3 美香とセーラ2

 帰宅すると、急に泰蔵が来るというので服を着替えはじめた。美香はまた、セーラの前で口ずさんでいたメロディーをハミングしていると、そばにいる使用人が


「お嬢様……その歌は」

「えっ、この唄……何かわからないけど、つい口ずさむのです。何か知っているの」

 使用人は少し怯えた表情で、言いにくそうに


「以前、お嬢様がよく口ずさんでおられたのです……もしかして記憶が……」

 使用人は、以前の美香に戻るのではないかと思ったのだろう。察した美香は微笑んで

「大丈夫よ、私は以前の美香には戻らないから」


 使用人は懐疑的だが一応安心したようだった。

「ねえ、このメロディー何の唄かしら」

「前のお母様が、お嬢様の子守唄に唄っていたようです」

「前の、お母様……」


 使用人がうっかりこぼした言葉に、どういうことか聞いたが、それ以上は答えたくないようで、美香もそれ以上聞かなかった(前の母親とは……それは、あとで泰蔵にでも聞くか。でも母の子守唄がなぜ、海辺の少女の夢と繋がるのだ)

 その時、泰蔵が到着した。


 しばらくして美香は泰蔵に呼ばれて応接間に行った。

 使用人と両親を下がらせ、美香と二人だけになると、それまで上品に座っていた美香は、「フー」とあからさまに息を吐いて、足と腕を組んでのけぞるように座りなおす。

 呆れた表情で美香を見る泰蔵は


「私の前で、そんな態度をできるのは美香くらいだな」

「お前と二人だけだ、それに足は閉じている大目にみてくれ」辟易としたように言うと、座り直し「それより両親のことだが、私に気を使っているようで息が詰まりそうになる、両親と何かあったのか。詳しい事をだれも教えてくれないのだ」


 美香の問いに、泰蔵は重い口を開いた。

「実は、今の母親は美香の実の母ではない。本当の母親は美香が小学校のとき離婚して家を出ていった」

 美香は合点がいったように頷くと


「そんなことではないかと思っていた。特に、母親の気遣いは度が過ぎているのでな」

「はずかしながら、息子の不倫が原因で離婚し、美香が小学校のとき今の母親と再婚した。そんな再婚相手に美香は財産目当てに結婚したと目の敵にして、荒れていたようだ」


「そうだったのか。でも、今の母親は悪い女性ではないと思うが」続けて、少し言いにくそうに

「言いたくはないが、お前の息子、今の私の父親になるが……はっきり言って、出来が悪い。お前の後継ぎはとても勤まりそうもないぞ」

 美香の苦言に、泰蔵も否定できず。


「そうなのだ。一人息子で期待をかけすぎたのか、逆に委縮している」

「ははは、確かに泰蔵が父だと恐ろしいわ。まあ、この先、私が支えになってやろう」

 厳格な大老を笑いとばす少女の美香に、泰蔵は周りを気にして


「それは願ってもないことだが。こんなところ誰かに見られたらまずいぞ」

「ああ、すまん、すまん。お前といると、つい宮部のころの気分になってしまった」

 そのあと美香は少し思い悩んだ様子で


「実は、両親には、そろそろ本当のことを話そうと思っていたが、どう切り出そうか悩んでいた。だが、もう少し親子の事情を知ってからの方がよいかもしれないな」


「そうだな、両親は以前の美香にはかなり手を焼いていて、今の美香の振る舞いを、ずいぶん評価しているようだ。このまま事故で変貌した美香として、過ごしてもらってはどうかと、私は思うのだが」


「手を焼いていたからといって、娘が嫌いだとは言えないぞ……まあ、考えておく」

 美香は、両親を騙していることで気が重く、泰蔵の意見には気が進まなかった。

 すぐに、結論もでそうになく、美香はその話を打ち切って


「ところで、今日は何の用だ、突然くるとは」

 泰蔵は持ってきたファイルを取り出し

「サード、エボリューション(3E)。第三進化についてだ」

 急に真剣になる泰蔵に、美香も姿勢をただし


「3Eとは、最近のカーズが知能を持つようになった進化形態のことだな」

「そうだ、美香も気づいているだろ、最近カーズが我々の裏をかくような巧みな戦術をしかけてくる。さらに、我々の動きをあらかじめ察知しているような行動もとっている。あの宮部の事故もそうだ。これは、カーズが人間の知能を手に入れつつある。いや、すでに手に入れていると考えて間違いないだろう」


 美香も、頷いた。泰蔵はさらにファイルの中の写真を見ながら

「美香も知ってのとおり、人の形をしたカーズは世界各地で目撃されている。しかし、美香の持ち帰った写真に写っているような完璧な体をしているのは初めてで、カーズ研究所も驚いている。これが恐れていたカーズの人間化、究極の第三進化の証拠だと」


「あれは、まさに人魚だ。しかし、人間は、ほ乳類から進化している。深海魚がいきなり人間に進化とは飛躍しすぎではないのか」

「確かにそうだ。そもそも海の生物が、一足飛びに二足歩行の人間と同じになるなど考えられない。一体何が起こったのか、なぜ知性を持つようになったのか……」

 それ以上の答えは、美香にはでない。美香は一息ついて


「ところで、第三進化については私も聞いている。今日はこの話だけではないのだろ」

 泰蔵は、ここからが本題だと言った様子で


「気をつけろということだ。奴らは人間の世界に入り込んでいるかもしれない」

「何か、ホラーみたいだな」

「興味本位の都市伝説を言っているのではない。数日前、軍港に怪しい人物が忍び込んだ。しかもそれは海から侵入してきた」


「一人か」

 泰造は、頷くと

「しかも女性だ。逃げる時セーレンの声とおぼしき歌のようなものを発したそうだ。聞いたものは力が抜け、その場にへたりこんだ」沈黙して聞く美香に泰蔵は続けた


「まだある、そいつは怪我をして血痕を残していた。その血液を調べたが……どうみても人間のものではない。DNA鑑定ではあきらかに、魚類に近い」

「まさしく、ホラーだな」


 美香は冗談ぽく言うが、泰蔵は真剣な表情で。

「美香、気をつけた方がいい。あの軍港はいつも海風が停泊しているドックだが、侵入者のあった日はたまたま、信濃が停泊していた。奴らの目的は海風、ひいてはその艦長の美香と思えてならない」


「考えすぎだろう。だが気を付けておくよ」

 気を遣う泰蔵に、微笑んでうなずくと、泰蔵は席を立った。せわしない泰蔵に


「もう帰るのか、ゆっくりしていけばよいのに」

「私もいそがしいのでな……」部屋を出ようとする泰蔵は、急に思い出したように

「そう言えば、田口が妙な動きをしている」


「田口がどうかしたのか。まさか今度は私を狙っているとか」

 すると、泰蔵は神妙に

「そのとうりだ」


 美香も深刻な表情で

「やはりそうか。最近、戦果を上げすぎていたので気になっていた。奴は私が提督の座を狙っていると思うだろう。身の危険を感じていた」

 泰蔵は何を勘違いしているのか、といった表情で


「田口は美香と婚約したいというのだ」


 美香は血の気が引いて、飲んでいるコーヒーを吐き出しそうになった。

「ええー! 冗談じゃないぞ。かんべんしてくれ! 」

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