第36話

 ルークは頭のなかが真っ白になった。

「ど、どうしたんだ」

マダラは一瞬、視線を下げる。

 その目の奥には、敵意と疑惑、疑問、嫌疑が混じっていた。

「私、イケメンは信じないけど、このおっさんはもっと信じれない。だってあの人……私を殺そうとしたんでしょ」

鋭い眼差しをルークに向ける。グルなのではないかと疑われているのだ。

 確かにギルバードの部下が何度かマダラを捕まえようとしていた話は、ギルバードから聞いたことがある。しかしマダラがギルバードに出会ったのは、記憶が間違いでなければ、今日が初めてのはずだ。

 それなのに、なぜマダラは知っている?

 ルークは戸惑いを隠しきれなかった。

「蝶から聞いた」

尋ねるより先に、マダラの口から答えが返ってきた。

「いえ、正しくは見た、って言った方が近いわね。もう一度聞くわ。どういうつもりなの?」

ここで発言を間違えたら僕は死ぬだろうと、ルークは悟った。心臓の音が早くなるのを感じるが、まだ冷静さを失ってはいない。感情はまだ自分の制御下にあることを確認した。

 人に疑われている時は、自分の本心を伝えるのが一番だと考えている。逆に言えば、それ以外に説得できる方法は思いつかなかった。ルークは半分怒っているような彼女の瞳を、まっすぐに見返す。まっすぐに相手を見ることが、自分の誠意を伝えることだと信じていたからだ。

「……僕は……昔、ギルバードに騙されている。今回もそうだとしたら……僕も同じだよ」

ギルバードと一緒にされるのは非常に困る、と思った。こんなところで誤解を受けたまま死にたくはない。

「君はリラ図書館に行く権利がある。なぜって、図書館が君を求めているからだ」

「どうして?」

「それは僕は知らない。だけど、図書館がバタフライ・ドールを連れてこいとギルバードに依頼した以上、あの貴族が君を殺す利点は何一つない。だから、ありえないはずなんだ」

「じゃあどうして、私はあいつの家来に襲われたのよ?」

「それは……僕は直接会ったことがないから知らないけど、その人たちの性格があんまりよくなかったんじゃないかな?」

もしくは、ギルバードの説明が下手だったかだ。

 言葉が通じる相手だとわかれば、戦って捕まえるより話し合って協力関係を結んだ方がよほどいいと思うのだが、そう思わない連中に声をかけたのかもしれない。僕だって、ギルバードから説明を受けた最初は、どんな凶悪な魔物かと思ったぐらいだ。

 そもそも、関わりのないところで起きた事件の原因を聞かれてもわかるわけがないのだが、そう答えるより他は思いつかなかった。

「君は指名手配で追われている。街を出歩いていたら危険なんだ。それよりは、まだここにいた方が融通が効くだろうし、安全なはずだ。僕を信じてほしい」

ルークはマダラの目をじっと見て話した。

 もし自分の努力で助けられる命があるのなら……未だにどこか、そう期待する自分がいる。それは甘えなのかもしれないし、現実逃避にしかならないかもしれない。

 それでも嘘偽りなく、今の気持ちを伝えたつもりだった。

 本心から話せば、わかるはずだ。諦めなければ、伝わるはずだ。

「……」

マダラは考えている様子だったが、やがて、そっと手を離した。

「……わかったわ」

「理解してくれてうれしいよ」

ルークがそう言うと、マダラは首を振った。

「納得したわけじゃない。でも信じてあげる。だってルークは私のチョーカー、引きちぎれないでしょ?」

「……!」

予想外のセリフに、喉をつまらせると、

「やっぱり」

マダラはふふふと笑い声を立てる。アンと似ているから、無理だと言いたいのか。

 実際にもし仮に、マダラを……と思いかけて、すぐに結論が見えた。おそらく先に死ぬのは自分になる自信がある。

「いや、わからないよ」

 そう思う一方で、からかわれると、つい反射的に言い返してしまう。言ってしまってから、まずいと思いマダラを見たが、彼女は笑い顔を口の端に残しながら、

「どういう意味?」

と尋ねてきた。冗談と受け取ってくれたのだろう。気を悪くしたようではないと知って、ルークは安堵した。

「君より人生の経験は持っている」

答えながら、ルークはこれから先のことを考える。

 図書館に行く権利がある、とは言ったものの、マダラが実際に行くのには、乗り気にはなれない。ほとぼりが冷めるまで、ギルバードが匿ってくれるのが一番だ。しかしギルバードは、一刻も早くこの問題から解放されたがっている。なかなかそううまくはいかないだろう。

