1 深海の死闘(孤立)
海底の深度は一千mに達している。海風はカーズの大群に追われ、海底を這うように進んでいた。
「海風の限界深度での潜航なので注意して」
この付近は巨大なトランスホーム断層の急崖で6000mの深海に続く斜面だった。
「立て直す時間がほしい……相手をやりすごせる、隠れるところが、ないかしら」
美香は周囲の地形をみて
「この先に、断層の亀裂があるわね。その断層の底に行けば、しばらくは身を隠せる……でも深度千五百mか……」
「その深度はさすがに、厳しいです」
加藤は唸るが、そこにしか逃げ込む場所はない
「行きましょう。このままでは確実にやられます」
「しかし、圧潰する危険が」
「大丈夫、海風は頑丈だから。艦内を無音体制に、それとデコイのドローンを放って」
美香は、操舵主に断層の方向に向かうよう指示した。
そんな美香は、先ほどから時々目頭を押さえている、戦闘開始からすでに三十時間以上たち、かなり疲労していた。
海風から、無人の囮の小型潜水機が放たれる。これは、海風の駆動音と同じ音を放ちながら動く潜水機で、ホーミング魚雷などの追尾を撹乱する時などに使われ、カーズはこの潜水機を海風と思って追い始めた。
海風本体は駆動をすべて停止させ、ゆっくりと暗く深い断層の中に沈んでいく。ときおり、外装のきしむ音が不気味に艦内に響いてくる。
「深度千二百」
美香をはじめ指令室のクルーは息をのんでいる。女性クルー達は小声で心配そうに
「つぶれない……」と言いながら、身を寄せ合っている
「深度千三百…千四百…」
深度を読む声とともに、艦の外装が凹むような音がすると、身がすくむ。
「深度千五百! 」
オペレーターが言うと。加藤大佐は
「まだ、海底ではないのか。もう限界深度を五百mは超えている……これ以上は無理です」
「意外と深いわね。海流があるから出来れば着底して、すべての駆動を停止したいけど……しかたありません。見つかる危険があるけど。トリムを安定状態にして、一定深度でバランスするしかないか……」
そのとき、船底から鈍い振動がした。
「着底しました! 」
美香は、胸をなでおろした。
「現在の深度は」
「水深千六百二十mです」
「海風には未知の深度ね。私もこの深度にまで潜水したことはないわ。ところで艦内に浸水とかない」
「一部漏水がありますが軽微です。そのほかは大丈夫です」
海風の巨艦は、冷たく暗い海底の岩の割れ目の底に隠れるように潜んでいる。艦内の乗組員は音を立てないよう持ち場で動かず、すべてのモータ音も停止させ無音の世界となる。追ってきたカーズの群れが頭上を通過していた。
「シルビア、残っているソナーは」
カーズの位置を確認するため、周辺の海中に浮遊式のソナーをばら撒いていたが、大部分がカーズによって破壊されている。
「あと三個です」
「もう一個破壊されたら、カーズの正確な動きはつかめなくなりますね」
モニターに無数の点が海風の頭上のデコイを追って移動している。この群れに気づかれると、ひとたまりもない。加藤は
「これが、全部カーズとは……身の毛がよだちますな」
そのとき、レーダーに写っていたカーズを示す点が、次々と消え始める。
「ソナーが壊されたようね。これで、相手の確認は、泳ぐ音から判断するパッシブソナーの解析だけです」
状況は悪化する一方だった。
「艦長! デコイの破壊音をキャッチしました。カーズが四方に泳ぎまわる音が聞こえます」
「騙されたと思って怒り心頭でしょうね」
加藤大佐は
「どうします艦長。このままじっとしていているか、動くか……」
海風の頭上には多数のカーズがうごめいて、動けば一斉に襲ってくる。しかし、いずれカーズは海風を見つけるだろう。美香は、自分たちが冥府の底に繋ぎとめられ近づく死神に恐怖し、声をたてず震えている虜囚のように思えてくる。
美香は、海面がこれほど遠く感じたことはなかった。
打つ手のないまま時が流れる
美香は、いつものように前かがみでモニターを睨んだまま、思考をフル稼働でしていた。
「なにか、手はないか……カーズを倒さなくても脱出する時間を稼げれば」
しかしカーズは頭上を蠢いて去っていく気配がない。加藤やシルビアも考えているが名案が浮かばない。美香は少し疲れたようで眼が霞んできた。シルビアが心配そうに
「少し休まれては……私達は交代で休みましたが、艦長は三十時間近く寝ていませんよ」
「だいじょうぶ……」
とは言うものの、笑顔まで作れない
「寝不足では判断を誤ります。どうか、少しでも休んでください」
「わかりました」
シルビアに促され、美香が席を立ったとき、張り詰めた緊張がとぎれたためか、急に立ちくらみがして、その場に気を失って倒れた。
「艦長! 」
指令室は騒然とし、シルビアが直ぐに衛生兵を呼ぶと、そのまま医務室に連れて行き、ベッドに運んで寝かせた。
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