第22話 あの日①
「で、どうする」
ボレードは尋ねながら、バタフライ・ドールの腕の部位を軽く持ち上げた。
一体あの白チョーカーは何がしたかったのか、正直言って全くわからなかった。
「さあ」
ルークは曖昧に答える。使い道が特に思いつかない。
ギルバード伯爵にバタフライ・ドール(腕)を連れてきました……は、さすがにアウトだろう。いろいろとダメな気がする。ドッキリをするにしては代物が悪趣味すぎる。少なくとも、僕の趣味ではない……。
そうやってルークが考えていると、ボレードはルークの顔にそのブツを近づけた。
「やるよ。返しといてくれ。お前の方が先に会いそうだ」
「理由は?」
「カンだよ」
ボレードはニタリとふてぶてしく笑う。嘘か本気なのか分からなかったが、場数を重ねた人間特有の、謎の説得力があった。腕なんかもらっても使い道がない、と思いながら、つい渡されたのを受け取ってしまった。
受け取ってみると、思ったよりずっと軽い。500グラムもないのではないか。通りで針の上に乗れたわけだ。本当にそれが理由なのかはわからないが。全体重がそんなに軽いなら、強風の日は風に吹かれて飛んでいきそうだと、どうでもいいことを想像した。
一度ボレードの顔を見たが、返却できそうな雰囲気ではないことを感じ取って、諦めた。
素手で持ち歩いていたら、また不要な誤解を受けそうだと思い、コートを布袋の代わりに包んで片脇に抱え持つ。
何も言わずに作業していると、それを見たボレードも似たようなことを思ったらしい。
「警察が来ると厄介だな」
と低い声で言った。それ以上の言葉は必要なかった。誰が見ているか分からない以上、ここから移動した方がいいことは確かだった。
このまま別れよう、と思った。その方が自然だというふうに考えたからだが、切り出す言葉に迷った。
すると、ボレードはポツリと感想を漏らす。
「俺の知り合いに義足をはめて引退した奴がいてな。そいつを思い出した。若いのに苦労してんな」
そして歩き出した。
ボレードは、ルークがついてくるものだと思っているらしく、当たり前のように進み始めている。行動を共にする気はなかったが、かと言ってこのまま別れるのも、タイミング的に悪い。心の中でため息をつくと、
「変わった生き方をしているのは確かだろうね」
どのようにでも受け止められるようなセリフを返しながら、ルークは半歩だけボレードの後ろを歩く。
やっぱり、ボレードにもあれが人間に見えるらしい。そうだとわかると、途端に微妙な気持ちになった。
自分が関わっているバタフライ・ドールという存在は、一体何者だと言うのか。
いや、人ではないのだから、「何者だ」という問いはふさわしくない。そのようにルークは思い返す。
どれだけ外見が人間に似ていたとしても、人間ではない。それなら同胞扱いをしないことが、お互いに対する礼儀であり秩序ではないのか? 同情や感情移入のせいで本質を見失う失態は、ルークにとって避けたいものだった。自分が合理主義者だと言える自信はないが、感情や本能に完全支配される獣にも成り下がりたくはない、という気持ちもあった。
二人の足は、近くの自然公園に向かっていく。広場も兼ねているその公園は、ほとんど人通りは見られなかった。後ろから誰かがつけていることもない。
色づきかけた紅葉樹があちこちに植えられ、赤や黄色い花の咲いた花壇も置かれている。真ん中の広場は月に数回、市が開かれることもあるが、今日は特段何もないようで、ひらけた空間が広がっている。
公園についてから、ボレードは溜め込んでいた感情を吐き出すように、また話し始めた。
「それはさておき、超能力か?あれ。すげえじゃないか」
ずっとそれを言いたかったらしい。興奮が声に乗っていた。
確かに普通ではないということは、すごいことかもしれないが、それが何につながるというのだろう。そう思ったルークは一瞥した後、
「……どう使うかによると思うよ」
近くの木にもたれかかる。鳥のさえずりに意識が一瞬向いた。だが、すぐに興味が失せた。日陰で少し湿り気を含んだ土を靴のかかとでこすりながら、少し遠くを見つめる。
「超能力と言ったって、力には責任が伴う。その力で人を助けることもできれば、殺すこともできる。まあいずれにせよ、僕には関係ないことだけどね」
「やけにあっさりしてるな」
「聞いたことあるかい? 歴戦の臆病者はいても、歴戦の勇士はいない。勇気があると早死にするのさ」
だから余計な力など望まない方がいい、とルークは心の中で付け加える。身分不相応な力を手にした者は、一時期それが自分の実力だと錯覚する事があっても、やがてその力そのものに刃を向けられるようになる。自分の手のひらの上で全てが踊っていると思っても、いつの間にか踊らされているのだ。
