第9話あなたのために死ねると全裸の未来の部下に言われた(メレナーデ)



「昨日は、散々な目に合った……」


 朝一番で、リッテルはユアを連れて大浴場にやってきていた。込み合う時間は何十人もが一度に入る風呂だが、朝の時間帯に入るのはリッテルたちだけだった。


「髪が洗えるのが、こんなに幸せだとは思わなかった……。いっつも痒くて痒くて」


 洗髪の幸せを噛みしめているユアの姿に、リッテルは苦笑いする。ユアは戦場で旗頭を務めるために、ハデア隊長から目立つことを命じられている。そのために髪を伸ばしているのだが、水を確保しにくい戦場においては地獄でしかない。


 油でべとべとになった髪はカラスの濡れ羽色に煌めき、英雄らしいイメージに一役買っていた。だが、内情は悲惨なのだ。


「ユア、ちゃんとリンスも使えよ」


 風呂という閉鎖空間にいることもあって、リッテルは分隊長と呼ぶことを忘れた。シャンプーを洗い流してなおも目を瞑り続けているユアに、リンスのボトルを手渡してやる。


「しっかり手入れをしろよ。髪に馴染ませて五分ぐらいは放置して……」


 リッテルは洗い場に張り付けられている鏡に、動くものを見た。自分たち以外にも利用者がいたらしい。珍しいこともあるものだと思って、鏡越しに自分たちの後ろに立っている人物を確認する。


「でたぁぁぁ!!」


 リッテルの悲鳴に、リンスを髪に馴染ませていたユアが跳び上がった。髪の手入れ中は目を瞑る癖があるユアは、どうしてリッテルが悲鳴を上げたのか分からない。


「ユア分隊長!今日は、お話があってきました。隣にいる部下は邪魔ですけど、私の私を聞いてください!!」


 リッテルに悲鳴を上げさせたのは、全裸のメレナーデだった。昨日の事件の犯人だというのに、彼女の顔をリッテルは知らなかった。だが、男風呂に全裸で入ってくる女は昨日と同じくリッテルに恐怖を植え付ける。


 幽霊だと言われた方が、ずっとマシだった。


 リッテルはリンスを流していないユアを小脇に抱えて、脱衣所に逃亡する。後ろから「話を聞いてください!」とメレナーデが叫ぶが、十四歳の子供をつれたままで全裸の女と対話をする気にはなれない。


 幸いにして、脱衣所にはファレジがいた。服を脱ぎかけている彼に向かって、リッテルはユアを投げる。


「リッテルの旦那!ユアを頼む。俺は、痴女を何とかする。何とかするからぁ!!」


 痴女と大声で叫ぶ後輩に、ファレジは目を白黒させた。とりあえず、ユアは受け取っておく。投げられたユアも事態の把握が出来ていないらしい。なにせリンスが目に入るのが怖くて、彼は目を瞑ったままだからだ。


「ユア分隊長!!」


 全裸の女ことメレナーデが、浴室から飛び出してきた。ファレジは無言でタオルを握って、自分とユアの腰を隠した。


「私をあなたの分隊に入れてください、絶対にお役に立ちます!あなたのために死ねます!!」


 まずは前を隠せ、とリッテルはメレナーデを怒鳴りつけた。


 ファレジは、メレナーデにもバスタオルを投げる。メレナーデは、渋々とバスタオルを体に巻き付けた。


「ユア分隊長。私は先日助けていただいたメレナーデと申します。あの時……あなたの活躍に心を奪われてしまった……」


 この時に、リッテルは全裸女がメレナーデという軍人だということに気が付いた。たしかに、ユアとの任務で彼女を救出した記憶はある。ユアに助けられた人間が、彼に心酔してしまうということは今までにも何度かあった。


 軍人になるために生まれたような鋭い雰囲気と敵に屈することのない強さが、軍人たちの信仰の対象になるのだろう。最近では戦場で舞う黒髪の神秘性も相まって、信者が増えているような気さえする。


 しかし、全裸でやってくる人間は初めてだ。これまでは、どんなに失礼な人間でも礼をする際には服を着てきた。


「一生に一度のお願いです。ユア分隊長の部下にしてください」


 頭を下げるメレナーデだったが、それに納得ができるリッテルではない。


「帰れ。というか、誰を部下にするとかは分隊長に決定権はないだろ。ハデア隊長に頼めよ」


 いくらユアに頼み込んだとしても、分隊長では部下を選ぶことができない。ユアとの付き合いが長いリッテルとファレジが彼の部下になっているのは、ハデア隊長の思惑のためだ。ユアのことを全く知らない人間には託せないし、部下といっても時には保護者の役割を果たせる人間が彼には必要だった。


「ユア分隊長に認められてから、ハデア隊長の元に行くつもりです。それに私は分隊長の任を解かれて、今や裸一貫の身です。だから、こうして全てを曝け出した私を選んで欲しかった」


 だからと言って、全裸で迫ってくるのはいかがなものだろうか。喜ぶ男は一定数はいるだろうか、リッテルのように理解不能な行動に脅える男だっているのだ。さらにいえば、十四歳の子供に対して色仕掛けは色々と早すぎる。教育的にも良いものではない。


「そんな言い訳を聞くつもりはないからな。また全裸で現れたら、今度こそ上に報告する」


 リッテルは、メレナーデを睨みつける。


 彼女に付きまとわれていたらユアを休ませることができない。今は本部で休息をとっているが、すぐに前線に戻ることになるのだ。全裸女の奇襲におびえるような日々では、休まるものも休まらないだろう。


「私の情熱は止まらないんです。私は、ユア分隊長のために死ねる!」


 そう宣言されてもリッテルにはどうしようもない。リッテルに出来ることは、メレナーデを脱衣所から追い出すことだけだった。


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