第14話動けなくなった上司と乗っかりたがる部下
寮は男子と女子に分かれているが、生徒と教師には分かれていない。寮母は一応いるが、何かがあったら教員が対処しろと言いたげな部屋割りである。
そのせいもあって、リッテルは消灯後に軽い見回りを自主的にしていた。下手な騒ぎが起こって、就寝中に起こされる確率を下げるためである。
寮のトラブルは、大抵の場合は学生が起こる。いいや、違う。
ふざけた学生が起こすのだ。思春期真っ盛りの男子を集めれば、彼らは暴走する。リッテルも自身の学生時代には女子寮に忍び込んだりして、窓ガラスを割った思い出がある。
そのようなトラブルは、消灯前から準備が開始されていることが多い。そして、消灯後に行動を開始するのだ。だからこその、消灯後の見回りである。
なお、今まで五人組が女子寮に忍び込もうとしたり、三人組が夜食を食べようと食堂に忍び込んだりしていた。一人で寮の前に落とし穴を掘ろうとしている学生もいたので、彼は保健室の先生に面倒を見てもらうことになった。
夜中で寮の前に穴を掘るなんて、なにかあったに決まっている。このような生徒の心の問題は、本職の先生にしか頼れない。
そんなふう発見が多い夜の見回りだが、その日は生徒が落ちていた。廊下でうつぶせになって倒れており、死んだように全く身動きしない。普通だったら焦るところだが、リッテルには覚えがある光景だった。
「ユア、動けなくなったのか?」
リッテルの呑気な声に、不機嫌そうな口調で「動けなくなった」と返答が帰ってくる。魔力切を起こしたユアにとっては、今の状況はとても不愉快なものであろう。いつもならばしっかりと自分の魔力の残りを計算しているユアだが、慣れない環境もあって狂ってしまったらしい。
馴れた様子で、リッテルは動かないユアの身体を持ち上げる。ふと、ユアの口元がわずかに汚れているのが見えた。
「……口のなかをゆすぎに行くところで倒れたんだな」
触れ腐れたユアの表情を見るに、リッテルの言葉は正解のようだ。学校生活でぎりぎりまで魔力を使ったせいもあり、トイレで嘔吐した帰りには魔力切れを起こして動けなくなったのだろう。
ユアが夜間に嘔吐していたせいで、今までリッテルは体調の変化に気がつかなかった。さほど慌てた様子がユアにないので、学園にやってきてから彼は何度か吐いている可能性がある。
リッテルは、ため息を吐いた。
魔法の発動時間中に嘔吐してくれて助かった。魔法が切れた後に嘔吐していたら、窒息していた可能性がある。それを考えれば一人で寝させることすら危険だが、さすがに生徒と教師を同じ部屋にするわけにはいかない。
「……クラスで、話せることがないんだ。他の人間は故郷のことや親のこと、家族のことを話していた。それが会話のきっかけになっていた。でも、僕にはそれがない」
ユアを抱き抱えながら、リッテルは少年の独白を聞いていた。戦う以外は、ユアは何も持っていない。学園で同年代と過ごすということは、それを目の当たりにするということだ。
「軍にいたことは、人と話すのが楽だった。任務の事とか訓練の事……話すことが沢山あった。……上司や部下の愚痴とかも言っていたし」
申し訳なさそうに話すユアに、リッテルは笑った。ユアの世界が広がっていることは知っていたが、愚痴を言い合えるような仲間も出来ていたらしい。素晴らしいことだ。
ユアは、やはり軍にいるべきなのだ。そちらの方が精神的に安定しているし、なんでも言い合える人間関係も構築されている。
特異な育ちをしたユアは、同世代の共同生活に慣れてはいない。小学校に通わせた時でさえ、早々に嘔吐したので通学を止めさせたほどだ。
「軍に戻れるように隊長……学園長に掛け合ってみるからな。軍に戻れるようにしてもらって、楽になればいい。学校だけが人生ってわけでもないし」
戦争が終わり、ようやく安らぎを得たのだ。必死になって勝ち取った平和を甘受する場所が、ストレスになっていたら元も子もない。
「……ハデア隊長には言うな。あの人の命令に従いたい」
ユアの言葉は、健気とは言えない。
上官に従うことしか知らないだけなのだ。
「ところで、ユア。手首が腫れているような気がするけど、俺の眼が悪くなったせいか?」
ユアの手は、目を背けたくなるほどに腫れあがっていた。普通の人間だったら耐え切れない痛みに襲われているはずなのに、ユアはあっけらかんとしている。
それどころかどこで痛めたのかも分からないらしく「体育のときに、変な使い方をしたのか?」と首をかしげていた。
「ファレジの旦那を呼んでくる。そんな手首でいたら、明日は騒ぎになるって」
