第1話 ハムハムヘッド

 バタフライ・ドールにはいくつか、身体的特徴があるらしい。まず、はちみつだけで生存できる。そして今まで目撃されたバタフライ・ドールは、全て女性らしい。さらに一番の手がかりは、首にチョーカーをつけていることだ。このチョーカーを外せば、バタフライ・ドールは人間の姿を失い、蝶になってしまうという。

「本当かよ」

ルークは独り言を呟く。ギルバートが真面目な表情でそんな話をしている間、笑いを堪えるのが大変だった。

 魔法とか、呪術的なものを一切信じない、というわけではない。呪術師で生計を立てているほとんどはインチキだが、極稀に本物もいる。

 それよりもルークがため息をつきたくなったのは、そういった得体の知れないものに関わることによって、目に見えないしがらみが自分にまとわりつくことだった。「触らぬ神に祟りなし」とはよく言ったもので、ルーク自身、面倒ごとに巻き込まれるのを好ましく思ってはいない。だが、今回は図書館への入場がかかっている。あの道楽貴族はおかしなことを言っていたが、確かに図書館に行くことができれば、アンを助ける方法も……ひょっとしたら、見つかるかもしれない。

 今回、ルークが知らされた情報は、「マダラ」という名前のバタフライ・ドールだ。小柄の女性で、赤いチョーカーをつけているという。赤なら目立つし、見つけるのにさほど時間はかからないだろうと思った。だが仕事をより一層難しくしているのは、生きたまま捕まえないといけない点だ。話によると、マダラは人を殺せるほどの猛毒をナイフに塗って、刺し殺しているらしい。そんな凶暴な存在を生捕りにできるのだろうか。

 しかし、決めた以上、不可能を可能にしなければならない。

 ルークは早朝にギルバード伯爵邸を後にした。都市は碁盤の目のように道が引かれていて、一見すると整然と並んでいるように見えるが、それは中心地や貴族街の話だ。路地裏はその限りではない。

 家と家の間を通り抜け、ルークは自分の住む借家に着いた。その頃には、どこも朝食の準備をしていた。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ルークは部屋の鍵を回し、塗装が剥げて赤色にカビかけたドアを開ける。

「ただいま」

誰かが「おかえり」と言ってくれるはずもないのに、つい習慣で言ってしまう。部屋はリビングと二部屋。一人で暮らすには広すぎる。しかしその広さを感じさせないほど、洗濯前の衣服が山積みになり、食べかけのものやゴミがごちゃっと散らかっている。物を動かすたびに埃が立つのも、掃除する人が誰もいないからだ。おかげで家自体は広いのに、生活動線は限られていた。

 有り合わせのもので間に合わせようかと思ったが、それも面倒だと思った。家にいると何もできなくなる。ルークは悩んだ末、コートを着たまま外に出かけた。

 ふと、手すりに一羽の蝶が止まっていた。

「偵察にでも来たのかな」

ルークは苦笑交じりに言った。蝶は純白の羽をはためかせ、どこかに消えた。昨日の話がまだ鮮明に頭に残っている。敏感になりすぎているだけかもしれない。

 朝晩がよく冷え込む、秋の真っ盛りだ。そういえば最近、夏を惜しむようにたくさんの蝶が飛び交い、交尾している。

 それとバタフライ・ドールが関係あるのかないのか、わからない。だが今は飯だ。腹が減ったと思い、朝食をやっている店に行く。

 目的の店には、女の子がいた。ドアの前に立って、木板を「CLOSE」から「OPEN」に回転させている。白めのブロンドヘアをハーフアップに束ね、青色のマフラーを巻き、店員用のエプロンを着こなしている。この店「ハムハム・ヘッド」に数ヶ月前に雇われたシエナという女の子だ。

