第二部 マーメイドの戦律

1 転校生は口の利けない少女

 夜の軍港に水面から影のように頭だけを出した人影が護岸に近づいてきた。


 その人陰は静かに護岸に這い上がると、物陰に隠れて周囲を注意深く探っている。


 眼だけ出した黒のウエットスーツに身を包んだ姿は、胸のふくらみと腰の括れた曲線から、あきらかに女性の体つきで、海中から上がってきたにも関わらず酸素ボンベなどはなく、腰に短剣を下げただけの身軽な姿だった。


 それは、物陰に隠れながら周囲を見渡し、何かを探っている。


 そのとき、警備の兵がその人影に気づいた

「だれだ! 」

 すぐに警報が鳴らされ数人の警備兵が集まり、人影も逃げたが正面にも回り込まれ行き場を失った。


 周りの兵は銃を構えて包囲の輪を縮めていく。

「そのまま、両手を上げろ」


 影は手を挙げる前に、目だけを出しているウエットスーツの口元をあけ、口をひらくとハミングするような声を出した。


「……なんだ、この声……唄のような」

 それは、ソプラノの心地よい響きだが、唄というより音波のようで警備兵の力をそいでいった。


「力が…抜けてゆく…撃て!」

 すでに警備兵は銃を撃つ気力もなく、次々と地べたに下手るように倒れた。


 そのまま人影は海に向かって逃げ出し、なんとか意識のある警備兵が発砲したが、そのまま岸壁から落ちるように海に飛び込んだ。


 すぐに他の警備兵があつまって海面をサーチライトで照らし、ボートも出したが、その後不審者は見つけることはできなかった。


 ただ、銃撃で怪我をしたようで、護岸に血痕が残っていた。


◇転校生

 

 美香が参戦してから、一気に戦況が好転している。


 海風の艦長として、紀伊半島沖の海山の追撃戦をはじめ戦果をあげているが、まだ近海にカーズは出没していた。


 美香は学校と軍を行き来して休みも多いが、正体は伏せられ、政府や軍から学校側にも配慮するよう、極秘に指示されていた。


 その頃、美香のクラスに転校生の紹介があった。

「今日から、一緒に勉強するセ―ラさんです」


 海の波のようなウェーブのかかったミドルヘアー、透き通るような白い肌に、やや虚ろな瞳の、どこか弱々しい印象の少女だった。


 次に先生がセーラの紹介をすると、生徒は静まりかえる。

「セ―ラさんは、口が利けないのです。でも、本人の強い希望で、みなさんと一緒に勉強したいそうです。仲良くしてあげてくださいね」


 すると、セーラは持ってきた小さなホワイトボードで

『セーラです。よろしくお願いします』


 そう書いて頭を下げると。教室から自然と拍手がおこった。


 その後、授業は普段通り行われたが、セーラはなぜか美香のことを気にしているようで、時々目があった。


 放課後になると生徒の数人がセーラのそばに集まって、なにか相談している。

 

 美香が帰宅しようとすると、生徒の一人に呼び止められた。

「美香、ちょっときて」


 美香は頷いて、その集団に近づくと

「みんなで手話をやろうと相談してたの。美香もどう」


「それは、いいわね」

 微笑んで美香が言うと、なぜかセーラは美香を羨望の眼差しで見つめた。

 気づいた美香は、セーラに向かって会釈すると、セーラは嬉しそうに微笑んだ。


 その時、校舎全体が小刻みに振動し、窓枠などがガタガタ揺れだした

「地震! 」


 女生徒は肩を寄せ合っておびえている。美香もそばにいるセーラを抱きしめてうずくまった。揺れは数秒で治まった。


「大きかったね」

「以前ほどじゃないけど、まだカーズが、結構近くまで来ているのだって。あの、宮部司令官が亡くなってからの太平洋艦隊はカーズをなかなか退治できないみたいだしね」


「でも、最近は少し持ち直した、って言ってるけど」

 集まっていた女生徒達が口ぐちに話している。美香は、かばうように抱えているセーラに


「大丈夫」

 聞くと、セーラは美香にしがみついたまま頷いて、立ち上がろうとしたとき、再び大きな余震が襲ってきた。


 先ほどよりかなり強い震動で、女生徒達の悲鳴が聞こえる。棚などは転倒防止されているが、それを上回る揺れで天井の電灯が落ちてきた。


「セーラ危ない!」

 美香は、セーラを庇うように抱きしめると、その上に電灯が落ちてくる。

 揺れは収まったが、美香とセーラが落ちた電灯の下敷きになっていた。


 すぐに友人が美香の上に落ちてきた電灯を退けると、美香の制服が破れ額から血が流れている。セーラは心配そうに美香をみている。


「大丈夫よ、かすり傷だし」

 美香は立ち上がり微笑んでいるが、保健室に行って手当てをすることになり。セーラはその間、美香のそばに付き添っていた。


 それ以来セーラはいつも美香のそばにいるようになった。


 セーラは近くの障害者支援施設から通っている。美香もセーラに連れて行ってもらったことがあり、聾唖者専門の施設のようだ。


 京蘭女学院は学費も高く本来はセーラが行ける学校ではないのだが、成績もよいので施設の人が掛け合い、障害者枠で特別に転入を認めてもらったらしい。


 そんなセーラが数日後、腕に包帯を巻いて登校してきた。


「どうしたの! 」

 驚いた美香が聞くと、セーラは手話で。

『コロンダの』  


 照れ笑いで答えるセーラだが、美香は怪訝な表情で(これで三回目だ、施設で虐待でもされていないのだろうか)


「本当に 何かあったら話してよ」

 心配そうに聞くと。手話を交え

『アリガトウ、ホントウにダイジョウブ』


 セーラは、美香の気遣いに感激したようで、少し涙目になっている。

 少し、しんみりした雰囲気に周りの友達が話題をかえようと


「そういえば最近、海風って潜水艦がカーズを、つぎつぎと倒しているのだって」


「そうそう、私も聞いたわ。以前、宮部司令官が乗っていた空母にもなる潜水艦でしょ。今は、だれが艦長か極秘なんだって、また暗殺されたら大変だしね」


 カーズの話題を取り上げたが、宮部の言葉が出たとき、セーラは一瞬険悪な表情になり俯いている。


「どうしたのセーラ。あなたもカーズには恨みがあるでしょ。今の日本人の多くは少なからず親類や友人が、不幸にあってるしね」


 友人の言葉にセーラは気のない笑みを浮かべただけだった。

 そのあと、セーラはこの話に加わらなかった。


 その後、めずらしくセーラが手話で美香に質問をした。

『ミカは、カーズのコト、ドウオモウ』

 思いもよらぬ質問だったが


「カーズは多くの人が犠牲になったし、大きな災厄でしょ、憎んでいる人も多い。やっぱり、退治しないといけないわ」


 憎き復讐相手とまで言わないが、美香の言葉にセーラは、少し悲しそうに俯いた。そんなセーラに


「どうしたの。何か悪い事言ったかしら」

 セーラは首を横に振って笑った。

 美香は(近頃の娘は、何を考えているかわからん)そう思ってセーラをみると、セーラの唇が何か言おうとしている。


『やっぱり美香は忘れている……』


 無論、セーラが何を言ったか美香にはわからない。

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