第27話 グレイの家①

 朝の公園は、いつもより空気が澄んでいるように感じた。初秋の紅葉樹が朝日に照らされ、鮮やかな色彩を放っている。公園の近くに教会があるが、平日だからか人の出入りはまばらだった。

 ルークは石畳を踏みながら、考える。

 まさかシエナがバタフライ・ドールと関わっているとは思わなかった。「何で関わりがあるんだ」と思わなくもない。シエナは、見た目通りの罪のない「白」のままでいて欲しかった……いや、まだ勝手な決めつけはよろしくない。

 今だって、何かの嘘だと思いたい気持ちは残っている。だがこの胸騒ぎは何だろう。それを確かめるためにも、向かわなくてはいけない。それに、グレイの別荘に行けば、もしかしたらマダラがいるかもしれないのだ。

 公園の中央には、青銅の聖人像が立っていた。聖人の名前は忘れたが、古風な服装をして、右手に分厚い本を持ち、軽く握られた左手の人差し指が天を指している。その台座部分に、見覚えのある影が立っていた。

 髪は柔らかく編み込まれ、横顔がはっきりと見えた。毛糸の質感が浮かぶ白いセーターを着て、手提げ鞄の紐を両手で握っている。膝下まで伸びている淡い青紫のスカートが微風にたなびき、ふくらはぎをのぞかせる。

「あ、ルークさん、おはようございます」

そこそこ早く来たつもりだったが、それより先に来ていたらしい。かなり距離があるところから気づかれて、手を振る姿が見える。振られたから、ルークも振り返した。

「おはよう、待たせちゃったかな」

「いいえ、そんなに待ってません」

そう言ったのは、シエナなりの気配りだろう。もしシエナの姿が見えなければ、ルークもルークでその辺を歩いて時間を潰していただろうから、同じかもしれない。

 近づいてみると、いつもより目元がくっきりしているように見え、全体的に可愛らしい印象があった。やけに気合が入っているようだ。おかしいな、グレイの家に案内してもらうだけのはずなんだが、と思いながら、逃れられないものを感じて、わずかに汗が流れた。

 本当に人間関係を続けたいと思うのだったら、ここからが本番だ。昔、そういったことが得意な知人から聞いた話では、「感謝を口にすること」「自分語りをしないこと」「相手の話は最後まで聞くこと」がモテる男の三大条件だと繰り返していた。モテたいかモテたくないかと言われたらもちろんモテたいに決まっているが、でも今日は話が別だと思い、よみがえってくる言葉を頭から振り払おうとする。

 そうだ、目的を見失ってはいけない。ルークは自分に言い聞かせた。

「行きましょう!」

元気な声でシエナは促した。それを見ていると、自然に笑みがほころんでしまう。

「ああ、そうだね。けど今から行ったらちょっと早くないかい?」

「早いですか?」

「予定時間より早く行ったらグレイさんが……」

予定より少し遅れて到着した方が、相手に準備時間が与えられて良い、という考え方がガンドレッドの街では当たり前になっている。特に私用で訪問する場合はなおさらだ。今から行くと早すぎると思い、ルークは心配した。しかしシエナはいつもの笑顔で答えた。

「おばあちゃん、今は家にいないんですよ」

「え、そうなのか?」

てっきりグレイとのアポが取れたものだと思っていたルークは驚いた。

「はい。『珍しい蝶が見つかった』って耳にしたら、出かけることが多くて。結構アクティブですよね、うちのおばあちゃん。長いと半年とか二年とか戻ってこなかったりするので」

頻繁に旅に出かけられるということは裕福な方なのだろうか。旅費が出るならシエナの生活費も出そうだが、どういう状況なのだろう。

「じゃあ……」

「合鍵を預かっていますから、でも誰もいないわけじゃないんですよ。その、あの……あの子たちがいます」

と、もしかしたら聞いている誰かを気にしているのか、婉曲に表現する。しかしルークが意味を理解するには、十分すぎる表現だった。

 バタフライ・ドールがそこにいる。ルークの表情が固くなったのを見て、シエナは慌ててフォローしようとする。

「で、でも怖くないですよ。可愛くていい子たちです」

僕はそいつらに殺されかけたのだが、と言いたくなったが、言っても野暮だから黙ることにした。

「行きましょう」

シエナは体の中に秘められた喜びをチラチラと表に出しながら、そう提案した。そして軽い足取りで歩き出す。ルークもすぐに隣に追いつき、歩調を合わせた。

 シエナが実家に住まない理由は何だろうか? 人間のようで人間ではない。バタフライ・ドールが怖くなったとか? それとも家族関係で何か問題があるのだろうか。あまり家庭事情を詮索するつもりはないが、道中の世間話のついでに訊ねてみた。

