第12話 バタフライ・ドール マダラ③

 「んん、そうだな……」

ルークは歯切れの悪い回答をする。

 関係ない、と切り捨てるのは変かもしれない。と思いかけて、ルークはマダラの言っている事の重大さに気がついた。

「ちょっと待ってほしい。それって、死者の魂が蝶に生まれ変わる、ってことかい?」

 突然のルークの熱心さに、マダラは少したじろいだ様子だった。

「生まれ変わるのかはわからないけど……一時期、宿ることはあるみたいよ。生きている人に伝えたいことがある時とか。虫の知らせみたいに」

「話したことはある?」

「ある」

マダラは頷いた。それからごく自然に付け足した。

「お父さんが遠いところで死んだんだけど、それを息子に伝えたいって。その場合の蝶は、媒体ね」

相変わらず、嘘をついているようには見えない。だが、ルークは信じたくなかった。アンが蝶になっているなんて想像したくもない。

 それなら、バタフライ・ドールだったらいいのか? ふと、自分に対して疑問が出てくる。蝶なら駄目で、人間の形をしていれば、それでいいのか? 自分は愛するものを外見で判断しているというのか?

 そんなはずはない、と強く否定する。もしそれが真実なら受け入れよう。だけどそれは「もし」の話だ。妹はもういないはずだ。わかっている。僕の目の前で死んだ。

 そう思うと次第に嫌悪感が出てくる。それが自分に対してか、マダラに対してか、明確には分けられなかった。こいつは偽物なんだ。と思いたくなった。死者と話せたとして、何になるというのだろう? 気休めに過ぎない。

 だがルークは大人だ。そういったことを、あからさまに顔に出したりはしない。

「それで?」

とマダラは話を戻したがった。ルークは本心とは違う、用意していた人向けの回答をした。

「ごめんだけど、アンの話はあまりしたくないんだ」

すまなさそうに眉を下げ、笑う。話すべきだと頭ではわかっている。もしかしたらマダラが何か知っているかもしれない。それでもルークは喋る気には、ならなかった。

「どうしても嫌な気分を思い出してしまうからね」

 それは一部、事実だ。アンは僕のせいで死んだ——ラゼルは決してルークのせいじゃなかったと何度も言ってくれたが、ルークはまだどこかで、そう思っている。

「そうなのね」

ルークの予想通りの反応をした。マダラは少しまだ聞きたそうにしていたが、それ以上踏み込もうとはしなかった。

 このまま話を終えるのもお互いの関係的によろしくない。ルークは切り替えるように形だけの笑顔を浮かべ、

「でもまあ、そのグレイさんっていう女性の存在、僕からセンターに聞いてみるよ」

と申し出た。

「本当?」

マダラが安心したように喜ぶ。ルークは表情を変えずに付け足した。

「センターが知っているかどうかは分からないけどね。……ああ、でも確実に情報が手に入る施設が存在する」

「どこ?」

「リラ図書館だ。聞いたことあるかい?」

 ルークは笑みを深めた。マダラは首を振る。

「あそこには人類の叡智が詰まっていて、答えられないものはないと言われている。例えば迷宮入りした事件の真相とか、誰かの人生、それから国の行く末までね」

「そんなところが……」

マダラは感嘆を漏らした。バタフライ・ドールなんて、存在自体が迷信みたいな奴なのに、迷信深いとは。大体、本当にそんなところがあったら、いくら本にするとはいえ、建物に収まりきらないだろう。膨大な量の本を貯蔵するために膨大な大きさの土地が必要となり、必然的に場所が特定されるはずだ。実際にそれがあるとしたら、図書館という形で存在しているのかどうか、ルークは疑問に思った。

 しかし、それは今考える問題ではないだろう。

 ルークは続きを言ってしまうのを堪え、彼女が瞳の中に希望を込めて、再び質問するのを待った。自分からギルバードのところに行こうとしないのなら、主体的に動くように、動機づけをすればいい。

