第6話 類似③

 「ルーク、さん……?」

その声は聞き覚えがあるだけに、意外に思った。急に炎に照らされてルークは目を細める。徐々に慣れてくると、相手の顔がくっきりと映った。

「あ……」

「ルークさん、どうしてこんなところにいるんですか?」

 ハムハムヘッドで働いているシエナと、こんなところで鉢合わせるとは思わなかった。シエナの隣には、救援に駆けつけたらしい男性がいる。

「ああ……」

ルークは何か不自然ではない理由を探そうとしていたが、何も適切な言葉が思いつかなかった。

「ああ、なんでもないよ」

「大丈夫ですか?」

 いつもとは違い、ルークの気が動転しているのに気がついたらしく、シエナは心配そうに尋ねる。

「女性の方が、叫ぶのがさっき聞こえたんですけど……」

「大丈夫、みんな、もういなくなった」

 的を得ない答えを聞いて、シエナはじっとルークを見つめる。

「……少し暖まりませんか。落ち着いたら、話せますよね」

シエナの提案に、ルークは何も考えず頷いた。

「この人、私の知り合いなんです。駆けつけてくれてありがとうございます。また何かあったら言いますね」

 シエナは連れの男性に感謝を告げると、ルークに声をかけた。

「ルークさん、こっちです」

シエナは手を前に出しかけて、引っ込めた。何でもないと強調するかのように、ぎこちなく歩く。歩いた距離は10メートルもなかった借家の中に入り、内階段を登っていく。

「よかった……シェアしてるんですけど、今日はエリーも外に泊まってるので……」

と言われて、ルークは初めてシエナの家に案内されていることに気づいた。普通に考えれば予想できたはずなのに気づけなかったのは、他のことで頭がいっぱいになって疲れていたからだろう。

「君の部屋か」

ルークが訊くと、シエナは声をうわずらせた。

「え、ええ。散らかってますけど、気にしないでくださいね」

 そんなに汚いのか、とルークは思った。シエナの行為を無碍にしないようにしようと思い、

「わかった」

と承諾する。

 飛び出してきたようで、部屋の鍵はかかっていなかった。ドアが開かれるとスープを煮込んだような他人の部屋の匂いがした。銀色の燭台の上に、蝋燭の火がゆらめいている。散らかっていると言っていたが、生活動線しか足場のないルークの部屋に比べれば、とてもきれいだ。

「そこの椅子に座ってください」

と促され、ルークは部屋を見渡しながら腰を下ろす。シエナはキッチンに行き、コップを二つ用意すると、壺からヌードルでコップに液体を入れる。

「きれいじゃん」

「えっ」

「部屋。僕の何倍もいいよ」

「…………」

何故かシエナから返答が来ない。

「ずるいです」

 シエナは蚊の鳴くような声でつぶやいた。それから瞳に感情を宿らせ、繊細な表情でルークを見つめた。

「え、今なんて?」

「さっきの女性の人、もしかして、あの、朝に話してた人ですよね。どういう……何があったんですか」

最後まで言わないうちに、シエナは視線を逸らす。

「あれは……」

 ルークはどこから話そうか迷った。バタフライ・ドールのことは話せない。マダラが殺人を犯した可能性があり、賞金首として狙われていることも、説明するには気が引ける。でも、何か話しておかないと、シエナは満足しないだろう。

 結局、漠然とした説明しかできなかった。

「人から頼まれていることがあってね。探してて、依頼人に届けようとしたんだ。そしたら悪いやつに見つかっちゃって。逃げてくれたからよかったと思うけど」

「え、その人追いかけられてるんですか!?」

「誤解は解いたよ。うん、あれは誤解のはずなんだ……きっと僕のも……」

「……?」

 シエナは不思議そうにルークを眺める。いつの間にかキッチンから移動してきて、カタンと陶器のコップを机に置いた。

「ありがとう、喉が渇いていたんだ」

ルークはコップを持ち、喉にぐいと流し込む。水かと思ったら、甘味がした。発酵した果汁に蜂蜜を混ぜた味がする。

「うまい」

「ミールです。おばあちゃんがよく作ってくれてて。私も……好きなんです」

手作りのほっこりする味が、体にしみる。飲み干すと、熱くなっていくのを感じた。

「じゃあ、その女の人は無事なんですね」

シエナは空いている椅子に座ると、ルークと向き直った。ルークは無事だとも、そうじゃないとも言えず、言うべき言葉を見失っていた。

 だが、気がつくとポツリと呟いていた。

「あれが、妹に見えた」

ルークは今でも信じられない。信じたくない。

「ルークさん、妹がいるんですか」

シエナは初めて聞いたらしく、意外そうな声をあげた。

「いや、いない」

「え?」

「死んでいるんだ……」

 自分が発した言葉が、自分の胸に突き刺さっていく心地がする。だがそれでも、その事実を自分が理解するために、言う必要がある。人に言えるくらい、深刻なことじゃないって言い聞かせるためにも。