「実家はよく帰るのかい?」

「昔はしょっちゅう帰って行ったんですけど、今は半年に一回くらいです。やっぱり……どうしても、家にいるより友達といる方が楽しくて」

「へえ、そうなんだ」

普通に自立して、友達とシェアハウスをしている、と取れなくもない。

「じゃあバタフライ・ドールとは会っていないのか」

「はい、そうですね。数ヶ月くらいは見てないです」

しばらく接触はないらしい。シエナの言葉通りなら、少なくとも最近の事件にシエナが直接関わっているわけではなさそうだ。それがわかると、少し安心できた。

「バタフライ・ドールは何体いるの?」

単位はこれでいいのか、と思いながら、さらに質問してみる。どこまでが込み入った話と感じるのかはわからないから、聞いた後は毎回シエナの様子を確認していく。

「今は実家に3、4人です。冬になると、ちょっと大変そうなんですけど、今年の冬は暖かいらしいので、良かったです」

けれどもそれは杞憂だったらしい。シエナはそう言いながら、本当に嬉しそうにニコニコしていた。

 確かに昆虫類に越冬は厳しいだろう。とその話を聞いて思った。そもそもバタフライ・ドールの寿命はどのくらいなのだろう。「大変そう」というのは、何が起こるのか。知れば知るほど謎が深まっていく。

 ともかく、数としては黒と白、そして他の二体のようだ。首についているチョーカーの色も、個体が違えばまた異なるのだろうか。自然とそうした疑問が出てきた。

「チョーカーの色は何か意味が?」

「チョーカー?」

意外なことを尋ねられたというふうに、聞き返される。

「ほら、首についているのがあるだろう? あれが何か意味があるらしい……」

最後まで言い終わる前に、ルークは異変に気づいた。シエナはハッとした表情のまま固まっている。何かまずいことでも聞いたのかと思ったら、突然「あわわわわ」と取り乱し始めた。

「チョーカーってあのチョーカーですか」

「う、うん?」

他にどのチョーカーがあるんだ、と心の中で思っていたら、

「私、チョーカーってネックレスのことかと……勘違いしてました」

シエナは恥ずかしそうに告白した。

「何をどう間違えたのかな?」

思わず聞いてしまった。ちょっと何を言っているのかわからなかった。

「もっと長さがあって、てっきりルビーの宝石でもついているのかなと……思っちゃって……」

恥ずかしさがピークを超えたのか、一瞬、両手で顔面を覆った。

 どうやら脳内変換を間違えたらしい。

 赤いチョーカーと言っても全く反応しなかったのは、バタフライ・ドールとチョーカー自体が結びつかなかったわけではなく、顔の皮がとても分厚いわけでもなく、そういうこと、らしい。

 「それはもっと早く気づいてほしかった」とか、何か言ってやりたくなったが、今までの経験から、これ以上小言を言うのは危険だと思い、グッとこらえる。弱っている女性にとどめの一言をさすと、好意のベクトルが真反対に向かう可能性がある例を知っていた。

「ごめんなさい、もっと早く気づいていれば……」

「気にすることないよ。ほら……まあこうやって君と歩けているんだし」

逆にポジティブに考えよう。シエナに最初から気づかれていたら、警戒されていただろう。そうするとシエナからバタフライ・ドールの手がかりを得ることはできなかったかもしれない。結果的にこれでいいんだ。うんそうだ、そういうことにしておこう、

「ほ、ほんとですか」

シエナの顔がさらに赤くなった。それをごまかすように話題を戻そうとする。

「え、えっと、なんの話しでしたっけ……?」

「何だっけ? ——ああ、チョーカーの色って何か意味があるのかっていう」

「そうでした! 基本的には元になったチョウチョの色からとってきているみたいです。なので意味があるかって言われると、んーと、どうでしょう? すみません、聞いたことないかも」

「そっか」

それほど深い理由があるわけではないようだ。微妙な雰囲気になってしまったと感じながら、現段階で思いつく、最後の質問をする。

「もう一ついいかな。どうしてグレイさんがバタフライ・ドールを作っているのか、知っているかい?」

どうしてもここがわからない。バタフライ・ドールたちは「自由だ」と、マダラも白チョーカーも言っていた。だが、蝶から人型になることが自由なのかと言われると、いまいちよくわからない。

 チョーカーの誤解について、それ以上触れてこないことに安心してきたのか、シエナはだんだんと落ち着いてきたようだった。

「それならおばあちゃんに聞いたことがあります。あの……こんなこと言ったら多分、驚いちゃうかもしれないんですけど」

と、前置きした。

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