第42話

 壁も床も、一面が白い通路を見て、再び別世界に来たような不思議な感覚に打たれた。材質は大理石……と思ったが違う。これも単なる塗装のようだ。

 図書館のスペースよりは比較的小さな部屋に、見慣れない物がたくさん置かれている。床ボコリはほとんどなく、掃除が行き届いて清潔な部屋だが、よそよそしい圧迫感は拭えなかった。

「マダラ」

呼んだら返事が返ってこないかという淡い期待で、声を出す。

 しかし返事の代わりにルークが見つけたのは、青みがかった白色のベッドだった。病院にはあまり行ったことはないが、そこでよく見かけるものによく似ていた。硬そうなシーツの上に、間違いなくマダラが仰向けに寝ている。いや、手足を寝台に輪っか状のもので縛りつけられて、寝かされている。

 どういう状況なんだ、これは。

「マダラ……? おーい、大丈夫か?」

声をかけるが返事がない。

 気を失っているのか、それとも別の理由なのかわからない。死んでいるなら灰になっているはずだと思うと、余計わからなくなってきた。

 よく見たら体の一部が目に飛び込んでくる。見覚えのある黒い服が、縦に裂かれ、胸が開かれていた。

 一瞬反射的に目を背けかけたが、それ以上に違和感を感じてもう一度見ると、ガラスのような透明な球体が埋め込まれているのに気がついた。内部からは鮮やかな濃いオレンジと黒い模様の蝶が透けて見えた。動きはしない装飾のようではあるが、本物が閉じ込められているのでは、と思うほど精巧だった。そしてそれはひょっとすると事実なのではないか。

 ホンがバタフライ・ドールの作り方を知る方法。

 それはやはりこれだったのか。悪い予感が当たった。

 解体。

 専門の技師が、自分の得意分野の作品を分析したら、その構造が手に取るようにわかるのと同じ理屈で、マダラは解体されようとしていた。

 わかっていたなら止められたはずなのに、と早くも後悔しそうになる。しかしそれはホンを見て直感的に感じ取ったことだ。リラ図書館に来る前までは、はっきりとはわからなかった。

 とにかく、マダラを救出しないと、と思った。

 リラ図書館を敵に回したいわけではない。

 ただ、マダラにも生きる権利があるはずだ。そう思った。

 ホンを説得すればいい、他の方法はないのかと。

 近づこうとすると、フードを被った人らしき人物が立っている。一瞬警戒したが、全く微動だにしない以上、それも置物のように見えた。

 薄気味悪さを感じながら無視して近づき、腕の輪っかを外そうとするが、外し方がわからない。勝手に動かす方がマダラにとって危険か? という疑問が脳裏をかすめる。しかし、だからと言って何もせずじっとはしていられなかった。

「外しますカ」

ベッドの前に立っていた存在感のない個体が口を動かす。白いフードをつけていて、口元だけしか見えない。顔の上にはがっしりと黒い布を巻いている。どうやって見ているのだろうと無性に気になった。

 さっきドア付近で見かけたのと似ているが、この人は女性の声に聞こえた。無機質な印象だが、ブレスレットをつけているのに、唯一の個性が認められているように感じた。

 動かなかったものが突然喋り出したことに、また心臓に悪いな、とルークは思った。けれども相手から敵意は感じられなかった。従順な大人しさを彼女から感じた。

「ああ……そうだな、頼んでもいいのか?」

戸惑いながら頼んでみると、フードの女性は繊細な指先を器用に動かし、本当に外し始めた。やっぱりどうやって見えているんだ、という素朴な疑問が強くなる。

「君は誰なんだい?」

まず相手が誰なのかを知る必要があると思った。いきなり目的を直球で尋ねるよりも、答えやすそうなことから訊いてみることにした。

 相手は少し間を置いてから、

「ムーレン」

と名前を言った。

「君らはここで働いているんだろう? どうして僕を手伝ってくれるんだ?」

ムーレンの口がわずかに歪んだ。

「誰かの役に立ちたかった……私は立てなかった」

その気持ちは本心なのだろう、ということは伝わってくる。何だかよくわからないが、心の線引きがうまくいっていないらしい。役に立ちたいというのなら、論理的に考えてホンに従うべきならそうするのが妥当だろうに、なりふり構わず他人に命令されたことを実行するというのか? もしそうだとしたら、そこまで追い詰められた精神状態を心配になる。

「何かあったのかい?」

と尋ねてみる。するとムーレンの手元が狂って、金具に指を挟みかけた。幸いすぐに外れたからよかったものの、この質問が精神的な負荷になったことは明らかだった。

「先に他の話からしようか。ここで何が起きたか教えてほしい」

「…………はい」

と彼女が答えた途端、扉が開いた。

 心臓が大きな音を立てた。タイミングがいつも悪すぎる。

 入ってきたのはホンだった。レミィも瓜二つなくらい似た変装していたから、一瞬、あれ、どっちだ?と迷ったが、動きが硬いから本物だろうか。

「まだいらっしゃったのですか」

言葉遣いで確信した。これはホンだ。

 怒っているようには見えないが、ほんのわずかに声が低い気がする。

「聞きたいことがあるのでしょうか」

と言うと、ホンは体を少し斜めに向けて立ち止まった。

 そう言われたことが、とても意外に感じた。怒るわけでも注意をするわけでもない、余裕を見せているというよりは……これは……どこにも繋がっていない穴に、小石を投げ入れたような、そんな虚無感を覚える。重要人物だとも、微塵の脅威も感じていない。相手はルークに対して一切の興味がないように見えた。そうでなければ、こんな反応は出てこない。