ボレードは意外にでも思ったのか、ルークの言葉を聞いてしばらく黙っていたが、
「人殺ししていないって言ったか?」
突然、ルークに尋ねた。
「ああ。さっきのはとばっちりだ」
「それは疑っていない」
ボレードは遮るように言うと、さらに付け加えた。
「でもゼロじゃないな」
鋭い視線を浴びせられる。冗談で言われているなら笑えない。
「それもカン?」
「そうだ」
視線と視線がぶつかる。
「……っ本当にイヤなカンしてるね」
ルークの声がわずかに震える。嫌に神経が鋭くなる。周りに人はいない。周りに人はいないはずだ。
自分と、目の前にいる人物以外は。
「しらばっくれないんだな」
ボレードは唾を飲み込んだ後、そう言った。
「別に隠すつもりはないよ。聞かれないから答えないだけで。……生き延びただけさ。ちょうど今から一年前に放火事件が起きたのは、知っているかな」
「一年前? ああ、あれか? オルディントンっていう家の屋敷が燃えたっていう」
「屋敷とその周りがね」
具体的な情報に、ボレードはすぐに反応した。
「……現場にいたんだな」
ルークは黙ってうなずく。
忘れもしない、あの日のことを。
最初はほんの出来心だった。鬱屈としていたところに、何か刺激が欲しかった。
「金になる仕事が欲しいと言ったかね」
ギルバード伯爵の部下の一人である、ジェイラスという人物に声をかけられたのが始まりだった。背は低いが、服装は小綺麗なものをいつも着用している。しゃくれ気味のあごが特徴的な丸顔で、目元に笑いじわが寄っている紳士風の男性だった。
「もし興味があるのなら、今夜うちに来たまえ。とっておきの仕事を与えよう」
初めに頼まれたのは、簡単な届け物だった。中身は今もわからない。重要なものを運ばされたか、もしくは中身を開けずに正しく運べるかをテストされていたのかもしれない。
それから人探し。または何か事を起こす時の見張りのようなもの。いつも何かが起きているのは感じていたが、全体像はわからなかった。自分はただ、駒の一つに過ぎなかった。
それで嘘みたいな金額が手に入る。続けて頼まれるということは、信用をされている証拠だ。役に立っているという名誉心をくすぐられ、充足感を与えられる。これでやらない人がいるだろうか?
そういった話には裏があるのでは、と初めの数回は疑っていたが、慣れてくるとだんだん疑問にすら思わなくなってきた。きちんと金は払ってくれている。あとは守秘義務の通りに黙っていればいい。
妹のアンが亡くなってから後は、自分の気を紛らわしてくれるものを渇望した。「それなら」とジェイラスは答えた。「もっといい仕事がある」前向きな言葉と、小じわの刻まれた笑顔とは裏腹に、目の奥底は暗かった。その濁った深海の色に、共鳴するものをどこか感じて、ルークは承諾した。
その時期以降、もっと重い仕事をするようになった。いや、やっていること自体はそれほど変わったわけではない。ただ、自分が今まで何と関わってきたのか、自分の行動が何の事件と繋がっていたのかを知った。欲望と策謀の渦巻く世界を知った。知った後はもう、繋がりを断つことは不可能だった。
だからこそ、その世界とは距離を置こうとしていた。しかし仕事は向こうからやってきた。襲撃や暗殺の手伝いなんかも、直接は関わりこそしなかったが、少しした。
意外なことに、そういったことをする実行部隊の人たちが、ろくでもない人間の集まりかというと、そういうわけでもなかった。嘘だと思われそうだが、その中にも人間として尊敬できる人はいた。それなりの理由があって、皆やっていた。だけど今さらそれを言っても、仕方がないことなのかもしれない。
ある日、また仕事を頼まれた。今回は押し入りと火付けの手伝いだと言われた。
「それは……」
思わず知らず、懸念が顔に出ていたルークに、ジェイラスは、品の良い笑いを深めながら言い含めた。
「別に人殺しをするわけではない。これのおかげでギルバードの一派が政界を掌中にした暁には、お前には遊んで暮らせるほどのお金が手に入るのだよ」
口頭で金貨の枚数が言われた。その金額に心を動かされなかったと言えば、嘘だ。最終的に、ルークは請け負うことにした。
この時、どうして疑問に思わなかったのか。
それは何度も繰り返していたために、今までと同じことがこれからも起きると思い込んでいたからだ。
だがジェイラスがそのような大盤振る舞いをしているように見えた理由は、事実、ルーク達雇われ人を捨て駒にするつもりがあったからだということが、後になってからわかった。
気づくのが遅すぎた。
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