寮での一人暮らしからして、リッテルは心配になってきていた。見張り代わりの同室者を置いていきたいが、生徒に協力者がいない状態ではどうにもならない。
リッテルはユアを部屋のベッドに寝かせ、ファレジの部屋に急いだ。ファレジの魔法は回復である。
つまりは、サポートに特化した魔法使いなのだ。弱点としては、回復は怪我の視認と患部に触れることが必要なことだろう。視認が必須条件なので、病気や体内で起きている出血などは治せない。
ファレジは、ユアの分隊における後方支援の要ともいえる存在だ。最年長故に精神的な支柱にもなっている頼もしい人間である。
「……」
その頼もしい人物の部屋に、縄で縛られたメレナーデがいた。吊り上げられた魚のように体を跳ねさせるメレナーデの姿は滑稽であったが、理由が思い当たることにリッテルは頭痛がした。
「窓から侵入してきた。警備を強化するなら、窓も見直した方がいいな」
ファレジによれば、メレナーデは窓を登って侵入してきたらしい。男子学生だって、なかなか見せない執念だ。リッテルが捕まえた男子生徒たちでさえ変装こそしていたが、玄関から女子寮に侵入しようとしていた。
「メレナーデ……。なんで、お前が男子寮にいるんだ?」
なんとなくは分かるが、一応は聞いてみる。メレナーデは、悔しそうに呟いた。
「この時間なら、分隊長は魔力を使い果たして動けないと思って……。上に乗っかって、ハジメテをいただこうとしたの」
遠慮のない一言に、リッテルは仕事以外で初めて女を殴った。
「青少年の健全な育成を阻害するな!!」
曲がりなくとも教師が――成人がやって良いことではない。
「最初に私が脱いで、分隊長の服を優しく脱がして差し上げて、乗っかろうと思った。分隊長だって十六歳の青少年なんだから、女の裸体を見たらギンギンのはず!!」
欲望を詳しく喋れ、とは誰も言っていない。
というよりも、ユアは男としての機能を果たせるのだろうか。リッテルは、医者ではないので分からない。
「言っておくけど、犯罪だからな。成人は十八歳からで、それ以下の子供に手を出したらどんな理由があっても性犯罪だ!」
教師としても大人としても見逃すわけにはいかない。
戦場に身を置くに当たって、ユアの性教育は一通りすんでいる。戦場は、人の欲望が明らかになる場所でもあるからだ。だからこそ、ユアは一般よりも早い段階で性について学んでいた。無論、座学でだ。
「分隊長の最初の女になりたい。それでもって、分隊長が恋人や奥さんとヤルときには私の姿がチラついて欲しい!」
メレナーデの女の執念に、リッテルは恐ろしいものを覚えた。結婚したい交際したいというのならば、まだ分かるのだ。だが、最初の相手になって記憶に刻みこまれたいというのは男にはない発想だ。
「私と分隊長はかなりの歳の差があるから結婚は無理だし、部下と上司だからお付き合いする可能性も絶望的。ならば、無理やりでも最初の女になるしかないと考えた」
考えるな、とリッテルは心の底から怒鳴りたかった。上司が犯罪被害者で、同僚が犯罪者なんて最悪の関係性だ。しかも、未成年への性暴力で。
「……口づけぐらいならいいんじゃないのか?」
ファレジがとんでもないことを言い出したので、リッテルは開いた口が塞がらない。メレナーデとは違って、一般常識のあるファレジの言葉とは思えなかった。
「十六歳なら、口づけぐらいはするだろう。俺は、それぐらいだった」
学生同士ならば、それぐらいの年齢で経験するだろう。だが、大人と子供では話が違う。それだけでも犯罪だと訴えられる可能性がある。いや、可能性があるですませてはいけない。大人から子供への口づけは、立派な性犯罪の一種である。
「肉体関係が駄目なら、唇か……。物足りないけど、たしかにいきなりは分隊長には刺激が強そうだし。毎週一回のペースで馴らしていけば……」
メレナーデの妄想が加速し、ユアの部屋に行くために這いずり始めていた。縛られていたので、進んではいなかったが。
「ファレジの旦那……。メレナーデの姉さんを焚きつけるような事は言わないでやってくれよ」
「そうはいっても、普通なら戦場に立つ前に思い残すことはないように一通りの色事はすませておけとアドバイスされるだろう。普通だったら娼館にでも行って筆おろしをしてもらうが、ユアの年齢ではさすがにな。ならば、口づけぐらいは許されるはずだ」
ファレジの言葉に、リッテルは顔を引きつらせる。
部隊で一番の年長者であるファレジの常識は、とても古いのが玉に瑕である。
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