第21話 どっちかというとハチでは②

 視界の端に映ったのは、白色のシジミチョウだった。

 痛みで腰を屈めた瞬間、頭スレスレで何かが飛んでいく音が聞こえる。それがルークの目の前のガラスに突き刺さり、ヒビが入る。

 やっぱり針。

 そして後ろからだ。

 振り返ると、さっき手にかけたはずのバタフライ・ドールが立っている。

 何が起こっている……と思ったら、首元のチョーカーの色が違う。黄色っぽい白だった。

 仲間が復讐に来たのか。

「——ちっ、またかよ」

ルークは舌打ちした。緊張が走る。

 よく見たらチョーカー以外の細部も異なっている。服は袖がついてあり、色合いは白色が若干多めな印象がある。白い紐のついたウェッジソールを履いているが、小刻みに体を動かして、重心が安定していない。

「お前は一体、何に追われているんだ」

ボレードが眉間に皺を寄せる。ルークは痛みで顔を少し歪めながら、針を引き抜いた。まだ生きているから毒はないと思っていいのだろうか。

「さあ……ね」

どう答えるのが正解か、わからない。「可愛らしい神話生物」か「燃費の良い殺人兵器」か、はたまた「話の通じない喋る人形」か。

「ミツケタ」

先ほど出会ったバタフライ・ドールとは違い、白チョーカーは、ニコニコと満面の笑みをたたえている。ルークには、それが作りものの無邪気さに見えた。

「君たちの挨拶は人を刺すことかい?」

趣味が悪い。ルークは最大限の遺憾の意を込めて、皮肉を言ったつもりでいると、

「そうか、そいつはおもしれえ」

なぜかボレードが反応した。そして長ブーツに隠し持っていた短剣を引き抜いた。

 予想外のところから刃物が出てきて、ルークはびっくりした。ボレードが武器を持っていないわけがない、ということなのか。今度から刃物と話していると思った方がよさそうだ。

 どういう訳か、ボレードはとても乗り気そうだった。

「嬢ちゃん、少し遊んでいかねえか」

さすがにそれはないだろ、と思って白チョーカーを見ると、なぜか目を輝かせている。

「マジですか」

思わずそう呟いてしまった。僕にはもう理解できない世界だ。どうぞご自由にお過ごしください。言葉が通じても話が通じない者同士、ボディーランゲージ(拳)で語り合っていればいいさ。

「あそぶ!」

 白少女は嬉しそうに、針を何本かまとめて引き抜く。

 ルークはそれを見て、何が起こるか察した。近くの物陰に猛ダッシュする。差し口から血が浮き出るが、針が細かったのが不幸中の幸いだ。これがもっと太いものとかナイフだったら終わっていたかもしれない。

 ルークの逃避行動に、ボレードは声を荒げる。

「おい」

「飛ばしてくる!」

ルークの予想通り、白少女は乱射し始めた。

「——っ」

1、2本、短剣にぶつかる鈍い音が聞こえた。あとの3本はボレードに刺さる。

「やるなあ」

全く意に介さず、八重歯を見せた。ハリネズミみたいに腕に刺さっているけど痛くないのだろうか。

 ボレードは大足を踏み入れ一気に間合いを詰め始めるが、白少女はひらりと後ろに下がって入らせない。そのまま両脇の針を手づかみで引き抜き、突き出す。

「嬢ちゃん、何者だあ?」

「チョウチョ」

当たり前のように、白少女は答えた。

「だけどジユウ!」

また乱射が始まる、とルークは思った。

 だが、白少女が話に意識が向いた隙に、思った以上に距離が詰められた。ボレードが腕を押し当て軌道をずらす。乱射は明後日の方向に行われた。木製のドアに、ダーツの如く突き刺さる。

