第10話 バタフライ・ドール マダラ

 リビングには、ラゼルの手作りの家具が、部屋を形作っている。オークのテーブル、木棚。一つ一つが入念に作られ、丹念に手入れされ、暖かい空間を生み出している。理想の家庭と言えば、こういった部屋だろうと思わせるような、高価ではないが良質な雑貨が、棚に配置されている。雑貨はラゼルの奥さんが選んだものだろう。

 雰囲気が柔らかい。

 アンと住み直すなら、こういう部屋も悪くないかもしれない。今住んでいる家は物が溢れかえっているから、一度大掃除するくらいなら、新しいところでやり直すのも手だ。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、ルークは焦茶のテーブルに、組んだ両手を乗せる。角を丸くした四角いダイニングテーブルには青緑色の花瓶とクッキーの入ったバケットが置かれている。座っている椅子ももちろん木製で、クッションが敷かれている。

「僕はルーク。もうわかりきっていると思うけど、ラゼルとは長い付き合いで、たまに働かせてもらっている。改めて聞くけど、名前は……」

ルークは相手の緊張を解きほぐそうと思い、まず自己紹介から入った。目の前には彼女が向かい合って座っていた。ラゼルの奥さんが淹れてくれた紅茶が、まだ湯気を立てている。

「マダラよ」

「この街には住んでいるのかい?」

当たり障りのない質問から始めようと思った。コミュニケーションをする際には、入りやすい話題の方がいい。

 マダラはルークの質問に、首を振った。

「ううん、私は最近来たの。何日くらい前だったか、忘れちゃったけど、あれはいつだっけ……あ、そうそう、来てから数日たって、お祭りがあったの。なんていう、なんだっけ……確か……」

「聖ジョージ祭かな?」

「ああ、多分、そんな名前だったわ」

マダラは声を明るくする。こうしてみると、割合素直な性格らしい。見たところ、10代後半くらいだが、都会にすれていないからか、少し幼く見える。

 アンがもし生きていたとしたら、ちょうどこのくらいだろうか……と思いかけて、思考が脱線しかけていたことに気づき、無理やり切り替える。

 聖ジョージ祭の頃ということは、大体十日前にここにやって来たことになる。

 治安維持センターの話では、一ヶ月前に始まったと言っていた。初めに毒塗りナイフで一月にされた死体が見つかった、と。

 マダラの話が本当なら、一体誰がそれをやったんだ? 懸賞金を上げるために人為的につなげたのか、それとも……。ルークは考えながら、その思考を外に見せないように質問を続けていく。

「この街に来る前は、どこに?」

「他の街にいたわ。探している人がいるの。そこにいるんじゃないかと思って行ったんだけど」

「探している人?」

「グレイっていう女性、知らない?」

ルークは脳内で検索してみたが、グレイというのはポピュラーネームの一つで、苗字にも名前にも使われている。グレイだけだと、ちょっとわからない。

「あー……どういう人なのかな」

「私をバタフライ・ドールにした人」

その言葉に、ルークは息を飲む。その発言自体が、赤ん坊のように生まれた存在ではなく、最初から作られた存在であることを示唆していた。

「まさか……」

「顔はわからない。でも、見たらわかるはず」

 確信に近い態度で、マダラは言った。見知っているわけではないのか、と思った。一度も見たことがないのに、見つけられるなんていうのは、暴論ではないのか。

「何か外見的な特徴はあるのかな」

「目は青色で、グレイって名前みたいに、灰色っぽいブロンドヘアってことくらい。とらえどころのない人らしいわ。ガンドレッドに別荘を持っているって聞いたけど、なかなか見つけられないの」

「センターには行ったのかい?」

ルークが尋ねると、マダラは、よくわからなさそうに首を傾げた。どうやらセンターの存在を知らないらしい。

「別荘を持てるくらいのお金持ちなら、記録があればわかるかもしれない」

「ほんと?」

 彼女の目が輝く。可能性があると思えば片っ端から飛びつくだろう、とルークは感じた。少し困ったように笑いながら、さりげなく忠告しておく。急に治安維持センターに突撃して事件を起こされては困るからだ。

「まあ、保証はできないけど。でも君は直接いかないほうがいいかもしれない」

「なんで?」

「なんでって……」

 聞き返されるとは思っていなかった。まさか知らないのか?と、ルークは驚きを禁じ得なかった。無邪気に尋ねてくるマダラに対して、ルークは声を低くして伝える。

「君は賞金首になっている」

「うそ!」

彼女は素っ頓狂な声をあげる。

「本当だ。僕は君に嘘はつかないよ。昨日、男に殺されかけただろう? ……念のために聞くけど、毒の話は本当かい?」

「ほんとよ。だって、仕方ないでしょ? 殺されかけたのはあれが初めてじゃないもの」

「そうなのか?」

「この街に来る途中も、襲われたもの。誰かが私の命をつけ狙っているみたい。一度や二度じゃないの」

マダラは今まさに狙われているかのように、ブルリと体を震わせた。さらに、首元を守るように手を当てる。ルークはその仕草を見て、ギルバード伯爵が「首につけているチョーカーを外せば、バタフライ・ドールは蝶になる」と言っていたのを思い出した。バタフライ・ドールとして、そのことを自覚しているのだろうか。

「その悪い人たちはどうなった?」

「大量の小石に毒を塗って、たくさん投げて。かすれただけでも激痛らしいもの。投げて投げて……あとは知らないわ。逃げたから」

 話を聞いているうちに、無意識に体がこわばってくる。おそらく彼らは死んだのだろう、とルークは予想した。そうすると、マダラがガンドレッドに入る前からギルバード伯爵は狙っていたのか。

 街中よりも旅の途中の方が、人目が少ない分、犯行は起こしやすい。だが……まさか刺客も、小石くらいで死ぬとは思わなかっただろう。しかし、殺されかけたとマダラが思ったということは、生死不問だったということか?

 女の子一人を生け捕りにするのに、こんなに手こずっているのは意外なことだが、それだけマダラが普通の女の子ではないということかもしれない。

「その毒はどこにしまっている?」

ルークは毒の隠し場所を聞いたはずだったのだが、マダラは急に自分の手のひらを上に向けて、テーブルの上に乗せた。

「この中に」

何も持っていない手のひらだ。ルークは意図が分からず彼女の手をじっと見つめた。思ったよりも小さな手だ。

「強く思えば出てくるの」

「……」

 彼女の目を見ても、誤魔化されているようには見えない。隠そうという意思は見受けられず、ただ聞かれたから素直に答えた、という様子だった。

 ……マダラとの握手は、しない方が賢明みたいだ。ルークは心の中で感想を漏らす。毒の話が本当かどうか、試したいとは思わなかった。もし試してみて正解だとわかっても、その頃にはルークは死んでいるだろう。

「でも、どうしてそんなことを聞くの?」

「いや、ちょっと気になっただけだよ」

 ルークがはぐらかすと、彼女はルークの心中を察することもなく、

「そんなことより、ねえ、お願い、センターに聞いてみて」

と熱心にお願いしてきた。マダラに「行かない方がいい」と言ったのはルークなのだから、ルークが行けということなのだろう。

「いいけど……その前にもう一つ、気になっていることがある」

「何?」

「バタフライ・ドールって結局、何なんだ?」

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