第19話感情が死んでしまっていた操り人形(リッテル)
リッテルの予想通り、どんな死が目の前に出現してもリッテルの心は動かなかった。自分の心というのは、無痛症だったのだ。死を目前にしたって、痛むことはない。軍人というのは、リッテルにとっては天職だった。
ハデアは、そんなリッテルに声をかけた。リッテルの経歴を調べた上で、それを見込んでスカウトしたいと言われたのだ。
教師としての自分は失敗作だとリッテルは伝えたが、ハデアは構わないと答えた。むしろ、失敗作の方が都合がいいのだと。
「君が、これから教育するのは人形だ。私の意思通りに動くマリオネット。だから、心を通わせたりする必要はないんだよ」
魔法使いではないハデアは、前線の経験がない。その頭脳でもって軍に貢献しているが、戦わない人間が認められないのが軍という特異な組織である。部下たちの支持を得るには、戦歴が必要なのだ。
だからこそ、ハデアは欲していたのだ。
自らに従う魔法使いを――自分の代わりに前線で敵を屠ってくれる人形を。自分が操ることができるマリオネットを。
「はじめまして。ユアといいます」
リッテルが引き渡されたユアという子供には表情がなかった。感情がないとも言い換えることができるのかもしれない。少なくともリッテルはそう感じた。
「君は、この子と一緒に住んで生活のいろはや勉強を教えてやって欲しい。むろん、給料は弾むよ。私個人からボーナスも出そう。大変だと思うけど、一人の子供に向き合うなんて教師を目指した君には遣りがいのある仕事だと思うよ」
ハデアからの依頼は、金銭面では確かに魅力的だ。自分が教員としてはどうかとは考えずに、リッテルは金のために引き受けることにした。一兵卒として給料は安いもので、親への仕送りもままならなかったので丁度いいと思ったのである。
教師を目指していた際には、学費の面で親に大きく迷惑をかけてしまった。それなのに、教師にはならなかったという負い目がリッテルにもあったのである。
ユアには、小さな一軒家が支給されていた。街外れの人気のない場所に建てられた家は、外界から隔離されていたと言っても良い状態だ。軍関係者以外に尋ねて来る者はおらず、食料は送られてくるために買い物に行く必要もない。
「ユア。これからは、二人で生活するわけだ。ハデア隊長には身の回りのことは一通り出来るようにしろって命令されたから、それなりに厳しく指導するからな。まぁ、一緒に生活をするんだから先生とは呼ばなくていい。リッテルと呼んでくれ。お前のことは、そうだな……生徒のユー君とでも呼ぼうか」
おどけた様子で自己紹介して子供心を掴みたかったが、ユアはリッテルに興味を持たなかった。冷たいとも言える態度に、リッテルは苦笑いをするしかなかったのを覚えている。リッテルが触れ合った子供のなかで、ユアは間違いなく一番面倒くさそうな人間だった。
「料理はしたことがありません。あと、洗濯も。掃除はちょっとあるのかな……」
指を折って、ユアは自分の出来ることを数えた。十一歳のユアは、リッテルが考えている以上に出来ることが少ない。
普通の家庭であれば、よっぽど裕福でないかぎりは親の手伝いを通して家事を覚える。だというのに、ユアは真っ白だった。
「ユー君は、今までどういうところで生活をしていたんだ。普通だったら、掃除と洗濯のやり方は親から教わって覚えるぞ」
リッテルは、呆れながらも炊事家事をユアに教えた。教師として勉強を教えた経験しかなかったが、リッテルだって大人である。身の回りのことは一通りすることができた。
「小さい頃から病院の施設にいました」
ユアの言葉の端々から、幼少期の彼は病院にこもりっきりだったということは分かった。世間知らずとまではいかないが、ユアの所々にある空白はそのせいのようだ。
「一緒に生活していくんだから、敬語はそろそろ止めようか。ユー君も息が詰まるような言葉は嫌になって来ただろ」
ユアとの生活に馴れたことに、リッテルはそのような提案をした。ユアの敬語がいつまでもとれないというのが理由である。
病院育ちのユアは、大人に囲まれて育ったのだろう。だから、敬語がすっかり身についてしまっているのだ。これは、周囲の大人が敬語ばかり使っていたせいだと思われる。
子供の成長は、周囲の環境に影響される。
ユアの敬語は、大人の医者たちが敬語を使っていた影響だった。
「それは、必要なことなんですか?」
