第20話 逃走②

 「フン、虫の息だ。放っときゃ死ぬだろうよ。病院で聴取を受けてな、奴は認めたぞ。そんな凶暴な殺人鬼を捕まえるんだ、こっちも自己防衛ってのがあるからなあ?」

ボレードは小鼻を膨らませながら誇らしげに話し始めた。

 凶暴なのはお前の方だ、とルークは心の中で悪態をつく。いちいち口に出して相手の神経を逆なでにするほど馬鹿ではないから、何も言わないが。

「だから『3枚』は俺のもんになった。残念だったな」

報奨金の金貨のことを言っているのだろう。しかしルークにとってそれは、金額に心が動かないわけではないものの、どうでもいいことだった。代わりに、別の事実を、まざまざと突きつけられたように感じた。

 そうか、マダラも死んだのか。

 取り返しのつかないことになったと感じた。同時に、マダラが人の形から崩れる瞬間を見なくて済んだと、どこか安堵する自分がいる。もしそれを見たら、自分は耐えられなかったかもしれない。

 ギルバード伯爵との約束は?

 ここがバタフライ・ドールの震源地だとしたら、他にも生息する可能性は高いだろう。任務を達成するのに何ヶ月もかかることもある。逆に、思わぬ事態が続いて一日で全てが終わることもある。そう、最後に引き受けた任務のように……。

 気長にやればいい、と思って割り切ろうとする。

「……毒は大丈夫だったのかい」

「は? どくぅ?」

ボーレドの反応に、ルークは眉をひそめる。マダラの能力は猛毒生成だったはずだ。あれを喰らわずにいけたということは、かなり戦闘力があったか、運が良かったか。

「マダラさんは……」

ルークが言いかけた途端、

「誰だ、そいつ」

と怪訝そうに問い返された。

「え、彼女がやったんじゃないのか」

「んな、犯人は男だぞ」

何言ってんだこいつ、という顔をしていた。ルークも同じ感想を抱いた。

「え……?」

 ということは、マダラはまだ生きていて、ボレードが捕まえたのは全く違う人物……? そんな馬鹿な。僕が勝手に脳内でお陀仏にしていただけなのかよ。

 自分の勘違いに頭がこんがらがっていると、奥の十字路から人影が見えた。

「いたぞぉ、あそこだぁ!」

天然パーマで眼鏡をかけたおっちゃんに、ビシッと指をさされる。さっきの人とは違うが、追手のようだった。

 まずい、と思い、半歩下がる。追手はボレードに向かって訴えた。

「そいつを捕まえてくれぇ! 殺人鬼だ」

待て、人さらいから昇格していないか。

 ボレードの視線がルークに注がれる。

「誤解だ」

咄嗟に言い訳した。

「本当か?」

「人はやっていない」

ルークは睨むように視線をぶつけた。ここで目をそらしてはいけない気がした。三秒ほど沈黙が続いた後、いきなりボレードはルークの腕を掴み上げた。

「ぐっ!?」

 強すぎる握力に苦痛が走り、ルークは呻き声を上げる。そこにボレードの顔が近づき、低い声で伝える。

「大人しくしてろ。悪いようにはしない」

言われた言葉が一瞬、頭に入らなかった。悪いようにはしない? しかし暴れたとしても捕まった以上、この腕力の支配権からは逃れられないと体が判断し、ルークは抵抗をあっさりと諦めた。

 追手の天パは大男のボレードと、かなり身長差があった。見上げながら、

「そいつが……」

「俺がセンターに連れて行ってやろう。それで何の文句のねえよな、あ?」

天パ眼鏡が最後まで言い終わらないうちに、ボレードは威圧的に告げる。相手は気を呑まれて小刻みに頷きながら、「ええ」とか「よろしくお願いします」とか唇を動かしていた。

