第38話
暗い藍色を基調にしたワントーンの上下は、喪服のようだとも思った。長袖の袖襟から白い手袋がのぞいている。スカートの下には足にピッタリとくっついた黒いタイツを履き、顔以外の素肌は見えない。少し釣り上がったきつね目が特徴的だが、顔立ちは整っている。しかし脳面のように無表情で、陶器のような冷たさを感じた。
女性だということはわかった。しかし年齢がわからない。どの年代を当てはめても、しっくりこないのが不思議だった。
そして何より、今ルークたちを見ているはずなのだが、視線が合わない。
「私はリラ図書館の管理人、ホンと申します。どのような書物をお望みでしょうか」
ここが本当にリラ図書館だったんだ、という感動に浸る前に、相手の機械的な対応にルークは戸惑いを感じた。同じ言葉を同じように、毎回来訪者に言っているのだろうか。
「えっと……」
言い淀んでいると、
「それとも情報提供をしていただけるのでしょうか」
初めて視線が合う。その瞳に触れた瞬間、無機質に見えた態度の奥に何か——得体の知れないものが潜んでいるという感覚におそわれた。しかし、それは一瞬のことだったから、この空間の雰囲気に飲まれているだけだとルークは思うことにした。
「知りたいことを探してくれるってこと?」
とマダラが訊く。誰に対しても接し方を変えないマダラが、この時は頼もしく見えた。
ホンはうなずくそぶりを見せず、不動直立で、
「その通りです」
とのみ答える。
「なら、バタフライ・ドールの作り方が知りたいわ」
ホンはマダラを足元から頭の先まで眺めるように見た。そして、わずかに目を細める。
「珍しいこともあるのですね。私も同様のことに関心を払っております。興味がおありならすぐに始めることにしましょう」
会話の何かが、噛み合っていないように見えた。
ホンの発言から考えると、マダラがバタフライ・ドールであることを知っているはずだ。それなのに、マダラが知りたいと思うことに対して疑問をもたないのか? ルークが違和感を覚えた瞬間、ホンと再び視線がぶつかる。
「……その前に、もう一人のゲスト様、ご所望は同じでしょうか」
口調は丁寧だが、急かされているように感じる。案外、面倒臭がりなのかも知れない。
「え、ああ、バタフライ・ドールを連れてこさせて、何をするつもりなのか、聞いてもいいかな」
「それがゲスト様の知りたいことでしょうか」
ホンの言い方に、もしかして願い事は一つまで、みたいなルールがあるのかと思い、
「いや、他に訊けなくなるなら他の質問を……」
「質問の数に制限はございません」
「あ、それだったら普通に聞き、たいです」
自分でも半ば無自覚に、言葉が途切れていた。
別に一言も責められているわけではない。なのに、なぜか冷たさを感じる。
何この女、怖いんだけど。
これは多分苦手なタイプだと、一言二言話しただけで、そう悟った。
管理人を名乗るホンは、眉ひとつ動かさずに返答を始めた。
「リラ図書館は、バタフライ・ドールの製造を国産技術にすることを検討しています」
「?」
「その目的は、あなたがたの言葉で言うのならば、平和利用のためという説明が適切でしょう。人間は平和を求めていますが、いまだかつて争いのなかった時代はございません。争いの中で人の心は傷つき消耗し、疲弊しています。争いは間違っている。にもかかわらず人間たちは愚かなことを続けることでしょう。それが感情を持った人間という生き物です。実に非合理的なことです」
と説明されるのだが、それが悲しみや義憤から言っているようにはどうしても聞こえなかった。言っていることはわかるのだが、感情の側面が尊重されず、理知的な理解によって進められているように感じる。本当にそれが正しいことなのか? 本能的に疑問に感じた。
「ですが本当に、人間たちが争いを行わず、お互いに助け合う世界ができるのでしたら、素晴らしいことだと思いませんか」
「まあ……それはそうだろうけど」
言いたいことはわかる。でもそれがバタフライ・ドールとどうつながっていくのかについては、よくわからなかった。
