第40話
本棚にはずらりと本が敷き詰められている。気になるのはどれも画一的なデザインなことだった。場所を覚えておかないと同じ風景の繰り返しで迷子になりそうだ。
アベル、アシリー、……名前順に並んでいる。人物年鑑といったところか。同姓同名はどうやって対処するのだろう。もしかしてここをたどっていけば、知っている人につながるだろうか。と想像する。
もし知り合いの名前が書かれた本が見つかって、それを開いたらどうなるのだろう? 何でもわかるというのなら、未来もわかるのだろうか?
しばらく歩いていると、床のカーペットの色が灰色から真紅に変わった。黒ずんだ赤色に何か心理的抵抗を感じたが、踏み入れる。
赤カーペット以降の本棚の背表紙を流し見していると、扱っているジャンルが違うらしいことがわかってきた。国や地域の歴史が並んでいたが、知らない国がほとんどだった。それから数学や天文学、生物、医学——上手くジャンル分けされているのかは、よくわからなかった。
それにしても、何が目的でこんなに集めているのだろうか? 図書館なのだから書物くらいはあって当たり前か、とは思うが、集めて独り占めにしたところで、何も楽しくはなさそうだ。一人で優越感に浸っていたいのだろうか。
「確かこの辺で……」
曲がったよな、と右を見続ける。「バタフライ・ドール」の名前の頭文字がありそうな棚を探して視線を追っていくと、連なる横通路の一つに扉を見つけた。
「……」
来た道を振り返り、レミィがまだ戻ってこなさそうなのを確認してから、扉に近づく。
カタンと、何かがぶつかる小さな音が聞こえた。自分が発したのか、どこかで何かが動いたのか、判別がつかなかった。こういう時の生活音は、心臓に悪い。
壁際は本棚が設置されていないため、通路スペースになっていた。扉の前に立った時、四角になっていたそこに、人が立っているのが見えた。
「うゎ……」
と声が出そうになったのを、飲み込んだ。
全身を覆うような白っぽいフードをかぶっている。よく見たら、ピクリとも動かない。
それが剥製の模型だと気づくのに時間がかかった。フードで隠れて顔が見えないはずなのに、こちらを見ているように思えて、気にはなるが、目を合わせたくはなかった。
こういう趣味なのか?と思ったが、それよりも考えられるのは……ルークはある疑問が脳裏をよぎった。
それを確かめるために、扉を開けようとする。が、そもそもドアノブがない。スライド式なのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
内側から、わずかに声が漏れてくる。
「ほ……い……だって、……も」
マダラが何か喋っているようだった。
諦めようとした矢先、
「ヨン、ニ、キュウ、ハチ」
突然、ただの模型だと思っていたものから、音声が発さられた。
ルークは驚きのあまり飛び上がって変な声が出そうになった。今度こそ心臓が止まるんじゃないかと、本気で思った。
「喋った……」
いや、でもバタフライ・ドールも喋ったよなあ、と考えると、だんだん落ち着いてきた。本来は順応しない方がいい気がするのだが、今はそうも言ってられない。
しかし気になるのは、バタフライ・ドールと比べて、この個体は全く動かないということだった。
「ヨン、ニ、キュウ、ハチ」
「なんの数字だい?」
「アンショウバンゴウ」
会話が成立している。
ドアの周りをよく見てみると、確かに数字板が設置されているのを発見した。
ここを押すのか。そもそもなんで教えてくれているんだ、とルークは相手の行為に怪しさを感じた。
「君、名前は?」
「ヨン、ニ、キュウ、ハチ」
「……」
会話が成立していると思ったのは、僕だけだったようだ、とルークは思い直した。
「ああ、まあ打てばいいんだね」
となし崩し的に言いながら数字を合わせようと指を近づける。
「ルーク?」
指が触れかけた瞬間、折悪く、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。慌てて中央の大きな通路へ出ると、後ろ姿が見えた。背丈が似ているせいか、ホンが立っていると錯覚しそうになった。
「ルーク? 消えた?」
ルークはしばらく歩いて近づいてから、その後ろ姿に声をかける。
