第2話 幼馴染
ルークはまず十一番通りに向かった。何も考えていない時や、たいした用事がない時はそのまま入る。だが、今日は立ち止まって、一軒家を見上げた。土地で採れるオークの木を柱にし、漆喰で固めた、どこにでもあるような二階建ての家。唯一違うのは、一階部分が大きなカーテンに覆われていることだろうか。
さらに近づくと、ほんのりと木の匂いが漂ってきた。自然の木とはまた違う、独特な甘い匂いで、ルークには馴染みがあった。シュッシュッと木材を削る音が、微かに耳に入ってくる。
いそうだな、と思い、ルークはノックもせずにドアを開ける。
「ラゼル、いるかい?」
樫、檜、松、いろいろな木材が並んでいる。一階はガレージ風の構造になっており、部屋の仕切りがなく、木製家具を作る作業場になっていた。ここの家主兼職人であるラゼルは、二階の住居スペースに住んでいる。
ラゼルは木屑だらけの床にクッションを敷いて、板の接合部分を作ろうと、鑿を動かしていた。まだ何を作るのか見えてこないが、大きさから考えると開閉式のキャビネットだろうか。
木屑だらけといえば、ラゼルの金髪にも木屑がくっついていた。木屑の汚れが面倒なのか、元から黄色っぽい裾の長い服に、濃い緑のズボンを今日も履いている。何着か同じのを買って着回しているのだろう。
いつものルークなら、カーテンをめくって、もはや壁代わりになっている木材の間から出入りする。わざわざ改まってドアから入って来たことルークに、何かあると察して、ラゼルは手を止め、聞く姿勢を見せた。
「ごめん、用事が入ったんだ。しばらく来れそうにない」
「そうか」
ラゼルは気持ちの面でも、作業を一旦辞めることにしたのだろう。申し訳なさそうに話すルークに顔を向けた。顔は骨張って四角く、目や口のパーツが中心によっている。一つのことを完成するまで取り組む、職人らしい人相をしていた。
ルークは工具箱の近くにある、作りかけの家具を見た。ラゼルの手から生み出される家具という名の芸術に比べれば、足元にも及ばないが、作っている過程を知っている自分としては、愛着を持ってしまう。
「これも君に任せることになりそうだよ」
名残惜しく思いながら、ルークは言った。
納品まで、それほど日があるわけではない。バタフライ・ドールを追いかけていたら、いつ納められるか、わからない。
「別に構わないよ。むしろ手伝ってもらえて、ありがたいくらいだ」
ラゼルは素朴な感情をむき出しにする。ルークの分まで仕事が増えるというのに……本当に人がいい人物だ。そして、ルークの友人でもあり、恩人でもある。
妹が突然いなくなって、精神的に鬱になり、何も手がつけられなくなっていたルークを、ラゼルは支えてくれた。ここで働けばいいと言ってくれた。今はお金に困らなくなったが、恩返しに手伝い続けている。人間、何もしないでダラダラと過ごしていれば腐っていくのを、身をもって体感しているからだ。
ラゼルがいなかったら、僕は間違いなく死んでいた、とルークは感じる。そのくらい大切にしたい友人なのだが……。
ふと思い出したふうに、ラゼルは顔をしかめて尋ねてくる。
「用事って、あの貴族からか」
あの貴族、と言えば、誰のことを指しているのかすぐにわかった。ギルバード伯爵のことだ。ラゼルが快く思っていないのはわかっている。ルークに生死に関わるような仕事を押しつけてくる人物だと、ラゼルは認識しているからだ。
はぐらかしたかったが、彼の前では正直に言おうとルークは決めていた。
「……そうだ。だけど」
「もう二度と受けてやるもんかって、言ってたじゃないか」
ラゼルが本気で心配しているのがわかって、余計に疎ましくなる。確かにそういった。だがそれとこれとは話が別だと、ルークは睨みつけそうになった。
「そうだけど、それはこっちの都合だ。実際に頼まれたら、断れるわけないんだよ」
「お前なあ」
ラゼルはその言葉には、ルークという性格の理解と、それに対しての呆れの心情がのっていた。
「いつまでそんな危ない仕事をしているつもりだ。そもそもお前がやらなくたっていいのに……」
「今回のは、僕の意志で受けた」
「ルーク……」
ラゼルは言葉を失っていたが、
「アンのことは忘れたのか」
その言葉をラゼルが発した瞬間、部屋の温度が1、2度下がった気がした。ルークは軽蔑と敵意を秘めた目で、ラゼルを見返した。だがラゼルは心配そうな表情をやめない。ルークがその反応をすると知っていて、聞いているのだ。
「……んなわけないだろ」
ルークはラゼルから目をそむけた。ぶっきらぼうに言い返す。
「お前までいなくなったら、関わっていた人はどうなる?」
「知ったことか」
既に自分は大切なものを失っている。これ以上、何を失うものがある? どいつもこいつも、どうして妹の話を持ち出す? ルークは舌打ちしそうになったが、ラゼルの話す方が先だった。
「投げやりにならないでくれ、ルーク」
「なっていない。奪われたものを取り返すだけだ」
これ以上追求されるのが嫌で、ルークは背を向けた。
もう、ラゼルの顔を見れなかった。
「少なくとも、2、3週間は空ける」
用件だけ言い捨てて、ルークは作業場を後にする。
外は日光で少しずつ温まってきていた。今年は暖冬らしいと、噂されている。
ラゼルが純粋な善意で心配してくれているのは、わかっている。だからこそ、こたえるのだ。
「はあ、まいったなあ」
ルークは無理矢理、心身を脱力させようと思って呟いた。これ以上感情的になってはいけない、と自制したところで、ハッと気がついた。
「ラゼルに聞くの、忘れてた……」
バタフライ・ドールについて。
まあ、彼が知っているわけないか、と思い返す。
ふわあ、とあくびを噛み殺す。柄にもなく感情的になってしまったのは、寝不足のせいもあるかもしれない。ルークは苛立った頭のまま部屋に帰ると、夕方まで一眠りした。
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