第29話 グレイの家③

 白チョーカーはルークを見て、そう言い放つ。よりにもよってシエナの前でそれを言われることに、言いようもないもどかしさを感じた。

「あれ、知り合いなんですか」

驚くシエナに、ルークが説明しようと口を開きかけたが、白チョーカーの方が一歩早かった。

「昨日遊んだの!」

いや、僕は生命の危機を感じたはずなんだけどな。

 心の中のツッコミが虚無の空間へ消えていく。いくら対話が大事だと言われても、この手の生物に対して、まともに会話ができる気がしない。

「へえ、ルークさん、子供好きなんですか?」

どちらかというと苦手だが、シエナが何を期待しているのか、わかりきっている中で、それを口にするのは憚られた。

「まあ嫌いじゃないよ」

と答えておく。たわいもないやりとりしていると、白チョーカーが「うー」とかまって欲しそうに唸り声を上げる。裾を引きずられたシエナは、ちょっと困り笑いをしながら、

「この子はパンセっていうんです」

と紹介した。

「花の名前だね」

ルークは、すぐにそれがパンジーの花を表していると気づいた。

「ご存知なんですね」

「国の言葉だから」

パンセは、他にも思考するという意味がある。だが、どう頑張って贔屓目ひいきめに見ても、この白チョーカーは何か考えているようには見えなかった。

「そういえば、他のみんなは?」

シエナは、かがみ込んで視線の高さを合わせると、パンセに向かって尋ねる。

「いるよ! でもビオラちゃん、昨日から帰ってきてない」

「え、そうなの!?」

シエナはいつもより大げさに驚きながら、

「迷子になったのかなー?」

と疑問を口にする。

なんとなく嫌な予感がした。

「トンデモナイ、見てない?」

「ルークさんですよ、この方は」

クスクスとシエナが笑っている。それ自体は微笑ましい風景に違いないのだが、ルークは今、それを楽しむ心の余裕がなかった。

「……黒っぽいチョーカーをしていたやつかな」

「そう! やっぱり見たんだ!」

力強くパンセはうなずいた。

 ……やっぱり。ルークもそれを思った。昨日手にかけてしまったバタフライ・ドールのことのようだ。

 ここで正直に説明すると反感を買う、と本能的に思い、質問することを選んだ。

「ああ、その通りだよ。どうして僕が見たんだと思ったのかな」

「だっておねーちゃんに変な虫がついてるから一緒にホカクしようって、ビオラちゃんにさそわれたから」

「えええ!?」

シエナが声をあげる。

「ほんとにビオラが言ってたの?」

「うん! それでね、ビオラちゃんと家のなか探してホウチョー見つけたんだけど、みーくんに止められてね、針がたくさんあったからそれ持っていこーってなったの」

……なんだかよくわからないが、まともな奴がいてくれたらしい。というか、止められるなら最後まで止めて欲しかった。命に関わる大切な問題だ。

 そこまで考えてから、「ん?待てよ?」思わず声に出しそうになった。今の話を聞いている限り、リラ図書館の話題が一向に出てきていない。ということは……単なる意味不明な私怨しえんで殺されかけただけであって、リラ図書館も、マダラも、全く関係がないとこの白チョーカーは言いたいのか?

「……」

「そんな……」

シエナがみるみると青ざめていく。大切な存在だという気持ちでいたのに、飼い犬に噛まれたような心境だろうか。

 しばらく呆然としていたが、それではダメだと思ったらしい。シエナは急にスイッチが入ったかようにルークに向き直った。

「ルークさん、ごめんなさい! この子達に悪気はないんです」

「そうだろうね」

ついでにいささか社会常識も欠けているということも忘れてはいけない。しかし、これでおあいこだ。

「一方的に悪いとは言えないよ。僕も自分の身を守るだけで精一杯だったから」

「……! じゃあビオラは」

シエナは目を見開き、震える。何かがつながってしまったように。

「もしかして……昨日見せてくれた白い粉って……」

「ん? いや、あれはそこにいる白いチョーカーの腕だけど」

「えっ」

「またダッキュウしたからあげた!」

そこにパンセが空気を読まず、無邪気にはしゃぎ声を上げる。

 また……ということは、よく外れるのか。あの白い粉が何の材質で出来ているのかはよくわからないが、コートにこびりついて洗濯するのが大変だったな、と思い出した。

 シエナは口を開きかけて何か言おうとしていたが、そのまま言葉を失ったようだった。絶句とはこのことを言うのだろう。

「ビオラちゃんはすごいんだよ。私よりもおしゃべり上手でね、しっかりしててね、なのになんでいつもあんなにムスってしているのかなあって思ってた。でもそっか、もうビオラちゃんは……」

うつむく姿に、残っている良心が痛くなる。昨日の映像が呼び戻される。崩れていく人像、砂を弔うように集まってきた蝶たち。蝶葬の風景——。

 パンセはグッと拳をにぎると、いきなり顔を上げた。

「セカンドライフ、楽しそう!」

口をとがらせて、ずるいずるいと連呼する。その爆弾発言に、今度はルークが言葉を失う番だった。

「…………悲しいとか、は、思わないのかな」

「えーなんで? だって喋ろうと思ったら喋れるしー」

「で、でも土くれに戻った時に何羽か降りてきてたぞ、あれは——」

「みんな、はちみつに反応してる」

「はっ?」

「はちみつ、おいしい!」

白チョーカーは確信に満ちた態度で、そう断言した。

「……」

おそらく蜂蜜を食べて生きている以上、土くれにもハチミツが残っているため、エサだと認知した、ということが言いたいのだろう。

 わずかながら、腹の底から怒りが込み上げてくる。

 少しでも神妙になってしまったあの気持ちを返してくれ。いや、蝶に知能を求めるなんていう愚かなことをしているのは僕の方なんだろうか。

 だんだんとパンセと話すのが馬鹿らしくなってきたその時、

「騒がしいと思ったら、家の人?」

声が聞こえた。奥から出てきたのを見て、ルークは目を疑った。

 左の髪だけが束ねられているその珍奇な姿は、薄暗くてもよくわかる。

「マダラ……!」

読みは当たった。

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