「あっ」

 そのままねじ込もうと足を踏み入れて——ボレードは動きを止める。

「これはなんだ?」

と白少女を凝視した。

 ルークの目から見ても、体と腕の位置がおかしかった。

 いつの間にか白少女の右腕が取れている。押し上げた結果、地面に落ちた腕を、ボレードは拾い上げた。

「あ〜! ジユウ、返せ〜」

口を尖らせ頬を膨らませながら、不機嫌に抗議してくる。

「……義肢なのか」

ボレードは深刻そうに受け止めた。いや、違うと思う。

「ダッキュウしちゃった」

と白少女は語る。それも違うだろう。

「そうか」

しかしボレードは高々とそれを持ち上げた。白少女はピョンピョン飛び跳ねるが、身長的に届かない。

「返して欲しけりゃ目的を教えろ……って、そこのにいちゃんが」

急に話題を振られて、ルークは反応が遅れた。

「え、いや、まあ……確かに教えてほしいけど」

「だろ? 俺のカンだ」

とボレード。今、さりげなく腕が取れた責任を押し付けられた気がするのは、気のせいだろうか。

「モクテキ?」

白少女は小首を傾げると、怖気づくということもなく、元気よく答えた。

「ビオラちゃんがね、おねーちゃんに変な虫ついてるって言ってて、どっちが先にお姉ちゃんの虫捕まえられるかキョーソーしよーって」

ここでもルークは虫扱いのようだ。さらに言えば、虫は虫でも、「変な虫」という項目に属するらしい。

「それがこいつか」

ボレードは顎でルークをさした。

「うん、チョウチョに聞いたら場所教えてくれた」

蝶による監視社会……? 家の住所が割れているかどうか、まず気になったが、聞くのが怖かった。蝶にそこまで知能がないことを信じたいものだ。

 さっきのバタフライ・ドールと比べて、敵意はみられない。話すには距離が遠すぎるので、ルークは徐々に歩み寄る。

「お姉さんというのは、もしかしてグレイさんかな」

とルークが訊ねてみる。変な虫呼ばわりされる理由に全く心当たりがないのだが。

 むしろこっちが、グレイの神経を疑いたいくらいだ。こんな物騒な人形を造りまくって、国家反逆罪で訴えられてもいいんじゃないだろうか。ああ、でもそれを言うなら自分は器物破損罪になってしまうか。死ぬよりはマシだ。

 白少女は勢いよく首を振った。

「えっとね〜……あ、そうだ、マゴ! グレイのマゴだって言ってた」

ところどころイントネーションがおかしくて、よくわからない。おそらく孫のことだろうとルークは思った。

 嘘はついていないだろう。そもそも、そこまでの知能がないだろう、と感じた。でも出てくる情報が少なすぎる。孫ってマダラのことか? それとも人間か?

「よかったら、その人のところに案内してくれないかな」

ルークはできるだけ優しい言い方で提案した。目の前に立って体をかがめ、目線を合わせようとする。

「イヤダ」

唐突に拒否された。

「捕まえるんじゃなかったのかい」

「変な虫とおねーちゃんくっつけたくない。あと運ぶの大変そう」

「……」

悪意はないけれども正直すぎるコメントに、ルークは返す言葉が見つからなかった。

「でもビオラちゃんおかしい。虫じゃなくて人間だった」

「うん……まあ、それは比喩表現だろうね」

「ひゆ? どんな?」

それを僕の口から言わせるか。と躊躇していると、

「こいつがとんでもねえ人間だってことだ」

「ぐはっ」

横から腹パンが飛んできた。バタフライ・ドールよりもこっちの方が驚異かもしれない。このハリネズミ野郎め。

 少女はボレードの言葉に反応した。

「トンデモナイ……?」

と言いながら白少女は両手を握り、目が輝く。この子の将来が心配になってきた。

「トンデモナイ、腕返して」

なぜか名前にされた。

「……それと、どこに住んでいるかも教えてくれるとうれしい」

「えー、でもシラナイ人に住所教えちゃダメって、おねーちゃん言ってた」

「なら、お姉さんの名前だけでも」

「言わな〜い」

残念ながらその辺りはしっかりしているらしい。目の前にバタフライ・ドールがいるのに、有用な情報がつかめないのをもどかしく感じた。

 もう、いっそのこと、この白チョーカーをなんとか懐柔して、ギルバードのところに連れて行った方が早いかもしれない。

 そう考え始めた矢先、いきなり目の前を鈍い光が走った。

「だからまた今度あそぼうね」

眼球間近に針を向けられる。

 いつの間にか相手の左手に針が収まっていた。殺意ゼロで気がつかなかった。恐怖を感じ、反射的に後ろに転びそうになる。すると白少女は肘を横に伸ばして、針を壁に差し込んでいく。ルークは冷や汗が流れるのを感じた。あれでやられていたら、避けられなかった。

「腕はっ」

「やっぱあげる〜。また新しいの作ってもらう!」

いや、頂いてもとても困る。

 そう思っている間に、あれよあれよという間に壁に刺さった針の上に乗って屋根に登っていく。白少女は手を振って後ろにくるりと振り返ると、すぐに視界から消えた。マダラより逃げ足が早い。追いかけても、あれは無理だろう。

 ルークとボレードと、腕が取り残された。





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