第39話

 レミィは一瞬視線を逸らしたものの、あまり自分が悪いと思っていそうな顔はしなかった。

「あんたがここに来るのは計算外だったの」

かすかなため息が聞こえた。その言い方に、少し反感を覚えた。

「最初から言ってたでしょ? ここに来るなって」

「紙にサインしただけで飛ばされるとは、普通思わないだろう?」

「ならもう一度、飛ばされてくれる?」

レミィはポーチから丸まった羊皮紙を取り出すと、ルークの目の前に突き出した。そのまま受け取らせようとする。ルークは慌てて、

「いやいや、本当にこれってどういう仕組みで……」

「どうせ説明しても無駄でしょうから教えてあげない。魔法の一言で終わらせるんでしょ? 簡単に言えば紙の上にある点と点をこうやってくっつけて」

と、軽く折りたたむ。

「距離をゼロにするの。以上」

全くわからなかった。いや、説明が雑すぎるせいだ。この紙らしきものが媒体になることくらいしか。

 それよりも、ルークは気になることがあった。

「どうしてそんなもの持っているんだ?」

リラ図書館とどういった関わりがあるのか? ホンとの関係性を考えると、ここに来たのは一度や二度ではなさそうだ。かなり重要な立ち位置にいるのではないか。

 しかしレミィは、すぐさま睨むようにルークを見た。意図を勘付かれたらしい。

「そんなこと聞いて、どうするの? 大人しく従った方が身のためよ」

厳しい口調で言い切ると、再び突き出す。今すぐにでも書かせる気満々だ。

「いやいや、待ってって」

「抵抗すれば向こうに帰った時に、残りの人生ブタ箱に入れてあげる。犯罪者と知っていて匿ったのと、貴族の重要な機密書類を盗品した。それから、調べたらもっと出てくるでしょうね? 刑務所行きの片道切符に、それだけ罪があれば十分でしょ」

レミィは怖い顔して脅してくる。言葉はすごいが、それは彼女になって本望ではないはずだ。仮にも刑事がそんなこと言っていいのかとは思うが、それだけ必死に帰したいことだけは、伝わってくる。

「わかった。わかったから、大人しく帰ればいいんだね?」

それを言わないと、延々とエスカレートしそうだと思い、ルークは一旦主張を受け入れることにした。その言葉を聞いて、レミィは満足というよりは、ホッとしたように表情を緩める。

「そう。わかったのならお利口さんね」

突然の上から目線に困惑しながらも、ルークは黙って紙を受け取った。しかし本当の意味で黙って帰るつもりはなく、その後すぐに切り返す。

「でも、一つ聞いておきたいことがある。マダラをどうするつもりなんだ」

「協力……してもらうの」

刑務所までの道はスラスラと話していたのに、マダラのことになると急に歯切れの悪い答えが返ってくる。どうも怪しい。

「どういったふうに?」

「……最初は聞き取り調査から始まって、どこまでか可動範囲なのか身体検査をする」

「その次は」

「あなたにとって、あれはそんなに重要なの?」

レミィは逆に質問し返した。その質問にルークが何か答える前に、さらにレミィは話題を逸らしてくる。

「そういえば、死者の蘇生に興味があるなんて、言ってなかった?」

「ああ、前まではそうだったね。でも、もう良くなったんだ、それは」

「……なら、なおさらじゃない。なんで来ちゃったの」

レミィは心底呆れた声でいった。紛れもない本心であり、それが彼女なりの優しさなのだろうということは、わかった。責めているというよりは、ルークの行動が理解できない様子だった。

 彼女の言う通り、このまま大人しく帰ったほうが身のためだということはよくわかる。しかし、人は自分のため以外に行動することもある。もしレミィにもそういった気持ちがあるのなら……なんとなく彼女には話してもいい気がした。

「マダラを助けるため」

それ以外に、ここに来た理由などない。

 それとも、「助けるためだった」と付け足す方が正確か?

 心の中で、そう思ってしまった。今マダラが置かれている状況がわからないほど、馬鹿じゃない。

 だからと言って、簡単に認めたくはない。諦めたくない。だからあくまで堂々とルークは語った。

「別に僕はマダラが何者なんだっていう野暮なことは言わないよ。でもさ、生きている以上、生きる権利はあるはずだ。それを勝手な都合で奪うのは間違っていると思う」

 ルークの答えに、レミィはしばらく黙っていたが、

「本気で言ってる?」

疑いの目を向けてきた。その言葉に、ルークは内心を言い当てられたような気がして、ヒヤリとした。いつも口先だけのきれいな言葉になってしまう。行動がともなわない。いや、その時は本気なんだ。でも結果がうまくいかない。もっと自分に力があれば、実力があれば、違う未来があったのかもしれないのに、それがつかめない。

 諦めだけが悪くて、いつも心のどこかで後悔している。そんな状態で、「本気」だったと言えるのか?

