第23話 あの日②


 「やあルーク、この前ぶりだね」

 決行するその日、ルークが集合場所に着いた時、横から声をかけられた。見知っている顔だった。ルークよりいくつか年下の、カインという青年だ。もし生まれが良かったら、騎士団にでも入っていただろうと思わせるような、爽やかさと頑健さがあった。

「君も呼ばれたのかい」

「うん。今日は人数が多いから安心だね」

と、カインは明るく告げる。確かにカインの言う通り、集まっている人数はいつもより多く感じられた。見知っている顔もちらほらと存在している。

「お姉さんは元気?」

「元気だよ。この前プレゼントしたらすごく喜んでいたんだけど、どこでそんなお金手に入れたのって言われちゃってさ。どうすりゃいい? ちょっと仕事で、客からたくさんチップをもらったって言っといたんだけどね」

「それで大丈夫だと思う。やけに懐だけは大きい客がいるんだっていうことで」

とルークは少しだけ笑いを含ませながら返す。

「だよな。うん、やっぱり」

 カインとはしばしば行動を共にすることが多かった。こんなところにいるような人間には思えなかった。カインはこの仕事についてどこまで知っているのだろう。

 知らなくてこの明るさを保っていられるのなら、その方がいいのかもしれない。どこまで知っているのか、そのことで探りを入れたり話したりする気分にはなれなかった。ひょっとしたら、向こうも同じことを感じていたのかもしれない。趣味や家族の話はしても、仕事の話は最低限しかしなかった。

 事前に説明されていたことはとても単純だった。「相手に致命傷を与えないこと。これは八百長だ。火はボヤだから気にするな。倉庫が再集合場所だ」それだけだった。他にも知っている顔が何人もいる。いつもと同じように始まり、いつもと同じように終わる、そう思い込んでいた。

 いざ突入してみると、予想に反して激しい乱闘が始まった。この日に限って、貴族には屈強な護衛が何人もついていた。護衛の相手は容赦なく、雇われ人達を殺していく。血で血を争う闘いが始まった。

 聞いていた話と違う——裏切られたことを悟った雇われ人たちは、約束を裏切った。ボヤは本物の火事になり、屋敷は火の海になった。

 いつの間にか貴族たちは避難したのか、姿が見えなくなっていた。その時ルークとカインは、2階の客間の一室にいた。ジリジリとした熱さとともに、そこらじゅうに焼けこげた匂いが立ち込めていた。客間には火の手が回っていなかったが、それも時間の問題だった。

「——畜生っ」

そんな最中、突然カインは暴言を吐くと、怒りの混ざったやるせない感情をむき出しにして走り出した。

「どこに行くんだ」

「あのクソ野郎の顔面、拝みに行ってやる」

いつになく荒い口調に、ルークは異常性を感じた。カインが信じ込んでいる通り、ルークたちに仕事を依頼したジェイラスが黒幕で、このシナリオを企てたのだとしたら、普通に考えて一番守りを固めているのはジェイラス本人だ。だとすれば、無傷で済まないかもしれない。

「待ってくれ。そんなことしたら……」

もし、君がいなくなれば家族はどうなる。

 そう言おうとしたが、カインはルークが止めるのも聞かずに、貴族が避難していった方向に走っていく。

 すぐにカインの後を追おうと、ルークは部屋を出た。

 止めるために? それとも、手助けするために?

 その結論はまだ出なかった。

「助けて! 誰か……誰かいらっしゃいませんか」

高い声がかすかに耳に入った。燃えている側を振り向くと、火の手に塞がれて立ち往生している女性がいた。

 オレンジ色の炎の輝きでシルエットがくっきりと見え、その顔は見覚えがあった。ギルバードの屋敷に仕えている使用人の一人だ。

「……」

ルークは一瞬、葛藤したが、悩み続けることはなかった。左右を見渡すと、壁に掛けている大きめの絵画が目に止まった。ナイフを取り出し金具を叩き外した後、両腕で取り外すと、燃えている床の上に倒す。すぐにその上に乗ると、まだ炎が広がっていない床に飛び移った。

「大丈夫か」

なんとか通路を確保して、近づく。

 使用人の女性はルークを見るなり、目を見開いた。

「どうしてここにいらっしゃるんですか」

「僕らはハメられたんです。でもそれよりも、ここから出ないと」

話した途端、舞い上がった灰と煙を吸い込んでしまい、咳き込んだ。

 だがその時間さえ惜しい。

 ルークは使用人の腕を掴むと、引っ張った。来た道を戻ろうとしたが、延焼の方が早かった。絵画の木枠が燃え移り、火の輪に囲まれていた。

 オレンジ色の光が目に刺さり、チリチリと焼け終わった後の灰燼が宙を舞う。足場がみるみる減っていく。このままでは自分も焼け死んでしまうと、考えなくてもわかった。

 迷う暇はなかった。

「ごめん、ちょっといいかな」

 使用人の腰と足の部分に両腕を回すと、持ち上げ、走る。

 火の中を進む。だけど少しだけならと、覚悟した。踏み込んだ右足のズボンに火が移り、熱が突き刺さる。

「——っ」

堪えて渡り切ると女性を下ろし、慌てて燃え移った火をはたき落とす。女性は心配そうな表情で口を開きかけたが、それを言わせないように、

「行こう」

と促した。

 一階はホールになっている。そのまま足場の広いホールへ出ようと階段に向かったが、見下ろしてみると、階段の下半分はすでに炎に包まれていて、降りられなかった。煙を吸ったせいか、眩暈が起き始めた。