 ちょっと待て、僕を懸賞金で売るつもりじゃないだろうな。そう思った瞬間、何の合図もなく引きずられ始めた。

「——が!? ちょっと、足が」

突然バランスが崩れ、ぐきんと足がひねり痛みが走る。

「歩け」

と一言。圧がかかり、このまま引きずり殺されるんじゃないかと本気で思った。

 しかし途中からセンターの方角ではないところを歩き出した。角を曲がるとやっと腕を解放される。掴まれたところの痛みが残った。あまりの痛さに腕を押さえていると、

「お前も人気者になったな」

と声をかけられた。これは同情じゃない、とルークは直感した。心底面白がっている目をしている。やるんだったらもっと痛くない方法で掴んでくれと思いながら、

「至極不名誉な人気だよ」

と答える。

 解放された、と心の底から感じた。その後に、本当に助けてくれたのかと驚き、そして売り払うんじゃないかと疑った自分に対して、少々罰が悪い思いになった。

「ありがとう。腕は痛いけど、助かった——」

 と言いかけて、そしてふと気づいてしまった。この前もボレードに女たらしだと誤解され、今回殺人鬼だと疑われているところを見られ……ボレードから見ればルークは、女たらしで人殺しで、メチャクチャやばいヤツにならないだろうか。

 ルークは途端に真顔になって、付け加えた。

「あと、絶対にやってない。神に誓って!」

それを、人殺ししただろう人間に向かって言うのもおかしな話だが、相手がどんな人間だったとしても、自分が最低なヤツだと思われたくはなかった。

「冤罪でもかけられたのか?」

 口元が緩んだまま、ボレードは訊く。犯人が他にいるかと思ったらしい。

「いや」

ルークは首を振った。あれを冤罪とは……さすがに言えないだろう。

「人形を壊したら誤解を受けただけだよ」

「人形でか?」

意外そうな顔つきになった後、

「とんでもないやつだな」

と言いながらボレードは笑っている。お前がな、とルークは目で返した。

 人形、という言葉が口をついて出てきたことを、ルークは意外に感じた。レミィが話していた時には違和感を覚えたはずだ。だが今なら、彼女の気持ちも少しわかるかもしれない。

 そうだ、あれはあまりにも人間に似すぎている。

「そういえば、一個聞きたいことがあってね。探している人がいて、赤いチョーカーをつけた女の子を見なかった?」

ボレードはしばらく、何の話だ、と目を動かしていたが、

「?——ああ、この前の女に逃げられたのか」

ひとり合点された。その言い草だとルークが変質者で女の子を追いかけ回しているように聞こえる。やっぱりどう考えても誤解されている。

「違う」

ルークは間髪入れずに否認した。

「違う? ああ、物騒な妹だったっけな」

思い出したようにボレードは訂正したが、ルークは無視した。

「……僕は見たかどうかを聞きたいのですが」

期待はしていなかった。ボレードが知っているとは思っていないが、出会った以上、念の為に聞いておく。

「見た気がする」

何のためらいなくそう言われて、ルークは耳を疑った。

「嘘はやめてください」

「見覚えのある奴が犬に追いかけられてるなって見てたら、犬が死んだ」

「……」

 それは本当に見たんだな、とルークは判断した。

何が起きたのかは想像に難くない。毒にやられて死んだのだろう。可哀想な犬だ。

「その後彼女はどこに?」

「知らんが、犬が突然倒れたんで、騒ぎになった」

「見たのはどの辺りで?」

「マクスール市場」

ガンドレッドの街で、国中の名産物や輸入品を取り扱う店が立ち並ぶ場所だ。意外な名前が出てきた。

 そんな賑やかなところを歩いていたのか、マダラは。外に出るなと、注意したはずなのに。注意は一番聞いて欲しい人に届かないものだ。

「お前こそ何で逃げられた?」

「それは……」

ルークが答えようとした瞬間、右腹に激痛が走った。

 鈍い光を放った針が刺さっている。

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