 「そういえば、さっきは——」

話を切り出そうとしたちょうどその時、再び扉が開き、会話がピタリと止まった。羊皮紙とペンとインク壺を持ったギルバードが戻ってきたのだ。

「楽しそうな話し声が聞こえてきたよ。混ざってもよろしいかな」

さっきまで危うく殺されかけたのだが。内容までは聞こえなかったらしい。それよりも、彼が軽口を叩くのが信じられなかった。それほど上機嫌な姿は、今まで見たことがない。

 ギルバードは持っているものを机に置くと、ソファに座り直す。座ったタイミングで、マダラが口を開けた。

「私がリラ図書館に行くと何があるの?」

「ちょっと」

ルークは小声で注意を呼びかけようとする。敬語も敬意もない様子に、肝が冷える思いがした。しかも聞く内容が直球すぎる。

 しかしギルバードの上機嫌な気分を害するには至らなかったらしく、むしろマダラが話し出したことに興味が湧いたようだった。

「ほう、それが気になるのかね?」

「もちろんよ」

マダラは、今度はギルバードの本心を問うように見つめた。せっかくならギルバードの腕も掴んでもらいたいものだと思ったが、残念ながらマダラはそうしなかった。

 ハキハキとした返を好意的に受け取ったのか、ギルバードは頬を上げて笑う。その表情に知的な感じがあった。

「聞くところによると、人々の記録を保存する場所であり、聞くところによると新しい技術の研究機関とも呼ばれている。はたまた歴史あるところ。ともね」

そこまで言い終わると、ギルバードは一度、息を吸った。

「私の家も曽祖父の代からその時の皇帝に帰順した。その頃からガンドレッドは国として急成長を遂げていくんだが、その時からリラ図書館の名前はあったと言われている。当時は『図書館』とただ呼ばれていたみたいだがね。当時の皇帝がそこを訪れた時、敵国の王や将軍の様子が手に取るように分かったそうだ。それで戦さに完勝した。しばらく図書館の存在は秘密にされていたが、リラという第三妃がその存在を口にしたために、一部の間で知れ渡った。それでリラ図書館と言われるようになったのが、名前の由来だ。

 リラ図書館に招待されるのは、とても名誉なことだよ。人生がいくつあっても、普通に生きているだけでは入ることはおろか、その存在を知ることさえ難しいのだからね」

 ギルバードは恍惚と述べる。

その説明を聞いているマダラは、なんだかよくわからない、難しい話を聞いている表情をしていた。

「それで、行ったら何があるの?」

「それは行ってからのお楽しみだ。歓迎されるのは間違いない」

要領を得ない言い方をしているのは、結局のところ、ギルバードも図書館に行ったことがないからだろう。ギルバードは話を終えると、丸まった羊皮紙を机の上に広げる。

 上質でなめらかな紙だった。そこに存在価値を見出しているせいなのか、ただの紙のはずなのに、威容な雰囲気を受ける。整った壮麗な文体で、「リラ図書館 招待状」と書かれていた。

 細かい字で十数行にも及ぶ長ったらしい説明があり、その下の空白にはラインが引かれてあった。そこが名前を書く場所だと、パッと見ただけでもわかる。

「この招待状を手にしたものはリラ図書館来訪の権利を有する。来場にあたって〜」

ルークは最初の一行で読むのをやめた。最後に「リラ図書館管理人 ホン」と著名が書かれている。

 ふと隣を見ると、マダラは食い入るように招待状を見ていた。

「まず始めに、ここに名前をサインする必要がある」

ギルバードは下部の空欄に指を当てる。

「それから……」

 説明を聞いていると、突然、ドアがノックされた。

「ギルバード様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

男性秘書らしき人が遠慮がちに声を出した後、そっとドアを開ける。ギルバードの眉間に一瞬皺がよったのが見えた。

 このタイミングで入ってくるのは、

「お客様がいらっしゃいまして……」

「誰だ」

「それが……センターから使者が」

その単語に、マダラの表情が固くなったのが見えた。顔を見合わせる。おそらく彼女と考えていることは同じだろうと、ルークは思った。

 ギルバードは召使を見ていたせいで、声のないやりとりは見えなかったらしい。

「……わかった。最近騒がしいな」

おもむろに立ち上がると、

「先に書いといてくれ」

と言って、席を外した。

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