ホンは話し終えると、質問したいことが解決したかどうかも聞かずに、
「それではご案内いたします」
と背中をむけかけた。
その時、後ろのドアが乱暴に叩かれ、勢いよく押し開けられる。
「ハア……ハア……」
その音に驚いて振り向くと、肩で呼吸している姿があった。緑の特徴的な制服がまず目に入った瞬間、こんなところまで追いかけてきたのかと思いかけたが、髪型と顔には見覚えがあった。
「レミィ」
意外そうに名前を呼んだのはホンだった。
そうだった、そんな名前だった、と思い出す。なぜかバタフライ・ドールを知っていて、「リラ図書館に入るな」とルークに忠告してきた人物だ。まあ、その忠告を破って僕はここにいるのだが。
レミィの表情には、あまり余裕が見えなかった。
「ホン、どこまでやった?」
と尋ねる。
……呼び捨てにする関係なのか? と疑問に思った。どんな関係なのかはわからないが、やはりレミィが図書館の関係者であるという予想は、間違いではなかったらしい。レミィを見ていると、本当に自分がリラ図書館にいるのだという実感がなぜか湧いてきた。
「ご挨拶のみ。今から現状の——」
ホンが説明する前に被せて、レミィは、水泳で息継ぎをするときのような必死さで、
「それならよかっ……」
と言いかけてから、一呼吸おいてヒートダウンした。その間に彼女の頭の中で目まぐるしく考えが働いたのだろう。レミィは有無を言わさぬ口調で、ホンに確認する。
「ううん、バタフライ・ドールがいれば十分、よね? そっちにいるのは民間人。だから、いらないよね」
いらないって酷くないか。というルークの心の声も虚しく、
「ああ、そうなんですか」
ホンにはフォローするそぶりもなかった。そこにレミィは念を押す。
「関係ないよね?」
「……」
ルークはさすがに何か言いたかったが、言える空気ではなかった。ホンがすぐに答えないのが、不気味に感じた。吟味するようにルークを見る。他の女性から見られた時と、異質なものを感じた。うまい言葉が浮かんでこないが。捕食者の目とでも言おうか。
「新しい本を作るのは、しばらくお預けとしましょう。それではバタフライ・ドールのゲスト様、こちらにお越しください。ご案内いたします」
ホンは切り替えたら気にしないタイプなのか、未練を引きずった様子なくそう告げる。その言葉にルークは安堵を感じ、ということはやっぱりやばいんじゃないか、と思い始めた。
「マダラは平気なのか?」
とルークは気にかける。マダラは質問の意図を掴みきれなかったようで、
「? だってここにいたら安全なんでしょ?」
と言ってきた。その時、レミィの視線がホンの方にちらついたのが気になった。微妙に沈黙が起きかけたところに、レミィが割って入る。
「バタフライ・ドールの保護を頼まれたらしいわね、違う?」
ルークに向けて言ったものだと気づくのに、少し時間がかかった。
「……ああ、そうだけど」
「だったらその仕事はここで終わり。あとはホンが……リラ図書館が保護するよう努めるから。ここまでこれる人の数は限られている。あなたの判断は正しかったわ」
と言われる。レミィのどこか硬い表情に、ルークはその言葉を額面通りには受け取れなかった。彼女は思ったより顔に出るタイプだ。何か隠したいことがあるのではないだろうか——?
会話が途切れ、マダラはホンの後についていく。
カーペットを踏み進む微かな音が聞こえなくなると、ルークは疑念を隠さずにぶつけた。
「どうしてつまらない嘘をついたんだい?」
レミィの驚いた顔と見開かれた黒い瞳が、視界に入った。
「マダラのことだよ」
と、さらに付け足す。マダラを人形だと言っていたのはよく覚えている。同じ口が保護と言い出すのは笑えない。リラ図書館がマダラのことを人形とみなして、しかもその技術が知りたいと思うのなら、取りそうな行動はおのずと限られてくる。
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