ユアは不思議そうな顔をした。
敬語を使えるということは、好ましいことである。だからこそ、今までは誰も他の言葉使いを教えなかった。
しかし、子供同士の会話には敬語は固すぎる。下手をすれば虐められる原因になりかねない。この時のリッテルは、いつかはユアが学校に通うようになると思っていた。
今の生活は、病院で育ったユアが普通の生活に馴れるまでの練習期間であると考えていたのだ。
「子供の会話に敬語はいらないの。敬語は目上の人と喋るためのもので、同等の立場の人間には使わないのが普通だ。もう少ししたら、学校に行くようになるんだから慣れていかないとな。さて、今日は俺が夕飯を作るよ。ユー君は、なにが好きかな」
「なんでも食べるけど、しいて言うなら苦手なのは重湯」
リッテルは、首を傾げた。
彼の人生のなかでは、今まで重湯という食べ物は存在しなかったのだ。ユアに説明を求めたところ、重湯というのは米という植物を煮込んだ粥の上澄みだという。
米を使った粥が一般的なパン粥のようなものらしいので、上澄みといえば水分でしかない。米は卵やバターを使うパンよりもあっさりしているので胃には負担をかけないらしいが、普通の子供ならば目にかかる機会はないような料理だろう。
「重湯は絶対に出さないから安心していい……。うん、絶対に出さない」
リッテルが遠い目をしたせいだったのだろうか。その日から。ユアは「重湯が苦手」とは言わなくなった。ただし「ユー君は止めてください」とは言った。
ユアは、リッテルの話をすぐに理解してくれる。ユアは頭の良い生徒で、授業の飲み込みも早かったのだ。
十一歳だというのに初等学校の教育課程を修了させていたし、中等学校の勉強にも問題なくついてきていた。ユアの知識は若干偏っている部分があったが、彼の好奇心は旺盛だ。
稀に、大人顔負けの専門知識を持っている子供がいる。そのような子供は、全ての関心が専門分野に向いてしまっているのだ。
それは、大人になったら多くの人間が失ってしまう能力である。その能力をユアは勉学に向けていたのだ。
だからこそ、ユアの学習は順調すぎるほど順調に進んだのだ。
「こんなに勉強ができるなんて、ユアの親は鼻高々なんだろうな。ユアは、ハデア隊長の親戚なのか?」
リッテルは、ユアのことをハデアの親戚の人間だと思い込んでいた。聞いた話ではハデアは結婚していないし、ユアの父としてはハデアは若すぎた。
「義理の息子だ。魔力が高かったから、引き取られて魔法使いとしての教育を受けるようになった。でも、僕を育てたのは別の人」
この頃になるとユアは、だいぶ感情を出せるようになっていた。どのような理由があって、ユアが表情を失ったのかをリッテルは知らない。けれども、ゆっくりと彼は心を開いているように見えた。
だからこそ、油断もしていた。
言い訳をするならば、気がつきようもなかった。
ユアの心の傷は巧妙に隠されていて、どこにあるのかもリッテルには分からなかったのだ。ユアが自分を育てた人間のことを話そうとした瞬間に、彼から表情は消えていた。
その代わりに奇妙に大人びた独特の雰囲気を醸し出していたのを覚えている。
「ハデア隊長は、ユアと遊んだりはしなかったのか。教育を家庭教師に全部まかせるだなんて、俺の前にもユアに勉強を教えていた人はいるんだろう」
出来る限り、リッテルは明るく振舞った。自分に釣られてユアが笑ってくれたら良いと思ったのだ。けれども、思惑は外れた。ユアは、ちっとも笑ってはくれなかった。
「ああ、そうだよ。でも、その人は俺のせいで死んだ。リッテルも俺とあんまり仲良くしていたら、きっと死ぬんだよ。ハデア隊長が言っていた。俺が弱いから、死ななくてよかった人間が死ぬんだ」
そこには、触れてはいけない何かがあった。
問題のある子供が持っている闇の気配である。かつては女子生徒から感じ取れなかった気配が、今のリッテルには感じ取ることが出来ていた。
「ユア……あのな」
子供が弱いのは当たり前で、それによって亡くなる命はないと言いたかった。けれども、言ったところで変わりはないだろうという予感があった。ユアの誤解を解けるのは、嘘を信じ込ませた人間だけなのだ。
恐らくだが、嘘つきはハデアだ。
ユアを自分のマリオネットにしたいから嘘をついたのだ。
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