第37話

 マダラと顔を合わせる。

「ここは安全なんじゃなかったの?」

「少なくとも、さっきまではそうだった、うん」

言い訳っぽくならないように、と意識しながらルークは言った。そう思っている時点で、言い訳なのかもしれないが。

 それもそのはずだ。まさかここまで追っ手が来るとは思わないだろう。不安になる。それはマダラも一緒だ。マダラはそれ以上かもしれない。

 いや、自分たちが勘違いしているだけで、ただの別件かもしれない。それは戻ってきたギルバードに聞かない限り、わからない。

「安心できないわね」

とマダラは少し口をとがらせる。

「まあ、でもきっとギルバードがどうにかしてくれる」

どうなるかはわからないが、楽観的に考えたかった。

「あの人を信じてるの?」

「いや、まあ、信頼しているというよりは、一番あそこに行きたがっていたのが、彼だったんだよ」

「行きたいなら、自分で書けば行けるじゃない」

マダラの疑問に、

「……確かに、それもそうだな」

とルークは思った。ここに招待状の紙があるのだ。

 わざわざバタフライ・ドールを連れてくる人が出てくるまで待っていたあたり、意外と義理堅いのかもしれない。もし僕だったら書いていそうだ、とルークは思った。そういうことをしないと見込まれたから、渡されたのか。

 いや、ギルバードも条件があって、それはリラ図書館から頼まれたのか、他の誰かから頼まれたのかは知らないが、約束は破れなかったと考える方が妥当だろう。

 待とうと考えたが、時間がかかりそうだった。

「とりあえず、書こうか」

ギルバードの言った通りにすることにした。先に書いておいた方が待ち時間が有意義だ。

 左手でペンを持ちインクを寄せると、紙に手を当てた。普通の羊皮紙に見えたが、触ってみると、思ったよりも数倍、表面がツルツルしている。

 ルークは左側の空間をギルバードのために開けて、中央から自分のフルネームを書き始める。

「私、名前書いたことないわ」

その様子をのぞきこみながら、マダラは言った。

「僕が代わりに書くよ」

代筆するのはよくあることだ。ルークはすぐにペンをスライドさせた。

「多分これで……いいかな」

怪しいつづりで「マダラ」と書き終える。ペンを置くと、少し息をはいた。

 なぜ招待状なのに招待客の名前が書いていないのか。なぜわざわざサインをする必要があるのか? 偽造の心配はないのか?

そうした理由を深く考えずに、誰かに会いにいくか手渡すか、次の手順があるだろうとルークは思い込んでいた。

 あとはギルバードが戻ってくるのを待って……と思っていると、突然世界が暗転した。

「——は?」

 思わず声が出た。黒い影、赤い炎。それが初め、視界に映るものの全てだった。音の響き、肌に触る空気感が変わったのを感じた。それだけじゃない。

 先ほどまでソファに座っていたはずなのに、気づけば立っている。そのせいで、危うくバランスを崩して転びそうになった。

 一体何が起きた?

「わああ、すごい」

後ろから喚声が聞こえてくる。振り向くと、興奮気味のマダラが歩いてきた。後ろにはトンネルのような廊下がどこまでも続いているように見える。奥は暗闇で、何も見えない。

「ここが図書館?」

というマダラの声につられて周りを確認するが、本が一冊も見当たらなかった。

 だんだん目が馴染んでくる。黒っぽい灰色の天井と壁が広がる、無機質な廊下だった。どこか室内にいることだけは確かだ。壁には筒に包まれた赤い炎が光源となって、規則的に配置されていた。

「待ってくれ、僕達はどうやってここにきたんだ」

「サインしたら来れたんでしょ? いいじゃない、ロマンがあって」

マダラは全く気にしていないようだった。いやいや、と口に出しそうになる。ルークは眉をひそめたが、

「…………まあ、そうかもしれないね」

と言うだけにとどめることにした。

 この状況が納得できたわけではない。ただ、マダラが気にしていない以上、騒ぎ立てても彼女の心証を損なうだけだと思った。

 しかし、混乱がなくなったかと言われれば、別問題だ。何らかの方法で移動してきたと考えられるが、その間の記憶がない。悪い夢を見ているのか、それとも悪い現実を見ているのか。この状況で女の子と二人きりと言っても、相手は人間の形をしているだけだと思うと、あまりロマンを感じ取る余裕はなさそうだった。

「……ん?」

 ふと足元に白いものが落ちているのを見つけた。一枚の紙だ。

 拾い上げてみると、さっきサインした紙だった。

 ということは、やっぱりここがリラ図書館なのか?

