第3話学園生活に反対するも変態同僚は大喜び



「ユアに学生生活は無理です」


 ユアたちと退室した後に、リッテルは一人でハデアの元に訪れていた。ハデアはリッテルの来訪を予想していたようであり、それに驚くことはない。相変わらず食えない人だとリッテルは思った。


「ユアは過去に同年代との子供と触れ合って、酷いストレスを感じた経験しています。分隊長の部下としてではなく、ユアの家庭教師としても学園生活は反対です」


 メリナーデが激怒するので隠しているが、リッテルはユアと同居していた期間がある。幼かったユアは上官のハデアの養子として教育を受けていたが、十歳から十三歳の間はリッテルが預かって教育をしていた。十三歳で入隊してからはお互い前線にいたので、共同生活は続いていると言えなくない。


「隊長は、ユアを軍人にするために育てたんですよね。ならば、軍にいるのがユアにとっての幸せです。大人として働いていたのに、いきなり子供に戻れてと言われても普通の人間だって戸惑うのに」


 リッテルは、ユアの家庭教師として触れ合ってきた。軍人として申し分ない戦果をあげるユアだが、一方で繊細さが垣間見せることがある。物言わぬ操り人形――マリオネットになるようにとハデアに教育されてきたせいだ。

 外界から遠ざけて育てられ、対等の立場の友人を作る経験すらない。ユアにあるのは、上司と部下の関係のみである。


「君が反対するのは予想していたよ。でも、ユアが子供としての生活に拒否反応を示したのは十一歳の頃だろう。あの時から、だいぶ成長をしているはずだ」


 ハデアには、ユアが学園生活を送ることが出来るという自信があるようだった。無駄なことはしない上官である。なにか確勝があるはずだとリッテルは考えた。


 ハデアという男は、非常に食えない相手である。幼いユアの才能を見出し、手元に置いて育てた。そうして自身の操り人形として扱えるようにして、その成果でもって軍のなかで自分の評価を上げたのだ。強力な魔法の使い手であるユアが恐怖を感じている相手は、この世でハデア一人だけであろう。


 魔法の才能などない男が、幼いユアにどのような教育を施したかをリッテルは考えたくはない。ユアが時より見せるハデアへの忠誠心は、虐待のトラウマを抱える人間が見せるそれだったからである。


「逆に言えば、もう十六歳になってしまいました。柔軟だった子供時代は、もう過ぎています」


 軍隊に馴れているなら、その規則正しく厳しい規律がある世界から離すべきではない。それに軍隊であれば、学園長になったハデアから離れることが出来る。


 ユアにとって必要なのは自分をトラウマを植え付けられるほどに厳しく育てられた人物の管理下から、少しでも離れることだとリッテルは考えていた。


「残念だけど君の意見は聞けないね。君は非常にユアのことを心配してくれるし、良い家庭教師でもある。けれども、ユアを甘やかしすぎる。子供の教育は、厳しすぎるぐらいで丁度いいんだよ」


 ハデアの言葉に唇を噛んだが、軍人として上官には逆らえない。ユアの家庭教師という肩書がなければ、このように意見することすら許されなかっただろう。


「……では、失礼します」


 リッテルは、そう言って学園長室から退室した。どうしようもない苛立ちを感じながら、速足で学園の廊下を歩く。


 この学園は新設されたものらしく、どの設備も最新のものを用意されていた。学園そのものも広く、近くには森や湖といった自然もあって環境もいい。


 街からは遠いが、寮が完備されているので実家がどこにあろうとも通学の問題もなかった。それどころか街にある数多くの誘惑から学生を遠ざけることが出来るとも考えられる。


 生徒が学ぶには、最高の環境であろう。親元から離すことで生徒の自立心を養うことが出来るし、教師陣も一流の人間がそろっているようだ。だが、ユアを入学させるとなると話が変わる。


 十一歳の頃に、ユアは一時期だけ初等学校に通学した。軍隊での集団行動の練習のためというのは名目上のことだ。


 この時から、ユアは折を見ては軍での生活をさせられていた。正式に入隊していないので、日中の訓練だけに参加するかたちだった。


 正式に入隊すれば衣食住を仲間たちと共にするが、十一歳の子供が大人の軍人たちと全てを同じくするのには無理がある。そのためユアは昼間は軍で訓練し、夜はリッテルと共に自宅に帰って勉学などの時間に充てていた。


 そんな生活ばかりではユアの精神的な成長に悪いのではないか考えたリッテルが、初等学校への通学を提案したのである。期限付きで経験生活は、はっきりいって散々なものだった。


 初等学校の勉強など大昔に終了したユアには授業の時間は苦痛であったし、軍で叩き込まれた団体行動と厳しい規律も初等学校にはなかった。今までの全く違う環境にいきなり放り込まれて、ユアは嘔吐するようになってしまった。


 嘔吐する直前までなんてことない顔でいたので、本人がストレスを隠していたのだろう。このままではユアが駄目になると判断したリッテルは、そこで学校生活を終了させたのだ。


 軍人あるいは操り人形として育てられた子供は、普通の生活というものに馴染めなかった。ここまでになってしまえば、ユアは軍にいたほうが幸せなのだ。


 軍にいれば、ユアが慣れ親しんだ生活がある。なのに、今になって再び普通の生活に戻れなど無茶が過ぎる。


「リッテル、見なさい。分隊長の神々しいお姿を!」


 割り当てられた自分の部屋に戻れば、メレナーデがユアを拝んでいた。


 ユアは、彼のために用意された制服を着ている。どうやらサイズの確認をしていたらしい。メレナーデの奇行に馴れっこになっていたファレジとユアは、メレナーデを無視するような形でネクタイの結び方を練習していた。


「落ち着いた紅色のブレザーは、分隊長の大人びた雰囲気に見事に寄り添い。チェックのズボンは、今だけしかない若々しさを際立たせる。清潔な白いシャツと赤いネクタイは、気品に溢れている!」


 メレナーデは、ユアの親より大喜びで彼を称えていた。ユアを神様だと勘違いしているメレナーデの賛美については、リッテルは気にしないことにする。そもそも学生服など大抵の若者に馴染むようにデザインされているのだ。


 ユアの学生服姿は、それにたがわず普通の学生に思えた。ズボンのデザインのせいもあるのか、軍服よりもユアの痩身が際立ってはいたが。


「ファレジ、メレナーデ、リッテル」


 ユアは、分隊長としてリッテルたちを呼んだ。その真剣な声色に、三人は背筋を伸ばす。彼らの姿は、軍人として上官に従うためのものだった。


「これから僕は学生で、お前たちは教師だ。だから、分隊長とは呼ぶな。僕もこれからは、お前たちを『先生』と呼ぶ」


 ユアの言葉に、メレナーデの膝が崩れる。


「そんな……分隊長を分隊長と呼べないなんて。それでは、ユア様としか呼べないじゃないですか」


 生徒に様をつけるな、と男三人は思った。


「まぁ、無難に『ユア君』ですかね」


 リッテルの言葉に、ファレジも頷いた。呼び捨てでも良いだろうが、リッテルやファレジはともかくメレナーデには無理だろう。そして、メレナーデの前でユアを呼び捨てにするのは抵抗がある。夜道で襲撃されそうだ。


「ユア君、ユア君、ユア君、ユア君……。ああ、なんて背徳的な響き。分隊長の麗しい名前をこんなにも呼べるなんて!」


 メレナーデは、なんだかんだで生徒としてのユアの呼び方を気に入ったようである。とても楽しそうだった。喜びを分かち合いたくはなかったが。


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