「とてもそっくりだね。見間違えたよ」
レミィは反射的に振り返った。パッと見た感じ、本当に似ている。そのせいで、もともとレミィがどんな顔をしていたか、記憶が曖昧になりそうだった。
さっき見たあの模型が何なのか知りたかったが、今それをレミィに聞くのはタイミングが違う気がした。
「あんた、人の話聞いてた?」
と、まなじりを釣り上げる。声と語気の癖はレミィそのままだ。褒めたけど駄目だったらしい。
「ごめんごめん、せっかく来たなら、読みたくなる本がないかと思ってさ」
その言い訳に、レミィは「はぁ……」とあからさまにため息をついた。すごく表情の豊かなホン、という印象だった。怒られているというか、心底呆れられていることはわかっているのだが、やはり感情が見える安心感は違う。
人間、表情筋が大事だと、ルークは思い直した。
「どんなものが読みたいのよ?」
うんざりした口調のままレミィは訊いてくる。まさか質問されるとは思っていなかったルークは、咄嗟に思考をめぐらせて、
「そうだなあ、『絶対にコケない笑い話10選』とか、そういうの」
口から出てきたのは、それだった。レミィの語気が強くなる。
「わざわざここにきて知りたいことがそれなの? あんた」
「いやあ、高尚な哲学を講釈されても、盛り上がる土産話にはなりずらいだろうし、実践できそうなものの方が、いろいろ試せて面白そうだろ?」
「……」
とてもとても大事な観点だと思ったのだが、無言で黙殺された。
どうやら賛同は得られないようだ。残念。まあ、100%本気でいっているわけでもない。
レミィはルークの存在も無視して、気持ちを切り替えることにしたらしい。
「怒りの火花で火傷したくなかったら、その辺で隠れてなさいよ。さっさと終わらせようっと」
と言い終わるやいなや、何かを取り出し、カーペットの床の上に光の輪を出現させる。あまりの早業に、何を持っているのかよくわからなかった。ルークに渡した羊皮紙とは明らかに違うことだけはわかった。
強烈な光が放たれ、反射的に目を閉じた瞬間に、ギルバードが目の前に転送される。その流れをじっと見ているつもりだったが、やはり原理はわからなかった。
「っなんでこの私が……は——?」
何やら悪態をついている状態だったが、すぐに自分の置かれた状況に気がついたようで、動きが止まった。
突然、視界に映るものが変わったら、驚くのは当たり前だろう。
この時ばかりは、ギルバードに共感できる気がした。
「ようこそゲストの皆様。招待状に不手際がございましたこと、お詫び申し上げます。私はこの図書館の管理人……ホンと申します。以後お見知りおきを」
本物よりよく動くし、よく喋る。物腰も丁寧だ。
「おお…………ここ、ここが?」
ギルバードは戸惑いと警戒をむき出しにしながら周りを吟味するように見渡す。
「ええ、ご不便をおかけしまして大変申し訳ございません。お望みがございましたら、今すぐにでもお伺いいたします」
丁寧に謝り、その後にホンが一度も見せなかった微笑みさえ浮かべながら応対する。
その落差に、込み上げてくるものを感じた。しかし謝っている間はよくないと思って、笑いを堪える。あの容姿でレミィに案内されていたら……と想像した。それなりのホスピタリティがあるのは一眼見てわかる。このくらい可愛かったら惚れていたかもしれない。
「さっきここに人が来たはずだが、どこへ行った」
「既にお帰りになられました」
と涼やかに答える。仕事だと割り切ったものについては、堂々とできるのだろう。その奥にあの繊細な感情があると思うと……と半分考えながら、ルークはギルバードの様子を確認した。
ギルバードは徐々に落ち着きを取り戻していくように見えた。内心はまだ戸惑っているに違いないが、それを表に出さないあたりは、育ちの良さを感じた。
「そうか、では、リラ図書館で訊こうと決めていたことが一つある」
と、気を取り直した様子でギルバードは切り出しす。
「どのようなご用件でしょうか?」
政敵がどうのこうの、とか、そんなところをルークは予想をした。
二人の視線の先で、ギルバードは重い口を開ける。
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