第18話 どっちかというとハチでは

 その先に人が立っていた。

 いや、正確には、首元に暗紫色のチョーカーをつけた、バタフライ・ドールが。

 コツコツとハイヒールの音が響く。近づいてきたのは、白と黒を基調にしたフリルの多いドレスを着た少女だった。ノースリーブでスカートの丈も膝より上という、製作者の趣味が予想される服装をしている。

 焦茶の毛をツインテールにしているが、後れ毛が出ているせいか、おかっぱに触角が生えたみたいになっている。雰囲気は15歳前後だろうか。むっつりとした無表情で、紫色の目に敵意が宿っていた。

 ——バタフライ・ドール。

 マダラの他にもいたのか。

 ルークは驚きを隠せなかった。しかし考えてみれば、他に存在していてもおかしくはない。マダラを作ったという人物がこの街にいるのなら、十分にありえる。

 街にはいろいろものが住んでいるが、まさか魔物の生産地がここだったとは。平和というのは、何も知らないからそう思えるだけで、スポットライトの当たらない裏舞台では、毎日何かが暗躍しているというのが実情かもしれない。

「こんなことをしてたら、危ない」

注意を促すと、少女は立ち止まった。硬い表情で黙っている。腕を伸ばして針を真横に持ち直したかと思うと、答えの代わりにルークの耳元で鋭い音が通り過ぎた。

 体がビクッとわずかに動く。ルークは思わず顔をこわばらせた。目に刺さったら……と、冷静さを失いそうになる。

「どうして僕を攻撃する?」

リラ図書館との関係で何かに気づき、マダラを守ろうとしているのか?

「……」

「目的は?」

相手は答えない。殺意のこもったまなざしを向け、硬く口を閉ざしたままだ。

 彼女のスカートをよく見ると、左右にまち針のようなものがたくさん止められている。投げた素振りは見えなかったが、手に持っていた針がいつの間にか消えていることに気づいた。

 サイコキネシス系か。

 ただの人間の模倣で終わればよかったものを。なんでどいつもこいつも超能力なんか持っているんだ。そもそも針を飛ばしまくっているあたり、蝶というよりハチじゃないか。

 ルークがうんざり思っている間にも、相手は手を下ろし、針を一本抜き取る。

 ドクン、と心臓の音が大きくなった。

 生命の危機を本能が訴えている。

 視線を動かすと、左の歩道に二つ折りの立て看板が見えた。散髪屋の料金メニューが書かれている。

 迷っている暇はない。

 ルークは走り出す。

 目の前の建物からカツンとぶつかる音がし、針が落ちていった。看板に身を屈めた瞬間、続け様に板につき刺さる。針先が板から突き出た。もしマダラの毒が塗っていたら、僕が死ぬ、と本気で戦慄した。

 少女は初めて口を開いた。

「悪い虫、排除する」

僕が虫扱いかよ、と突っ込みたくなったが、相手が聞く耳を持っていないことはよくわかった。

「……やめてくれる気はなさそうだね」

交渉は無駄のようだ。

 仕方ない。

 ルークは後ろを見る。十字路までは2メートルもない。

「いけるか」

 看板の枠を握って軽く持ち上げ、盾代わりにして後退する。曲がると壁に体を寄せ、射程の死角に入った。一度深く息を吸うと、携帯していたナイフを取り出し、立ち上がる。

 まさか抜く羽目になるとは。嫌な直感はよく当たるものだ。

 少女のコツコツと歩く音の間隔に、変わりはなかった。よほど自信があるのか、それとも何も考えていないのか。

 ルークは看板を胸の高さまで持ち上げ、相手が近づくのを待つ。逃げても針が刺さればおしまいだ。それならば、一か八かの賭けに出ることを選ぶことにした。

 足音が歩道を踏む音に変わった。

 今だ、と看板ごと素早く前進し、その勢いのまま体重をかけ押し倒す。相手は腕を突き出しかけていたが、その左手を巻き込む形であっけなくバランスを崩して倒れた。

 彼女は初めて表情を変えた。表情筋がなかったわけではないらしい。

 そのままルークは、ナイフを首筋に当てる。

「答えてもらおうか」

自分の優位が確立した今、交渉に持って行こうとした。だが、相手は恐怖の色に染まり、

「しっ、え……」

少女が自由に動く右手を後ろに向け、人差し指がナイフに触れた途端、ナイフがひとりでに弾き飛んだ。

 ——しまった。

 少女は素早く右手を針へ伸ばす。この至近距離で食らったら死ぬ。

 ルークは背後に回ってその手首を強引にねじると、首元のチョーカーに左手の指をねじ込んだ。

「!?」

声にならない悲鳴を上げ、暴れ出す。

「ちょっと、暴れんな……」

そんなことをしたら余計に……と言おうとした瞬間、ブチンと音がした。チョーカーが切れた。

 引きちぎったチョーカーの紐が、指にまとわりつく。肌は綿のように柔らかかった。突然少女の抵抗が消え、首が折れそうなくらい傾く。

「……!」

ルークは息を呑んだまま唖然とした。

 掴んでいた相手の腕が、急に砂のようなざらっとした感覚に変化した。水を少し含んだ砂を握っているような感触になり、それがさらに細かくなって指からこぼれ落ちていく。

 人間も土くれから生まれたのだとあざ笑うかのように、街道の舗装と同系色の、白灰色の砂塊が残った。

 黒いふちに青紫の羽模様をした蝶が、いつの間にか視界に現れる。上に飛び立とうとしたかと思うと、ひらひらと舞い降りて、砂塊に止まった。

 ルークは何の感情も持てなかった。茫然としながら、ただ、

「本当だったんだな……」

と呟く。バタフライ・ドールはチョーカーを外すと、もとの蝶に戻る。ただの紐に見えるチョーカーがどんな要因を及ぼしているのかわからないが、その情報は本物だったらしい。

 それとも悪い夢を見ているのか? さっきみたいに?

 土くれに一羽、二羽と、蝶が集まり始める。

「人さらい!」

突然、非難めいた大声が耳に突き刺さって、ルークは我に返った。右手の十字路に人影が立っている。バケットを腕に引っ掛けた中年のおばちゃんが目と口を大きく開け、「オーマイガー」という顔全開でルークを見ていた。

 まずい。

 咄嗟に立ち上がり、一歩後ずさる。非難から物理的に逃れるべく足を動かした。

 捕まったとしてナイフに血がついているわけではなく、地面には土塊しか残っていない。根拠は証人の発言以外、何も出てこないだろう。しかし今捕まれば、少なくとも数日拘束されることになるから、と色々逃げる理由を考え出す。

「人さらいが逃げたわ!」

口を封じてやりたい衝動を抑えながら、ルークはさらに大きく足を踏み出した。

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