第28話 グレイの家②

「大丈夫」

続けてごらんと、ルークはニコッと笑ってうながした。もう既に、君には散々驚かされている。色んな意味で、という思いも少なからずあった。

「私のおばあちゃん、蝶とお話しできるみたいなんです」

と言ってから一度、シエナは話すのをやめて、ルークの様子をじっとうかがい始める。

 そもそも蝶を喋れる人型に改造したのだし、バタフライ・ドールも蝶と喋れるらしいし、まあその通りだろうなと思った。

 ……これは驚いた方がいいのか? シエナのすごく真面目な顔を見ていると、わからなくなってくる。もしかしたら「絶対に人に言っちゃいけないこと」と思っていたために、話す勇気が多く必要だったのかもしれない。

「そうだったのか」

「はい……。自然に生きている生き物にも、人間に興味を持って、人になりたいって願う子もいるらしくて、『その橋渡しをしてあげたいだけよ』っておばあちゃん言っていました」

人になりたい? だからそれで人にする?

 考え方から目的、方法まで、全てが未知の領域にあった。そもそも、やろうと思ってできるものなのか? それができるのだとしたら、魔法だとしか言いようがない。いや、これは魔法なのか、それとも預かり知らぬところで発達してしまった技術なのか。

 少し頭がくらくらしてきた。

「その魔法——魔術なのかは知らないけど、禁忌を冒してはいないのかな」

「? おばあちゃん、すごく元気で健康そうですよ」

「そんな、前日まで蝶だったっていう人間が話しかけてきたら、結構、衝撃的だと思うけども」

「ええっと、多分、ちっちゃい時から蝶人形がいたので、何というか、そういうものだと思ってました……」

そういうものだと思ってた、で絶対に済ませたらいけないだろうと思いたい。子供の適応力があなどれないのか、それとも個人的な性格が原因か……。両方関係していそうだとルークは思った。

 間違いなく、蝶と会話できることよりもそっちの方が衝撃的なのだが、シエナはそれに気づいているのか気づいていないのか、さっぱりわからない。

 歩いていると、周りの景色が変わってきた。

 街の中央は家が密集しているが、郊外に進むにつれてまばらになってくる。近郊農業で稼いでいるのか、畑もちらほらと存在し、視界に緑が増えてくる。それでも、数年前より家の数が増加しているのは間違いなかった。ガンドレッドが都市として発展しつつあるのだろう。時間と共に街の景色が変わっていくのは、嬉しくもあり、悲しくおある。

 シエナはまっすぐに道の奥を見ながら、ふと思い出したように話し始めた。

「でもやっぱり、バタフライ・ドールって不思議な響きですよね。私の家では蝶人形って呼んでたんです」

「へえ、蝶人形?」

「はい」

そっちの方が聞き慣れない。意味はどちらでも変わらないのだろうが、何だか節だらけの人形がイメージできた。

 だが、シエナにとってはその蝶人形という呼び方のようが当たり前だったのだろう。知っていると思っていた人の、知らない一面。やはりそれぞれの過去があるのだと、感じた。

 シエナの方に目をやると、首の下あたりに自然と視線が移動していく。すると突然、シエナがこちらに顔を向けた。心臓の音が大きくなる。

「やっぱり疑問なんですけど、ルークさんはどこで知ったんですか?」

気になって仕方がないというふうに、ルークに視線を浴びせた。

 一瞬何の話かわからなかったが、少しの間があってから、バタフライ・ドールの存在について聞かれているのだと気づいた。

「それは……」

何か答えないと納得してくれなさそうだと、シエナの顔を見て思った。それもそのはずだ。誰に対しても口外していないことを、ルークは知っていたのだから。

「いい質問だね」

ルークは、早鳴り始めた心臓を落ち着かせようと試みながら、言葉を選んで答える。

 最近バタフライ・ドールと接触していないのなら、もちろんリラ図書館との繋がりも知らないだろう。シエナが知っている情報は限られているはずだ。

「実は、頼まれごとをされているんだ。この前、依頼人に届けるよう頼まれているって言ったよね。その人から聞かされて教えてもらった。グレイさんともつながりがあるのかな、いくつか特徴を教えてもらったよ。首にチョーカーをつけているとか、はちみつで生きていけるとかね」

何も嘘はついていない。グレイと依頼してきたギルバードに繋がりがあるのかは知らないが、ないとは断言できない。

 ギルバードの名前を出そうか迷ったが、伏せておくことにした。シエナにこの件について、あまり関わってほしくない、という気持ちが働いているのかもしれない。未だに彼女を部外者として見たい気持ちがあることを自覚して、ルークは内心苦笑せざるを得なかった。

 シエナは真剣に聞いていたが、聞き終わる頃には表情を緩ませた。

「そうだったんですね。おばあちゃんだったら、確かに言ってそう」

追求を逃れたことを知り、ルークは安堵する。しかし、それも束の間だった。

「あ、着きました」

突然、そう告げられた。

 別荘だと聞いていたから、無条件に豪邸を思い浮かべていたが、見てみると普通の一軒家だった。赤い屋根の二階建てが敷地の中央に立ち、右手には倉庫小屋がある。街の中心部よりも、広い土地を持っていると感じるくらいだ。よく手入れされた芝生、玄関口に植木鉢があり、秋によく見かける花が咲いていた。その土が軽く湿っている。

「ここが……」

玄関に続く飛び石の横には庭があり、子供用のブランコや遊具があった。

 他人を家に入れる経験はあまりないのか、シエナは少し緊張している様子で、

「はい、あの、特に何もありませんけど、どうぞ」

と言いながら、合鍵をドアの鍵穴に差し込むと、開錠した。

 昼間だから明かりはついておらず、玄関口は薄暗い。建物の中から人の気配を探ろうとする。いるようにも感じるが、物音は聞こえてこない。

「ただいまー」

シエナは、割に大きな声で挨拶をした。しかし返事はない。

「あれ、みんなお出かけ中なのかな?」

シエナは首を傾げたが、すぐに、

「あ、どうぞルークさん、入ってください」

と促した。ルークが中に入ると、シエナはゆっくりとドアを閉める。

「……出かけたりするのかい?」

「はちみつを買い足さなきゃいけない時とか、よく買いに行ったりしてます」

案外バタフライ・ドールたちは自立しているのか? お手伝いでもいるのかと思ったが、それも別荘という響きから生まれる偏見だったかもしれない。

「それか、何か他に用事があるのかも……」

とシエナが言いかけた途端、突然薄暗い廊下の奥から、ガタンッと物音が聞こえた。

「?」

とシエナが近づく。廊下の曲がり角から、白い影が飛び出してくる。

「わぁ!!」

悲鳴のような大声で、ルークは一瞬ギョッとした。しかしその姿には見覚えがあった。

 あの時の白チョーカーだ。いつの間にか腕が戻っている。シエナに抱きついてニット服に顔を埋めたかと思うと、満面の笑顔を咲かせて見上げる。

「ねえねえ、びっくりした?」

白チョーカーは聞く。シエナもニコッと笑って、頭を撫でた。それからとても優しい声色で話し始めた。

「うん、びっくりしちゃったあ。ふふふ、パンセ。元気にしてた?」

「してた! ……あ、トンデモナイだ」

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