マリオネット軍人は学園生活で嘔吐する
落花生
第1話最年少分隊長は馬車に揺られる
偉い人間は移動に必ず馬車を使っているが、あれは実のところかなりの我慢を強いられているのではないかとリッテルは考えてしまった。凸凹が多い田舎道で馬車にのっていると尻がリズミカルに弾むのだ。
乗っている馬車が軍事用のものだから、こんなにも乗り心地が悪いのだろうか。だが、リッテルが見る限りは、高価な馬車も安物の馬車も作りが違うようには見えない。
「ノレラ地方で、捕虜同士の交換が行われました。こちらに返還された捕虜の名前は……」
過酷な揺れのなかで、軍服姿のメレナーデが書類を読み上げる。ショートカットが凛々しいエリート女性軍人である彼女は、揺れなどないかのように背筋を伸ばしていた。メリナーデは乗り物には強い質らしいが、リッテルにしてみれば見ているだけで乗り物酔いを起こしそうな光景であった。
リッテルよりも乗り物に弱いファレジは、新鮮な空気を求めて窓際に座っている。いつもならば部隊の最年長として堂々としているというのに、今ばかりは初老という年齢相応に背中が丸まっていた。人よりも大きな体格が縮こまっている姿は、弱った大型犬のようにも見える。
「部隊長。メレナーデの姉さんが過酷な揺れのなかで書類を読み上げてくれているんですから、サボらないであげてくださいよ」
リッテルの目の前では、体の力が抜けてしまっている少年がいる。三十代のリッテルからしてみれば、幼いともいえる年齢の少年であった。
細すぎる彼専用に仕立てられた軍服の中身は、わずか十六歳。一般的には、まだ学生でもおかしくはない年齢だ。軍服を当たり前に着るような歳ではないし、ましてやエリート女性軍人を従えているような事などありえない。
「常に魔法を発動させているのは疲れる。このような時にしか休めないんだから良いだろ」
少年の名は、ユア。
こう見えて、このなかでは一番階級が高い軍人である。もっとも馬車の背もたれに体を預けて、ぐったりと力を抜いている姿はそうには見えない。一見すれば疲れ切っているような体勢であったが、その秀麗な顔には疲労の色はなかった。
「リッテル、分隊長に失礼だぞ。ここに来る前も書類に埋もれていたのに、処理しきれなくて移動中にも仕事をしなければならなくなった分隊長を労われ」
怒りを露わにするメレナーデに、リッテルは「はいはい」と気のない返事を返しておいた。非常の珍しい女性のエリート軍人であるメレナーデは、十六歳の少年軍人ユアに首ったけだ。彼女の目にはユアが神様にでも見えているらしく、彼の命令ならば泥水でも飲むだろう。
メレナーデが入れ込むのも仕方がないと思えるほどに、ユアは整った顔立ちをしている少年だ。黒の切れ長の目にはどことなく艶があり、手足も長くてすらっとしている。軍人というには細すぎるぐらいだが、十六歳という年齢から考えれば平均よりもやや細身という程度だろう。
「しっかし、隊長も何で俺たちを呼び出したんでしょうね。あっ、今は学園長でしたっけ。人事異動後って、本当に面倒ですよね」
リッテルたちの国では一年前に他国との終戦を迎えたが、まだまだ予断を許さない状況が続いている。戦争がいつ再開してもおかしくはない状態であった。
その一方で、戦争中に増やした兵士の維持が問題にもなっていた。いつ戦争が起こるか分からないために、兵士を解雇するわけにはいかない。だからといって、無駄飯を食べさせているほどの余裕はない。
そのため、国が考えついたのは軍に所属させながらも別の仕事に就かせるという方法であった。つまりは、出向である。ユアの部下だったリッテルたちは、彼の補佐という形だったので出向の対象にはならなかった。だが、ついに声がかかったのである。しかも、何故か部隊の全員で。
「隊長が学園長をやっている学校で教職員でもやれって言うんですかね。あそこでは魔法を教えているらしいし、俺も一応は教員免許を持ってるし」
何気ないリッテルの言葉に、メレナーデはひどく驚いた。
「貴様……教員免許なんて、持っていたのかっ!子供に悪影響しか与えそうにないのに」
メレナーデの言い分は酷いものがあったが、リッテル本人もそうだと思っている。そうでなければ軍人なんてものにならない。
「気の迷いで取ったんですよ。父親が教師だったし、周りの勧めがあったしで。そこで初めて向いてないって気が付いたんですって」
人生には寄り道が必要だ。それに教員免許があったからこそ、ユアの部隊に配属されたようなものである。
「それにしても、分隊長はやっと髪を切れたんですね。戦場でも伸ばせって言われて大変でしたよね」
リッテルは、隣に座っていたユアの黒髪を指で梳いた。さらさらの手触りの髪は、戦場ではなかったものである。水すらも貴重品である戦場では、洗髪は制限されるのが普通だ。だからこそ、女性もショートカットが求められる。
そんな中で、上官命令でユアは髪を伸ばすことを義務づけられていた。ユアの活躍は華々しく、戦場の英雄と呼ばれるまでになっていたからである。ときには一人で何十人もの敵を殲滅させて窮地に陥った仲間たちを救ったり、単独の任務で目標を惨たらしく殺したりもしていた。ユアの存在は仲間を鼓舞し、敵を恐れさせた。
上官は、そんなユアが旗頭になることを望んだのだ。
だからこそ、目立てと命令されたのである。
そんな理由があって、ユアは髪を伸ばした。
戦場に立つ少年の姿は目立ち、彼の存在に鼓舞された兵士の士気は向上した。そうして担ぎ上げられた少年は、常に頭皮のかゆみと戦うことになったのだ。
髪を洗うことが出来ないなかでの長髪は、地獄の一言だった。遠目から見れば艶のある黒髪は何日も洗髪が出来ないせいで脂ぎっていたし、湿らせたタオルで拭く程度では匂いが誤魔化せなくなれば香水を頭からかぶったりしていた。おかげで艶やかな黒髪の少年からはさわやかな香りがすると評判になったが、舞台裏はなかなかに悲惨だったのだ。
「髪を短くして良いとようやく許可が下りたからな。自分で切ったけど清々した」
自分を苦しめた髪に、ユアは未練はなかったようだ。
リッテルやファレジとしては、気持ちも分からなくもない。ユアぐらいの年齢のときは、自分の髪など気にしてもいなかった。一方で、メレナーデは悲鳴を上げた。
「分隊長の御髪が!カラスの濡れ羽色の御髪が捨てられてしまった!今度切ったら私にください。胸元に入れて持ち歩きます!」
絶叫するメレナーデの手の中で、書類が皺になっていた。リッテルはそれを回収して、一つにまとめておく。
メレナーデはユアに心酔しており、この程度の奇行は日常茶飯事だ。黙っていれば知的な美人だが、ユアが近くにいれば口を閉じてくれないので変人にしか見えない。
「……ようやく、着いたようだな」
目的地である学園にたどり着き、ファレジは大きく息を吐いた。車酔いが酷い彼にとっては、地獄のような道のりであったのだろう。
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