「一年前に馬車に轢かれた。相手は、貴族だったんだ。だから遺体処理が速やかに行われて、僕のところに届いたのは、その知らせだけだった」

 最初は、現実感がなかった。知らせを聞いて現場に駆けつけると、雨でもないのにそこだけ水びたしになっていた。血がこびりつかないように流したのだという。

 ルークはその場にいなかったが、目撃者は何人もいた。目撃者の話を何度も聞いているうちに、自分がその場にいて、馬車が人間を轢くのがありありと見えた。いや、ただの妄想なのはわかっている。だけど、許せない……。

 シエナは何と言ったらいいか、言葉を探しているようだった。でもルークは何度も聞かされた同情のセリフをリピートされるよりも、黙って聞いてくれていた方が嬉しく思った。

 未だに過去を乗り越えきれていない。そのことに対して、ルークは自嘲した。

「……わかってるよ。でも、あいつなら、アンなら、ひょっこり戻ってきてくれるんじゃないかって思っちゃうんだ。何も起こらなかったみたいに。帰ってきて、またルー兄って呼んでくれるんじゃないかって。これが馬鹿げた幻想なのはわかっている。あいつがもう二度と戻ってこない、戻ってくるはずがないんだってわかっているけど……」

ルークはマダラの言動を脳裏に浮かべた。マダラがバタフライ・ドールであることはほぼ間違いないだろう。

 でも、どこからどう見たって、人間じゃないか。

 ギルバートは僕を罠に嵌めようとしているのか? 実は妹が記憶喪失で生きていることを知ってて、妹をバタフライ・ドールだって思い込ませて、僕を道化に使っているのか? リラ図書館の話も、全て僕を釣るための嘘にしか過ぎないのか。

 ルークは頭を抱え、机に突っ伏す。

「いや……考え過ぎだと、自分でも思う。でも諦めきれないんだ」

突っ伏し続けるのも良くないと思い、顔を上げた。シエナの繊細な、憂いを抱えた眼差しが、ルークをじっと見ていた。

「私、ずっと気が付きませんでした……」

「それは無理もないよ。僕が話したくなかったんだし」

「じゃあ話させちゃたんですよね、私……ごめんなさい」

シエナの目から熱い涙がこぼれそうになっているのに初めて気づいて、ルークは戸惑った。どうしてシエナが謝る必要があるのか? 

「謝る必要はないよ。僕のほうこそ、変な話をしてごめん」

「全然、そんなことないです」

「ならよかったよ。ありがとう。気持ちも落ち着いてきたから、帰ろうと思う」

 ルークはいたたまれなくなって、立ち上がる。別れの流れに持って行こうとした。

「こんなに暗いのに?」

シエナは驚いた様子で引き止めようとする。

「邪魔をするのも悪いからさ」

「絶対、泊まってください! 悪い人がいるって——私のせいで襲われたら、私、耐えられません」

 いつになくシエナの語調に意志がこもっていた。いい終わるやいなや、否定されるのを恐れるかのように、ふいっとそっぽをむく。

 ……もしかして?

 ルークは思った。

 もしそうだとしたら非常に困ると思い、からかい口調で、

「君が襲われるかもよ」

と訊いてみる。自分だって男だ。付き合ってもいない男女が同じ屋根の下に寝るのは……さすがに気が引ける。ルークはそこまで、ガツガツ行く自信はない。

 シエナはさらに頬を赤らめ、うつむいた。それはアルコールのせいだと思いたかった。

「ルークさんなら、大丈夫だと思ってます……」

その様子に、下手にからかい飛ばしたら危険であることをルークは悟った。大丈夫って、信用されているということでいいのか、それとも別の意味なのか……。正解を想像するのが怖くなって、変に冷や汗が出てくる。

「そっか」

 それきり、会話が途切れる。

「じゃ、この椅子を借りるよ」

 まさかベッドを借りるわけにもいかない。断ればシエナが悲しむ。でも自制心を働かせないと、何かが脆く崩れてしまいそうな危うさを感じた。

 シエナは目線を上げ、戸惑った表情で何かを言おうとしたが、ルークが笑った。

「大丈夫、どこだって寝れるからさ。建物の中で寝れるだけ、贅沢なもんだよ」

「でも……」

シエナは言いかけたが、言葉が見つからないようだった。

「でも寒いですよね。布団、持ってきます」

 無理に顔をぐしゃっと崩して笑い顔を作ったのが、ルークの印象に残った。

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