 そのことを言われているように思えた。しかし、レミィが話し始めたのは、予想していたこととは別のことだった。

「あのバタフライ・ドールのせいで、何人が死んだ? そしてきっと、これからも死ぬ。あなたがマダラを助けようと助けまいと、苦しもうと無関心であろうと、運命なんて変えられないの」

 レミィは冷たく言い放つ。だが、否定されているとは感じなかった。むしろ、その言葉で否定しているのは、彼女自身の心だろうと思った。彼女が隠そうとすればするほど、その隠そうとしている内側の心が手に取るようにわかる気がした。

 彼女も彼女の世界を生きている。運命なんて変えられないと言わせるほど、助けられなかったものが——あるのだ。

 そうだ、初対面で出会った時にレミィは言っていた。彼女の父親がバタフライ・ドールに殺されたのだと。

「君のお父さんのことかい?」

ルークの指摘に、レミィは驚き顔になった。

「……そんなこと、誰から聞いたの?」

「君の口からだよ」

「そんなこと……信じてたの」

と言いながら、レミィはあふれそうな感情を隠すようにうつむく。

「う……」

と言いかけた。泣かれるのかと思って反射的に身構える。しかしレミィの口から出た言葉は、意外なものだった。

「嘘よ、あれは。……探すための、バタフライ・ドールを探すための口実」

それから何をおかしいと思ったのか、力なく笑い始める。

「あはは……何者かでないと、人って安心してくれないでしょ? それがたとえ虚構で塗り固められていたとしても、もっともらしい情報を与えれば、それを判断する材料にする」

いつの間にか、レミィは喫茶店の時に見せた、あの優しい顔をしていた。

 その表情の正体が、ようやくわかった気がした。

 理解されることも感謝されることも望んでいない、一方的な思いやり。知ってしまえば傷ついてしまうという思い込みからくる、ある種の自己憐憫が透けて見えた。

「だから肩書きや外見だけで人を判断しちゃダメ。騙されやすそうだから、忠告しといてあげる」

 どこか上から目線なのも、いつも冷酷な顔をあえて見せているのも、本当の弱い自分をさらけ出したくないからだ。見られたくないからだ。

 でも彼女を責める気になれなかった。嘘は、ある意味、その人にとっての理想でもある。理想の部分まで否定したら、何も残らなくなる。

「じゃあ、君は何者なんだ?」

「わかんなくていいの。さあ、帰って」

答える気はなさそうだった。傷つける者は、どこかで既に傷ついている。きっと彼女もそうなのだろう。別に自分が騙されやすいタイプだとは思わないが。彼女が簡単に嘘をつくタイプだとは思わなかった。

「そうか。だけど一つだけ、実は、僕も君に言っておいた方がいいと思うことがある」

ルークは話題を変えることにした。これ以上話しても彼女が自分を傷つけるだけだろう。本音を話してくれたのだから、こっちも弱みを出しやすい。

「今帰ったら、多分伯爵に殺されると思うんだ」

「ああ、二人でここに来たらしいわね」

「知っているんだ」

「ご本人様から聞いた」

以外に思った。もしかしてギルバードに突然来た来客って、レミィのことだったのか。そう思った瞬間、忘れかけた苛立ちが戻ってきた。

「連れては来れなかったのかい?」

そこまで知っているのなら、ギルバードと一緒に来るのも選択肢としてあったはずだ。するとレミィは視線を一度そらした。

「はあ……容量が悪くてごめんなさいね」

まさか謝られるとは思っていなかったルークは、驚いた。

「不用意に知られたくなかったの。ならこうしましょう。ホンが来ないうちに伯爵を呼んで返す。そうしたらあなたは安心して帰れるよね」

それができるのか。でも言う以上は、できるということだろう。そうとわかると、レミィが躊躇していた理由がようやくわかってきた。

「うん、まあ……」

「何? 何か言いたいことでもおありで?」

「さっき会ったなら、顔が割れているはずじゃ——あの伯爵はリラ図書館と君がつながっていることを知ったら、今度から君に干渉してくると思うけど」

「そうよ、でもこのままじゃ大人しく帰ってくれなさそうだし」

うん、まあその通りだ。ルークは軽くうなずくよりほかなかった。

「言っとくけど、私、変装は得意なの。そういう薬もいらない。ホンは脳みそ空っぽとか唯心論とかからかってくるけどね」

と、得意げな顔をのぞかせた。若い女性として、初めて年齢相応な微笑が見れた気がした。しかしどういった意味なのかわからず、まごついていると、

「着替えてくる」

足早に歩き出そうとした。しかし何か思いついたのか、すぐに首だけ向けてルークに注意する。

「ここで待っていなさいよ」

「はいはい」

ルークは困り笑いを浮かべながら返事をした。ついていくとでも思ったのだろうか。ああいう勝気なタイプに怒られても嬉しいと思うような奴じゃない限り、のぞきに見に行こうとは思わないだろう。そしてそんなフラグを立てられたら、つい想像してしまう……。

 レミィはどこか別の通路口を、慣れた足取りで歩いていく。

 取り残されたルークは、ホンとマダラが歩いていった方向に視線を向けた。

「……」

受け取っていた羊皮紙を折りたたみ、ズボンのポケットに滑り入れる。

 ここから出なければ、じっとしていることになるだろう。とルークは勝手に判断して、歩き始めた。

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