第5話 類似②

 マダラは、突然タッと駆けだした。路地の唯一の出入り口に立っていた、ルークの横をスルッと滑り、抜け出す。

「あ——!」

ルークは追いかけるが、小柄なのに、恐ろしく足が速い。見失いそうになる。

「ちょっと、マダラさん!」

マダラの軽やかな足取りに、徐々に距離を引き伸ばされていく。

「あはは」

 マダラは何故か楽しそうにしていた。

「待って、ください」

息を切らしながら、ルークは訴える。するとマダラは立ち止まった。

 本当に止まった……? ルークが当惑している間に、マダラはくるりと振り返った。彼女の顔が月光に照らされた時、ルークは心臓の裏側を撫でられたような感触に襲われた。

「う……そだ……」

マダラの顔の輪郭が、ダブって見えた。

 妹のアンと……。

 目元、鼻立ち、口の形、顔の輪郭——アンにそっくりだった。一度そう見えてしまうと、もう後には戻れない。

 目の前に妹がいる。

 ルークの足が止まった。彼女は一つも息を切らさず、満面の笑みを無邪気に浮かべて、

「全部、全部、私の自由なんだから」

高いはしゃぎ声を出した。彼女はルークに捕まらないようにと、走り出す。その姿が、もう二度と聞こえないはずの声を、呼び起こす。

 ——お兄ちゃん、じゃ、行ってきまーす。

 あの日、そう言って帰らぬ人となったアン。

 駄目だ、その先は。それ以上いたらお前は…………。

「待ってくれ!!!」

叫び声が通りを駆け抜ける。その声は自分でも異常に聞こえるほど、懇願がこもっていた。押し殺していた感情が表に現れる。

 マダラは驚いて立ち止まり、体を横にし、顔を向けた。見開いた瞳がルークを見つめている。

「……」

マダラは口を少し開けたまま、ルークを見つめる。

「それ以上は駄目だ。アン」

ルークが一歩近づくと、マダラは一歩後ずさった。

「どうしちゃったの」

「アン、戻ってきてくれ、そっちは死の谷なんだ」

「アン?」

マダラは小首を傾げる。その時、彼女の背後から黒い影が動いた。

「は——っ」

凶器がその細い首を刈り取るように振りかざされ、鈍く光るのを見て、ルークは声を上げた。

「きゃ————」

バリッと布の破れる音がする。髪の毛がふわりと飛んだ。マダラは間一髪で体を捻り、ナイフを投げる。地面にあたってカタンと金属の音が響く。

 上着を刃に持っていかれた瞬間、首元に鮮明な赤のラインが見えた。ルークは息を呑んだ。

 見てしまった——。

 だがマダラは目に恐怖の色を浮かべながら、ルークの元へと走る。一瞬、血に見間違えたそれが何か、ルークは理解した。紛れもなくチョーカーだった。

 左側の髪がざっくりと切られている。黒いノースリーブのワンピースと、真っ白な素肌が目に入った。マダラは華奢な体をくねらせて、凶器から逃れようとする。

「誰だ」

 ルークも血眼を走らせた。影は背が高く、大物の武器を持っている。

「おっと、俺が先に見つけたんだぜ?」

抜け抜けとそう言いながら、傲慢に歯を見せて笑う。そのガラの悪い声には聞き覚えがあった。

「ボレード……」

「こいつが犯人だろ? ナイフを持ってたんだからな」

黒い棒に刃をつけた、薙刀ふうの槍を背中にかつぐ。刃渡りは分厚く、肉切り包丁のような威力は出るだろうと推測する。

 マダラはルークとボーレド、二人の真ん中に立ち止まった。

「……違う」

 ルークは複雑な感情を抱えたまま言い捨てる。だがボーレドはズンズン近づいてくる。

「そうじゃなきゃあ、貴様は追いかけねえ、だろ?」

マダラは迷った末、ルークの方へ駆け寄った。ルークはマダラを庇うように手を横に出しながら一歩前に進んだ。そしてはっきりと言った。

「違う」

「かばってるつもりか?」

「ナイフを持っていたくらいで犯人? ……君の頭は短絡的すぎるよ」

「じゃあそいつはなんだ」

ボーレドは槍を構えるように獲物を突き出す。一ミリの嘘もごまかしも許されないと感じた。ルークは丸腰で、何も持っていないように見える。マダラの不安そうな視線と目が合った。

