感じてない。だから……私の炎にも恐怖心がない」


 炎が消えたシデリアの腕からは手袋が焼け落ちて、顔以上に酷い火傷が露わになった。シデリアは炎を発生させる魔法使いだが、皮膚は耐熱性ではないらしい。


そのために、自らの炎に焼かれてしまうのだ。分厚い手袋は、少しでも自分を炎から守るためのものなのだろう。


「でも……許さない。あの方を誘惑する敵が許せない!!」


 獣のように吠えるシデリアだったが、彼女が気が付いた時にはユアが目の前にいた。距離を詰められたシデリアは、咄嗟にユアから離れようとする。ユアの手はそれを追いかけて、彼の拳がシデリアの顔面を狙った。


 打撃で顔面を狙うことは、理性的に考えれば何もおかしいことではない。けれども、女性の顔を殴るという事にカザハヤは忌避感を拭えない。


「この餓鬼!」


 殴られて収まるようなシデリアではなく、再び両腕に炎をまとわせる。そして、ユアの痩身を両手で包み込む。吠え盛る炎にシデリアとユアの身体が包まれ、女の甲高い悲鳴が響き渡った。


 その声を聞きつけた寮生たちが、いたるところから集まってくる。そして、目の前の光景に呆然とした。


火柱のなかに、人影が二つ。なにも知らない者が見たら、男女が心中しているようにも見えるかもしれない。


「いやぁ!熱い、熱い、あつぃぃ!!ダメ、最後まで燃えられない。敵と一緒に焼死できない。熱いぃぃ!!」


 炎が収まったと思えば、もだえ苦しむシデリアが廊下に転がった。その全身は火傷で爛れており、ぞっとするような姿かたちとなっている。


彼女の衣服も分厚く、それで守られている箇所は比較的ではあるが軽度の火傷ですんでいるようだ。だが、露出している顔などの火傷が酷すぎる。


 一方で、同じように炎に包まれたユアは涼しい顔をしていた。火傷をしていないわけではない。シデリアと同じように火傷を負っており、むしろ彼女のように分厚い服は着ていないので火傷は全身を犯している。なのに、ユアは叫び声の一つも上げない。


「敵、殺さないと……焼き殺されないと……殺さないと。私が殺さないといけないから」


 シデリアは何度も呟くが、手足すらも思うように動かないようであった。あまりに憐れな姿だ。


「誰か、ファレジ先生を呼んできてくれ」


 ユアは、そのように周囲に声をかけた。


シデリアは、セバッテのことを知っている。もしかしたら、セバッテの魔法を断定できるかもしれないとユアは考えていた。


 シデリアと同じように酷い火傷を負っているのに、ユアは熱さも痛みも訴えない。シデリアは、ユアが痛みを感じていないと言っていた。カザハヤは、その言葉を思い出す。


この光景は、その言葉を裏付ける。そうでなければ、ユアの状態は説明がつかない。


「シデリアちゃんってば、独断専行はダメだって言ったよね?」


 その声が響いた途端に、カザハヤの手足は動かなくなった。何かが起こっていることは確かなのに、何が起こっているのかは分からない。


 そうしている内に、生徒の一人の影からにゅっと得体のしれない物が飛び出た。いいや、それは人である。若い男が、影から飛び出てきたのである。


「そもそも、お兄ちゃんがここに来る予定だったんだよ。さっさと帰って、リリゼゼちゃんに治療してもらうよ。それとも、ヒステお兄ちゃんにおんぶして欲しい?」


 ヒステと名乗る男の笑みは、どこか胡散臭いものを感じた。どことなく商人を思わせる笑みは、利益をひたすらに追及する抜け目なさを感じる。


「おほっ?」


 おかしな声を上げたヒステの背中には、刃物が刺さっていた。刺したのは、ユアが操る人形である。カザハヤと戦った人形が、小さな手で懸命にナイフを握ってヒステを刺したのだ。


「君って、本当に謎だよね」


 人形はヒステからナイフを抜こうとするが、それから男は逃げ出した。ユアと同じように痛みを感じないのかとカザハヤは疑ったが、ヒステの表情はわずかながら歪んでいる。彼のは、単なる強がりだ。


「身体強化を使っているのは間違いないのに、人形を操ったりする。一体、どんな魔法を使っているのか……」


 考え付かないとヒステは言いたかったのかもしれない。


 だが、その前に人形によってヒステの喉が切り裂かれた。寸前で避けて致命傷は避けたようだが、ヒステの出血量は多い。


ヒステの喉を切り裂いた人形は、彼の背中を刺した人形ではない。別の人形だ。


ヒステはカザハヤと違って、ユアが二体の人形を操ることが出来るとは知らなかったのである。


「このっ!!」


 ヒステは喉の傷を抑えながら、シデリアの元に走った。そして、彼女の腕を掴む。


「シデリア君が、君を敵視する理由が分かるよ。君の魔法は、酷く特定が難しい。だからこそ、セバッテには厄介すぎる相手だ」


 ヒステは、シデリアを連れてカザハヤの元まで走った。反撃しなければならないと思うのに、カザハヤは体が動かない。これは、きっと恐怖だ。初めての実戦を目の前にして、足が震えていたのだ。


「くっ!」


 カザハヤは思わず目を瞑ったが、自分の身に何かが起こることはなかった。それどころかヒステとシデリアの姿もない。


二人が自分の影から逃げていったのだと知ったのは、他の生徒たちが会話をしていたからだった。カザハヤが恐れて目を瞑ったのにも関わらず、敵の動きを目をそらさずにいた生徒がいたのだ。カザハヤには、それがとても悔しかった。


「お前たち、怪我はないか!ユアを治療したら他の怪我人も治すから、その場で待機していろ!!」


 生徒たちに連れられてきたファレジが、まず初めに大やけどを負ったユアの治療に専念する。痛みを感じていないユアは、その治療を粛々と受けていた。


「服の上からだと火傷の状態が分からないからな。服を切るぞ。脱がすと火傷で癒着した皮膚を剥がすことになる」


 ファレジがそう言うや否やユアの焦げた服はあっという間に切り刻まれてしまって、その場に集まっていた生徒たちはぎょっとした。下着まで切り刻まれたので、この場が男子寮だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


 だが、ファレジの判断は正しいものだった。ユアの火傷は全身に及んでおり、その酷さは想像以上だ。こんな状態であっても何ともない顔をしているユアの姿が、カザハヤには本物の人形に思えた。


「分隊長……部下からのお願いだ。火傷を甘く見るな。火傷は命を落とす可能性がある怪我だ。いくら痛みを感じないと言っても、出来る限りは怪我はしないでくれ」


 ファレジの小さな囁きが、カザハヤには聞こえた。それは祈りのような言葉だ。


「分隊長、ファレジ。大丈夫なのか!」


 リッテルが駆けつけた頃には、ユアの火傷はきれいさっぱりと治っていた。そして、だからこそ廊下の真ん中で服を切り裂かれただけのようにリッテルには見えたのだ。


「他の生徒の前で全裸にするな!!それは虐待を通り越して、虐めだぁ!!」


 そんな叫び声をあげたリッテルは、ユアの全身を隠すように抱きしめる。一方で、ユアはこんな時にだって無反応だ。


「教師が生徒を虐めるなんて、絶対に許されないからな!心の健全な成長に影響するんだぞ」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐリッテルを余所に、ファレジは他の生徒たちに怪我がないかを確認していた。ユアはため息を吐きながら、自分を抱きしめるリッテルの腕を叩く。


「今から事情を説明する。学生ごっこを出来るような状況ではなくなった」




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