「どこに行けばあるの?」

ルークは心の中で、よし、と呟く。本人の「行きたい」という意志が大事だからだ。別に騙しているわけではない。お互いの利害を一致させるだけだ。

「そういう大事なところだから、普通の人はなかなか入れない。……でも落ち込まなくても大丈夫。なぜって……」

 ルークは続きを言いかけて、不意に、ここがラゼルの家だったことを思い出した。うっかり下手なことを言えば、ラゼルに邪魔されるかもしれない。

「他では絶対に言えないんだけど——ちょっと耳、貸して」

「う、うん」

マダラは急にお願いされて、少し戸惑った。

 ルークは顔を近づけ、小声で伝える。

「ギルバードっていう、とても親切な貴族がいてね、彼に会えば案内してくれる」

「ほんと」

彼女の口から、はちみつの匂いがした。ルークはしっかりと頷く。

「本当だ。……絶対に他言無用だぞ。ラゼルとか」

最後の固有名詞は、ポツリと口にした。

「ええ、わかったわ」

 彼女は何の疑問も持たない顔で、頷いた。ルークは企みがうまくいきそうな予感がして、

「じゃあ、まずはセンターだな。僕が聞いてくるから、君はここでゆっくり休んでてほしい」

と言い終わって、もう冷めてしまった紅茶を飲み干す。聞きたいことは全て終わった。

 ルークは立ち上がって自分の上着に手をかけると、マダラはふと思い出したらしく、

「そういえば、私のローブは?」

「ローブ? ああ、あの灰色のやつ?」

「そうよ」

昨日の夜、マダラが着ていた服のことだろう。ボレードの武器に引っかかって布地が破れ、地面に落ちた後、ボレードに渡されて……。そこまで思い出すと、ルークは自分のしたことを思い出して、苦笑した。

「……ごめん、ボロボロになってたから、捨てちゃったよ」




 室に入るなり、ムッとした生活臭がした。ルークはドアに物を挟んで固定し、換気をする。物と物に挟まれた「通路」を歩く。それから雑貨で積み上がった木箱を移動させて、ドアノブに手をかけた。

 カチャリと金属の音がして、開く。微風と共に大量の埃が湧き立ち、ルークはそれを吸って咳き込んだ。カーテンは閉じられ、陰気臭かった。他の部屋とは対照的に、ここは綺麗すぎるほど、ほとんど何もものがない。女の子が好みそうなクマのぬいぐるみがベッドに置いてある。妹は「テディ」と呼んで、可愛がっていった。妹自らが刺繍したリンゴのアップリケのついた布団が綺麗に敷かれている。棚には櫛や化粧品、日用品が置かれ、下の段には畳まれた衣類が積まれている。

 ルークは中に入ると立ち止まり——そして入ったことを後悔した。自分は何を求めてここに入ったのだろう。

 それでも足を踏み入れると、さらに埃が舞った。机には露天商の画家に描いてもらった妹の似顔絵がある。胸の辺りに、人からプレゼントされた石が輝いていた。微笑みを浮かべてこちらを見ているが、実際と比べて平面的で、立体感があまりない。

 妙に静かすぎる部屋。

 それでも、とルークは思った。

 妹は確かに、ここにいたのだ。

 どのくらい立っていただろうか。あまり居心地が良くないはずなのに、足を動かすことができなかった。外からの風を感じ、ドアを閉めにいくという理由を見つけて、ルークはやっと部屋を出ることができた。ドアを閉めて換気を終えると、自分のベッドにもたれこむ。

 シエナには「よく寝れた」と伝えたが、椅子の上で大して眠れたわけじゃない。気が立っていたし、第一女性の家だ。夜中はほとんど眠れなかった。

 このまま一眠りしよう、と思った。ルークはラゼルの家を出ると、まっすぐに自室に帰って来た。

 マダラとの約束はどうした? センターは、事件の情報を提供する場所だ。グレイという人物がなんらかの事件を起こしていないのなら、易々と個人情報を他人には伝えてはこない。そもそも、こんな大都市に誰が住んでいるかなんて、いちいち把握していないだろう。

 つまり、行くだけ無意味ということだ。マダラには「残念だがわからなかった」と言って、ギルバードのおっさんに引き渡せばいい。それで僕の仕事は終わる。

 マダラがリラ図書館に行けるかなんて、僕の知った限りではない。

 バタフライ・ドールが蝶だということはわかった。だが、それがなんだ? マダラはアンじゃないことがわかった。……それで十分だ。

 ルークは仮眠を取ろうと思い、目を閉じると、意識を手放した。

 しばらくして、

 ——タンタンダンダンッ。

 ドアを強く叩く、騒がしい音がして、ルークは目を覚ました。辺りはまだ明るいが、時間いくらか経っているようだった。

 一体誰だ、家賃ならこの前払ったぞと思っていると、

「ルーク、大変だ」

ラゼルの声が聞こえてきた。

 ラゼル? どうしてここに?

 ぼんやりとした頭で天井を見上げていると、ラゼルは再び大声で訴えた。

「彼女が逃げ出した!」

「はあ!?」

ルークはベッドから飛び起き、急いでドアを開ける。

 すぐに、ラゼルの焦り切った顔と対面した。

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