 疑いながらも、そうなのかもしれない、という思いが徐々に増えてくる。いや、それ以外にすがれる事実が何もない。

 マダラが横からのぞいてくる。

「あ、これも一緒に来たの」

と意外そうにコメントした。疑いもせず、危機感も持たず、ありのままを受け入れられるのは、ある種の才能かもしれない。

「この神がここにあるってことは……そうよね、ギルバード、どうするのかしら」

マダラの疑問にルークは、

「あっ」

思わず声をあげる。言われてみればその通りだ。一体どうするのだろう。予備は……まさか持っているようには見えない。

 そこまで考えて、ギルバードの表情を想像した。

「……まあ、僕は先に書けって言われた通り書いただけだし」

「言い訳するの?」

「してもしなくても許される気がしないんだ。今のうちに行っておくよ。——どっちに転んでも、僕の命がない気がする」

こめかみに手を押さえ、頭を抱える。ギルバードが感情を直接表現するタイプかわからないが、とにかくものすごく怒っていそうなイメージはできた。

 よくよく文章を読んでいくと、「複数人で訪問する場合は、代表者が全氏名を記入すること」と書いてある項目が目に止まった。細かい字で何十項目も並んでいるのに、これを見つけるのは至難の業だ。僕は悪くない、とルークは自分に言い聞かせた。これを長期間持っていたギルバードが見つけられなかったのが悪いのだ。

 今のこの状況がどういう状況なのか、非日常すぎてさっぱり頭に入ってこないが、本当にリラ図書館だとしたら?

「行ってみるしかないか……」

目の前には、いくつかの赤い照明に照り出された、アーチ型の重めかしい木扉が見えた。

 自分たちの靴音だけが聞こえる。生活している人がいれば、何となく生気があるものだが、あまり感じられない。空気のよどんだ感じからすると、どこかの地下かもしれないとは思った。

「他に誰かいないのか?」

「さあ、知らない」

 扉の目の前に立って、ルークは初めて気がついた。木材を精密に模した上にコーティング剤を塗っただけで、本物の木ではない。そのせいかわからないが、ドアは大きさに反して軽かった。両手で押し開けると、中の景色が見えた。

「……」

灰色のカーペットが床一面に敷かれ、黒い大きな本棚が等間隔に列をなしている。中央の通路は一番幅が広く、そこから見える奥はどこまでも続いているように錯覚させられる。一体ここの広さはどうなっているのだろう。

 光源がはっきりとは見えないのに、照明はしっかりしている。

「ここが……?」

 想像していた図書館とは、だいぶ違う。はっきり言って異国に来たような印象を受けた。街の中にある国立の図書館は、数年前に一回しか行ったことがないからうろ覚えだが、利用者が行き来する、内装も明るいトーンの場所だった気がする。それに比べると、ここは知識の墓場のように静まり返っていた。

「へえ、初めて来たけど、すごいのね」

辺りを見渡した後、マダラは近くの本棚に近づき、眺め始める。

 ……文字読めるのか?

 書いたことがないって言っていたのに、とルークは思い、つい、後ろ姿に声をかける。

「好きな本でもあるのか?」

「まだ読んだことないから、わからないけど、きっとあると思う」

マダラは答えた。やっぱりそうかと思った。ただ物珍しいから反応しているだろう。

「歓迎いたします。ゲストの皆様」

 突然大人びた声が聞こえたかと思うと、人気がないと思っていた図書館の中央通路に、いつの間にか人が立っている。

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