「……」

「ああそうだ、なら、こうしよう」

ボーレドは今、初めて思いついたように言い出し、意地の悪い笑みを深めた。

「貴様がそいつを手放し、俺が殺す。そして賞金は半分ずつにする。いい案だ、な? 貴様が死なずに済むんだからな」

 最初からそのつもりだったのか。

 ルークは眉間に皺を寄せ、険しい表情になる。だとしたらやり口が醜悪だ。口裏を合わせて一般人を亡き者にし、犯人に仕立て上げるとは、そういうことを何度かやっていないと、その言葉は出てこない。

 賞金、という言葉に、マダラは青ざめた。

「やっぱり騙していたのね!」

と、ヒステリックに叫ぶ。彼女の批難は心苦しかったが、ルークは構わず、ボレードを影のある表情で睨みつける。

「断るよ」

「ほう? 理由は」

ボーレドはさらに刃の先端をルークの首元に寄せた。理由が悪ければ刺されるだろう。

「妹だからだ」

「は?」

「……俺の妹に、手を出すな」

ボーレドは固まっていたが、やがて豪快に笑い始めた。夜の街に響き渡る。

「そうか、物騒な妹だな」

そう言いながら、道端に落ちている灰色のローブを槍ですくい上げ、ルークに投げつけた。

「馬鹿馬鹿しい」

と吐き捨てる。

「今度はもっとマシな嘘をついてこい。女の尻を追いかけるやつなら、俺の方が早く見つけられそうだな」

軽蔑しきった眼差しが、ルークに注がれる。

 マダラが犯人だという疑いは、晴れたのか?

「……」

ルークが黙ったままでいると、彼は来た道を引き返した。

 月が煌々と光っている。夜の静寂が全身を包む。

「マダラさん」

ルークは振り向いて、もう大丈夫だと告げようとした。そして押し付けられた灰色のローブを返そうとして、

「ん?」

だが、後ろには誰もいなかった。

「逃げてくれたか……」

 ローブには髪の毛の束が、からまっている。ルークはそこでようやく、マダラの髪が切り取られていたことを思い出した。ボレードはやはり本気で殺そうとしていたのだと思うと、改めて身震いがした。

 どうしようかと思いながらローブを持っていると、ゴツンと硬いものが爪に当たる。ポケットに何か入っているらしい。取り出してみると、小瓶があった。

瓶を傾けてみると、ドロッとした液体がゆっくり動いた。ラベルが貼ってあり、月明かりにかざして目を凝らしながら読むと「はちみつ30グラム」と書かれている。

「人の形、してるとは聞いてたけど……」

複雑な感情が渦のように絡まりながら、彼女のいた地面を見つめる。

「アンじゃないのか、本当に……?」

 顔つき、行動の癖、笑い方、全部が似ている。なのにルークだと気づかない、呼ばない、まるで記憶を失ってしまっているかのように。

 他人の空似という可能性だってあるじゃないか。いや、99%、そうであるはずだ。でも、それなら自分の感じるこの既視感は一体なんだというんだ?

 バタフライ・ドールは、そういうものなのか?

「こっちです」

 ルークが茫然と立ち尽くしていると、近くで人の声がした。

「こっちで女の人の声が聞こえて……」

不安げな声音が、ルークをも不安にさせる。誰かを連れているのだろう。

 しまった、とルークは思った。

 ルークは咄嗟に建物の端に隠れようとしたが、向かった曲がり角に灯りが照らされ、松明の中に飛び込む形になってしまった。

 ルークの顔に、眩しい松明の光が照りつけられた。

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