第26話 シエナ②
ルークはしばらく二の句が告げなかった。
「——え、いや、ちょっと待って」
慌てて手のひらをシエナに向ける。その拍子に軽く机が揺れ、ガタンと食器が音を立てた。
おばあちゃん——蝶——人型——知っている……。
シエナのおばあちゃんがバタフライ・ドールを造った人物なのか?
そしてその人がクレイ、なのか?
まさか、ありえない、と思いつつも、完全に否定できる証拠があるわけでもない。
マダラによると、髪の色は灰色っぽいブロンドだと言っていた。白チョーカーのバタフライ・ドールは、グレイには孫がいると言っていた。シエナの髪色も、かなり白に近い金色をしている。歳を重ねたら、ちょうど綺麗なグレイヘアになるのかもしれない。
まさか、まさか……。
嘘だ。そう思いたい。
しかし辻褄が合ってしまう。
「その人形は動くのか?」
ルークはまっすぐにシエナを見る。シエナはビクッと震えた。
「ええっと」
「喋ったりする?」
畳みかけるように言ってから、シエナが明らかに怯えているのを見て、我に返った。
女性が怯えるほど強圧的にやるなんて、らしくない。一旦頭を冷やさねば。自制しろ、自制するんだ自分。こういう時だからこそ、ここは慎重にいかなければ……。
シエナは急に黙った。困りきった顔で、なんと答えたらいいのかわからなさそうに、ルークを見ている。しかし、視線は合わない。
この事件に部外者なはずのシエナが関係している? そんなのは馬鹿な妄想だと早く否定して欲しかった。気のせいだと思いたかった。
「言えないことがある、か」
「いえ、そんなこと……」
「じゃあ僕から言ってしまおう。これを見てほしい」
荷物カゴに入れておいたコートを取り上げる。この中にバタフライ・ドールの腕が入っている。まさか家に帰るまでに、誰かに見せることになるとは思わなかった。
ルークは一瞬躊躇したが、すぐに布地をめくりあげた。
中から白っぽい砂が出てきた。
「あれ——!?」
思わず声が裏返る。コートに細長い形状の砂がこびりついているが、原型はほぼ失われている。
一体何が起きているのか、わからなかった。
もしかして、外れた部位は石灰みたいな材質に戻るのか全部——!?
シエナの頭の上に「?」マークが浮かぶ。不思議そうにルークとそのコートを見ていた。
ルークは変なタイミングだと自覚しながら、咳払いをする。
「——っいや、まあいいんだこれは。僕は今、バタフライ・ドールというものを探していてね。この前探していると言った女の人も、実は人間じゃない。そのバタフライ・ドールってやつなんだそうだ。あまり信じたくはないけどね、シエナさん」
「……はい」
「君がそれについて知っているなら、少しでも手がかりが欲しい。僕自身としても知りたいんだ。あれが何者なのか」
シエナはうつむいて、空になった料理のテーブルに視線を落としたまま、動かない。
いろんな思いが渦巻いているのだろう。
悩んでいる姿を見ると、心が苦しくなる。だが、何かを選ぶためには、何かを捨てないといけないこともある。祈るような気持ちで、シエナが答えを出す間の、沈黙を耐えた。
やがて、顔が上がる。
「ホントは言っちゃダメって言われてるんですけど」
いろんな感情がごちゃ混ぜになったような、繊細な表情。今にも泣きそうにも、怒っているようにも、笑っているようにも見えた。
「ルークさんなら大丈夫って、思ってます」
突然キイィイィと裏口のドアの音が鳴り、二人はビクッと震えた。それから店長が片付けをする物音が聞こえてきて、二人の間に、思わず知らず小さな笑いがこぼれる。
視線が合い、暗黙の了解が生まれる。この話は店長に聞かれてはいけない。
「あ、あの、今度お休みが取れたら、私のおばあちゃんのお家に行きませんか。すぐ近くに郊外があるんです」
そこでちゃんと話がしたい、というシエナの意志を感じた。
「グレイ、さんだっけ」
「知ってるんですね」
「名前しか知らない。聞いただけだよ」
バタフライ・ドールから、と言外で付け加える。シエナはそれを含めて頷いた。
ルークもうなずき返す。
「行くよ」
その言葉の後に、わずかな静寂が広がった。
「えっと、それならまず店長に話をしないと……」
とシエナが立ち上がりかけると、うわさの本人がひょこっと姿を見せた。
「呼んだか?」
……案の定聞こえていたらしい。
「あの……」
「何!? デートォ!? んなもん明日行ってこい!」
まだ何も言っていないのに、店長は手首を回しながら一人で盛り上がっていた。
「いいんですか?」
「もちろん。青春は謳歌できるうちに謳歌しておかないと、気がついたらおっさんよ」
と言って腹をさする。それからルークと視線を合わせると、言い放った。
「やりたいことできるうちにやっとけ」
「……ありがとうございます」
ルークは感謝の言葉を述べる。
どういう意味で言っているんだか。深い意味は考えず、その好意だけを受け取ることにした。じゃないと考えるだけで頭が痛くなりそうだ。
自営業だから休暇を出すのも個人の判断なのかもしれないが、その判断をすぐに出した店長に、貫禄と年齢の厚みを感じた。
「ガハハ、いやあ、ここんところ毎日善行を積んでるよなあ」
と、ご機嫌にのしのし歩き始める。前言撤回しよう。それを見ていると、ただのおっさんに見えてきた。
両手を組んで、シエナはパアッと表情が明るくなった。
「店長、ありがとうございます。ルークさん、行きましょう! ……明日」
と声のトーンを上げて嬉しそうに言う。さっきよりも、わずかに顔が赤くなっているような気がした。
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