「んー、これで、いいかな?」

木板の位置を微調整しているらしい。シエナはふと視線を感じたのか、顔を横にむけ、ルークを見た。

「あ、ルークさん、おはようございます! 今日はお早いですね」

と向日葵のような笑顔で挨拶する。

「おはよう。店はもう、慣れたかな?」

「はい! おかげさまで。来たばっかりの時なんかと比べ物にならないくらい成長しましたよ?」

「それはよかった」

と微笑みながら、ルークはシエナの首元にある青いマフラーをじっと見ていた。

 そうか、マフラーで首元を隠す手があったのか。「マダラ」というバタフライ・ドールも、チョーカーを隠しているという可能性だってありえる。この時期になるとマフラーや襟付きコートが増える。

 もっと早く、たとえば夏くらいに仕事が来ていたら、もう少し楽だっただろうに、だがそう思っても仕方がない。

「あそこにボトルがしまっているとか、お皿の場所とか、ルークさんの方がすっごく詳しくて、焦ってたんですけど……あの、どうされましたか……?」

ルークの視線にシエナは戸惑ったらしく、話を途中でやめた。

「何かついてます?」

「いやいや、そのマフラー、よく似合ってるなって」

その言葉にシエナは少し目を逸らしながら、

「私、冷え性なんですよ……あ、ご飯食べて行かれますよね」

と小声で言って、ドアを開ける。

「ああ、そうだった」

ルークは思い出したように言った。バタフライ・ドールのことを考えていたら、本来の目的を忘れるところだった。

 店はあまり広くはないが、小綺麗で落ち着きがある。朝日が差し込む窓のそばには、植物の鉢植えが飾られている。壁には色々と募集や情報提供を求める張り紙が並んでいる。

「そうだったって、ルークさん、私、困っちゃいますよ」

「食い逃げはしないから、安心してくれていい」

「あの、そうじゃなくて……もう、いいです」

シエナは最初に提供するスープを取ってくるために、奥に引っ込んでしまった。何が「もういい」のか全くわからなかったが、とりあえず席に座る。テーブルクロスの上には出来立てのクロワッサンがバスケットの上に山積みになっていた。ルークはそれをつまみながら、壁の張り紙をぼんやり眺める。ふと、一つのチラシが目に止まった。

「十一番通り連続殺人事件 毒殺の疑い。犯人の容姿不明。捕まえたものに金貨3枚」

報酬の金額が異彩を放っている。こういう報酬金が跳ね上がっているものは、裏にスポンサーが付いていることがほとんどだ。大抵は必ず探し出したい貴族や商人の金持ちがバックにいることが多い。

 なんとなく、「マダラ」の話と似ている気がした。情報が少なすぎるのが、また気になった。ギルバートが出資しているとすれば、リラ図書館の指示を守って情報を出さないようにしているのかもしれない。

 ふとルークは細かいことが気になった。前に雇われて死んでいった人たちの報酬は前払いだっただろうか、それとも後払いだったのだろうか。前払いならまだ、冥土に行く前に一杯できて慰めようがあるが、後払いなら犬死にしたことになる。

 前回の報酬の場合は後払いだった。きちんと約束通りに支払ってくれたが、今回はどうだろう? リラ図書館に入ることも、口約束だから「忘れた」と言えば泣き寝入りすることになるかもしれない。だがその前に、彼の弱点を握って仄めかせば、彼も動かざるを得ないだろう。