 ルークはそのことに何故か焦りを感じながらも、それなら、と尋ねることにした。

「こんな目に合わせなくても、本当はもう作れてるんじゃないのか?」

こんな目に、というのは言うまでもなくマダラのことだ。道中見た二つの人形のようなものを見ると、そう思わざるを得なかった。それがルークの出した推論だった。

「さようでございます」

ホンは悪びれる様子もなく、そう告げた。

 肯定されたくなかった。せめて否定してほしかったという思いが、どこかにあった。それはマダラのためなんかじゃない。自分のためだ。それならまだ自分がやったことの正当性を立てられる気がしたからだ。

 しかしホン無慈悲にも、機械的に肯定した。ルークの掴もうとしていた希望を、愚かな幻想として打ち砕いた。

「——! じゃあなんで……」

「どのような技術が使用されているかは、直接見て解明する必要がありますので」

「だけど技術があるんだったら、もっといい答えを、もう知っているんだろう? だったらマダラじゃなくてもいいはずだ」

「マダラ……この個体名ですか」

ホンは視線を下に移した。そこには未だ横たわっているマダラの姿があった。それを見ても、ホンの感情は動かなかった。

「行きすぎた技術供与は、文明を崩壊させるリスクを上げます。あなた方の言葉で言うならば、膨大な力を与えられた時、生物は自己の優位性を守るために他者を攻撃する。圧倒的な差があればこれはワンサイドゲームです。しかし敗者を滅ぼす武器は、向きを変えるだけで極めて簡単に自己を滅ぼす力に変わるのです」

「それってどういう……」

突然の話に、ルークは戸惑った。僕は今、淡々と恐ろしいことを言われているような気がする。人間の温かさすら忍び込めないほどの、理知的な狂気を感じた。正直頭が少し行かれているのではないかと思った。

「弱小な技術はあなた方にもメリットがあるはずですよ」

 ホンは説明を続ける。

「人形師はマイナーではありません。何を媒介に主従関係を結ぶかは人それぞれですが、人間よりも劣ったものを使役することで、人間の価値を向上させることはこれまで何度も繰り返されてきたことです。この技術で大量生産が実現すれば、労働力を必要とする分野の軽コスト化が進みます」

 難しい言葉のせいで何を言っているのか全部はよくわからないが、ようやく話が少し飲み込めてきたように思えた。

 大量生産、それがキーワードなのか。そうルークは受け取った。

 バタフライ・ドールみたいなのが大量に社会に出てきたら、どうなるのか。想像しただけで、ゾッとした。街の人々にどう説明するつもりだろう。人間の姿をした人間ではない存在が……そう簡単に民衆に受け入れられると思っているのか?

 僕自身、完全に受け入れられているとは言い難い、とルークは自覚している。そしてルークよりも受け入れない人が続出するのは目に見えている。なのにそれを実行するとか正気の沙汰じゃない。

 しかし、やはりと言うべきか、ホンには、ルークが懸念していることについては伝わっていないようだった。

「以上が主要な目的です。この説明で満足いただけましたか?」

「いや……」

ルークの曖昧な返事に、ホンは眉をひそめた。目がわずかに細くなった。

「ガンドレットの現皇帝が、さらなる繁栄を求めている、と説明すればよろしいですか」

「そうなのか……まあありえそうな話だけど……、でもやっぱりマダラを助けるつもりはないのか」

「……質問の意図が不明です」

「マダラには感情も話す言葉もある。悪い奴じゃなかったじゃないか」

「バタフライ・ドールは人間ではありません。何か勘違いをされているのでは?」

「それは……」

ルークは言い返そうとしたが、その事実は自分が一番感じていることでもあった。ホンの正論に、ぐうの根も出ない。

 だが、論理と感情は別だ。「だからなんだ?」という思いが出てき始めていた。

 その時だった。

「誰が……人間、じゃないって……?」

途切れ途切れのか細い声が、聞こえた気がした。マダラの声に聞こえた。気のせいか、と思い振り向いた瞬間、突然、ムーレンと名乗っていた女性がバタン、と倒れる。

「——!」

「どうしましたか」

と視線を動かしたきり、ホンは話さなくなった。その理由は、マダラが上半身を起こしていたからだろう。さっきまでムーレンガいた位置に、マダラの腕が伸びていた。倒れた音を聞くと、だらりと下ろす。

「マダラ、起きたのか」

 ルークはほっと安心しかけ……。

「やっぱり騙した……」

と恨みのこもった声で言われる。顔の表情が今までにないほど、静かな怒りを発している。マダラの様子がどう見てもおかしい。

「いや、誤解だってこれは」

 咄嗟に言い返すが、マダラの瞳の奥に宿った不信は消えなかった。その目には殺意も読み取れる。さすがにこれはまずい状況だ。

「予備動力があるのは意外なことでした」

 ホンは質問というより、独り言を話しているようだった。今気になることがそこなのか、と言いかけたが、ホンは無防備にマダラに近づいていく。

「あ、いや、ちょっと、毒にやられ……」

と止めようとしたが、ホンはマダラを触った。

「せっかくの場を汚されると迷惑なのですが、バタフライ・ドールの技術完成度を見るのにいい機会になります」

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