 階段は他にもあることを思い出した。奥の階段なら行けるかもしれないと思い、廊下のドアを開ける。廊下の横には手すりがついていて、手すりの向こうは吹き抜けになっている。そこから一階全体が燃え上がっているのが視界に映った。

「……」

ここも無理なのか。絶望しかけていると、十歩先の目の前に、白い礼服が見えた。服の裾が黒く焦げ、茶色い髪の毛が汗で濡れている。知らない貴族だった。

「ぞ、賊だ」

と目に恐怖の色があった。手には華美な装飾がほどこされた細身のレイピアを持っている。ルークを見てそう言ったということは、他の誰かに襲われていたのかもしれない。

 彼の手はブルブルと小刻みに震えながら、体を斜めにし、臨戦体制に入る。こういった場合、刃物を持った人間よりも、刃物に持たれた人間が一番危ない。

「待ってください、この人は——」

使用人の女性の制止も聞かず、

「う、うわああああ」

悲鳴を上げながら向かってくる相手の恐怖が、自分に移ったように感じた。どう体が動いたのか思い出せない。冷静さを完全に失い、防衛本能のままに相手を手すりに押し付けた。

 その途端、老朽化して脆くなっていた手すりが崩れ、相手は火の海に落ちていった。レイピアの先端が頬をかすり、一筋の血が滲み出す。

「わあああ————」

地面に落ちた途端、声が止まった。メラメラと燃えていく火の中に黒く溶け込んでいき、不愉快な匂いが加わった気がした。

「……」

 人を突き落とした。

 後ろで、バタッと倒れる音が聞こえた。咄嗟に振り返る。使用人の女性はそれを見たせいか、煙を吸いすぎたせいか、失神していた。

 このままでは何もかもが燃え尽きてしまう。ルークはしゃがみ込むと女性を両手で抱え込み、立ち上がった。自分がどういう経路で脱出したのか、覚えていない。とにかく無我夢中だった。

 裏口から外へ出た時、思いもよらぬ人物と邂逅した。

 それがギルバードだった。

 他の貴族とはぐれたのか、一人で燃え尽きていく屋敷を呆然と見守っていた。しかしルークを見ると、明らかな動揺を見せた。

 後から聞いた話では、カインはジェイラスを探し出して、刺した後に殺されたのだという。ギルバードは部下のジェイラスと行動を共にしていたはずだ。その現場にいて、目の前で部下が死んで、一人になったのだろう。その後にルークを見て、具体的に何を思ったのかはわからない。だが、また自分を殺しにきたと思ったのかもしれない。加えて、この時のルークは自分で振り返ってみても、気が立っていた。

 普段の高圧的な威厳とは打って変わり、ギルバードは憔悴しきった様子で、

「待て、待ってくれたまえ。私もあの部下に騙されていた」

両手をルークに向けながら、訴えた。

 騙されていたから同じ被害者だ、と言いたいようだった。

 しかしルークは強い違和感を覚えた。そんなことがあるはずない。部下に命令を出したのはギルバードのはずだ。そして計画があったとして、最終的にゴーサインを出したのもギルバードのはずだ。それを「自分は関係ない」と白々しく切って捨てるというのか。

「そうだ、騙されていたんだ。こんな火事になって、仲間が殺されるなんて一度も聴いていない。本当だ」

「……」

仲間が殺される? ルークはその言葉のあやを聞き逃さなかった。ギルバードにとっての仲間にルーク達、雇われ人は含まれていない。少なくともルークはそう感じた。

 こいつのせいで仲間は死んだのか?

 こいつのせいで、何もかもメチャクチャになったのか?

 抑えがたい嫌悪感が胸の奥から込み上げてくる。

「だ、だから私は悪くないんだ。まだ死にたくない」

その姿が醜く、ちっぽけに映った。自己中でプライドが邪魔して謝罪も懇願もできない男を、同じ人間だと思う気力も失せた。

 ルークが黙り続ければ続けるほど、相手は焦りを募らせる。喋るのをやめれば、殺されるとでも思っているのだろう。

「そうだ、名案が——」

という言葉が耳に入ってきたが、ルークは抱きかかえていた女性をそっと地面に寝かせると、

「ご存知ですか、この人を」

それだけを質問した。

 ギルバードは戸惑いと警戒を表面に出しながら、頷く。

「あ、ああ、私の召使だ」

「なら主人の役目を果たしてください」

 それから、ルークは立ち上がる。

「もう二度と呼ばないでください。——絶対に」

と言い残して去った。

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