 そう考えていると、シエナがスープを持ってきた。

「どうぞ、本日第一号のお客さん、ご注文はどうされますか?」

「そうだなあ、じゃあ、スコッチエッグとチーズトマトトースト、それからミートパイもお願いしましょうか」

「結構頼みますね」

「実は昨日、あまり寝ていなくてね、昨日の分まで腹ペコなんだ」

「えー、それ、やばくないですか? 寝た方が良いですよ絶対。体に響いちゃいます」

シエナは本気で心配しているらしい。ルークは歯を見せて笑った。

「大丈夫、頑丈な方だから」

「本当ですかー?」

「本当、本当。ああ、そういえば」

とルークは話をかえる。

「赤いチョーカーをつけた女の人って、最近見なかった?」

「好きなんですか」

シエナは真っ先にそれを聞いてきた。どうしてそうなる、と思いながらルークは否定する。

「いやいや、探し人だよ。ちょっと人から頼まれてさ」

「あ、そうなんですか」

と、急にそっけない態度になる。朝から恋愛話でも期待していたんだろうか。

「んー、そうですね、赤いチョーカーですか。チョーカーってあれですよね。首につけるやつ。えーっと、あったかなあ。ちょっと待ってください、今思い出しますから」

シエナはほおに指を当てて悩むそぶりを見せる。ないなら無理に捏造しなくてもいい、というか捏造しないでもらいたい、とルークは思った。それを直接言うのも波風が立つから、ルークは微笑みを浮かべてやんわりと伝える。

「別に見ていなかったら、それで問題ないよ」

「ええ、でも……」

シエナは納得いかなさそうにしている。何をそんなに気にしているのか、ルークにはわからなかった。

 店長がシエナを呼ぶ声が聞こえてきて、彼女はまた奥に引っ込んだ。その頃には、ちらほらと他の客も来始めていた。注文の品を運んできたシエナは、さっきまでと一変して、嬉しそうに近寄ってきた。

「ルークさん、うちの店長が、赤チョーカーの人、見たって言ってました」

「え、それは本当?」

「はい!」

 店長は裏で厨房をやっている。朝駆けの客が少なくなってきたのを見計らって、ルークは話を聞きに行った。

 厨房まで来て良いということだったから、ルークは中に入る。厨房は食材や調理器具が溢れかえっていた。とは言っても整理整頓されているあたり、ルークの部屋よりは何割かきれいだろう。

「よお、徹夜野郎」

と下っ腹を膨らませた店長は開口一番、からかってきた。そんなことまで筒抜けになっているのか、と複雑な気分になる。

「首根っこに赤いのつけていた女だろ? 見た見た、レストラン閉めようとしたら、裏手からちょこちょこ子犬みたいに入ってきて、はちみつが余ってないかって言ってきたんだ」

はちみつ——その言葉にルークは反応した。間違いなくバタフライ・ドールだろう。すぐに話ができる人に見つかったとは、幸先がいい。

「その人は」

「ああ? ここは食材店じゃねえんだよって断ったけどなあ、わしゃ気前がいいからなあ、瓶ごとくれてやったのよ」

このおっさんはロリコンだからきっと騙されたのだろう。騙されたというか……何というか。ルークが微妙な顔をしていると、

「なんだよ、あげちゃ悪かったのか?」

と言ってきた。それには触れずに話を進める。

「どこに行ったか知りませんか」

「知らん」

「そうですか……」

つまり、バタフライ・ドールの延命に貢献したということだ。まあ、この手の聞き込みで、一発で詳細がわかるとも思っていない。

「何か見つけたらぜひ教えてください。これ……」

とルークはコインをポケットから取り出し、真上に弾いて握り直す。

「はちみつの瓶代は奢りますよ」

にこりとルークが笑ったのにつられて、おっさんも笑った。

「十三番通りに歩いて行った。何に使うんで? と聞いたら、食べるんだってさ。クマみてえなやつだよな」

ルークはコインを手渡す。

「なるほどね。ありがとうございます」

「ああ、昨日も今日も、二日連続でいいことしてしまったぜ!」

と中年のおっさんは喜んでいた。

 ルークが勘定を済ませて店を出ようとすると、去り際の背中に、シエナが声をかけた。

「あの、ルークさん」

ルークは振り向くと、シエナの頬が赤くなっているのを見てしまった。表情は緊張で強張っている。一体何を言い渡されるのかとドキリとした。

「頑張ってください」

「……ああ、ありがと。君もね」

からかいすぎて怒った、というわけではないらしい。心臓に悪いなと思いながら、ルークは店を出た。

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