第一部 潜水空母『海風』
1 紀伊半島沖 カーズ追撃戦(浅波美香)
磯に佇む幼い少女は、夕凪の水面に浮いている両手で抱えるほどの生物を見つけると、腰を屈めて、やさしく声をかけた。
その生物は怪我をしているようで、周りに赤黒い血のようなものが浮いている。少女は、服が濡れるのも気にせず波辺に入ると、その生物の固い甲羅をなでながら唄を歌う。
この出会いはカーズの望む、次なる第三進化への黎明となった。
◇
「また、この夢……」
美香は、幼いころの自分と思われる、その少女の唄を思い出せない。それは、子守唄のような心地よい旋律だが、今の自分と違う、もう一人の自分からの悲痛な訴えのように聞こえてくる。
最後に沖合を島のような巨大でおぞましい黒い塊が移動し、それが悪夢となっていた。ただ、その黒い塊のことを思うと、もう一人の自分と、今の自分との違和感が、憎しみという一点に凝縮され、ふつふつと身体中の血が沸騰するような激情がわきあがってくる。
「カーズ……必ず、根絶やしにしてやる! 」
まだ、あどけなさの残る清楚な十七歳の少女の外見からは想像できない、乱暴な言葉を何度も、毛布に包まってつぶやいた。
美香はそのまま朝を迎えると、眠い目をこすりながら艶やかな髪に、慣れない手つきでブラシをいれ、制服に着替えると、いつもの普通の女子高生として登校する。
◇
美香の通う京蘭女学院は内陸にあり災厄を逃れた富裕層や、政財界に名の通った人たちが多く通っている名門の女子校で、校舎に通じる参道には白のブラウスの襟元に空色のラインのついた涼しげな制服の女生徒達が、新緑の木漏れ陽の中を登校している。
美香も親しい友達と歩いていると、友達が口々に
「ねえ、人間化したカーズがいるって、聞いた」
「昨日、テレビの特番でやっていたやつでしょ。一年前に宮部中将が亡くなられた、カーズによる飛行機の撃墜事故も、人間に紛れ込んだカーズが情報を得たのではないか、と言ってたね」
「そうそう、普段は人にまぎれて、夜になるとカーズになって人を襲うとか」
女生徒たちは自分で言って身震いしている。
カーズは学生のあいだでもよく話題にあがる
「それから、あの宮部中将の生まれ変わりとも言われる艦長が、空母と潜水艦が合わさった、すごい軍艦でカーズに反撃しているのだって。でも暗殺の危険があるから誰かは極秘にしているそうだよ」
「そうらしいね、その艦長のおかげで、私たちもこうして学校に通えるものね」
そんな会話に、美香は微笑むだけだったが
「そういえば、美香も宮部中将の事故死した飛行機に同乗していたのよね」
突然、話を振られて美香は少しハッとして俯くと、それに気づいた友達があわてて
「ああ、ごめんなさい。事故より前の記憶がないのだったね。でも、以前と性格がすっかり変わって、とても付き合いやすくて、おまけに賢くなって、みんなびっくりしてるよ」
美香は、友達の気遣いに笑顔で
「そんなことないよ。それに記憶のことは気にしないで、もう大丈夫だから」
笑顔で答えた美香に、友人もホッとすると
「そうだ! 美香の好きそうなスイーツのお店見つけたの、帰りに寄って行かない」
「ほうとう。いくいく! 」
「美香はスィーツが好きだね。そこは、以前とかわってないね」
それには、美香も苦笑いしたが、そんな他愛もない会話につきあったあと、いつものように一日の授業が始まり、放課後を心まちにしていた。
それはどこにでもある学校の風景だった。
その放課後、美香は、スィーツの店に行く楽しみを奪うメールに返信していた。
◇◇◇
美香『明日じゃだめー 』
S.F 『だめです。すでに車を学校にまわしておきましたので』
美香『鬼! サタン、ディーモン、ゴブリン!』
S.F 『なんとでも言ってください。私が鬼よばわりされることで、人類の危機が救われるのですから』
美香『ゴキブリ・うんこ』
S.F 『少し殺意がめばえました』
美香『好きなように呼べと言ったぁーーー』
S.F 『とにかく、出頭してください! それと、ご所望のコーヒー豆を手に入れましたから』
美香『♡♡ラジャ! 』
◇◇◇
美香は誘ってくれた友人に急用ができたと丁重に断ると、いつもは徒歩で登下校するところ、迎えにきた高級車に乗り込んだ。
学校黙認で目立たないように裏門から出るが、何人かの生徒には目撃され「さすが浅波財閥の御令嬢、お迎えも違う」と噂されている。
しかし、その車は美香の家とは反対の方向に走り去ると、直ぐに赤いパトランプを天井に付けサイレンを鳴らしながら緊急車両として赤信号を通過し、道を開ける車の間を走り抜けていく。高速道路を経由し、街や工場地帯を通り過ぎたあと、かつて栄えた沿岸の平野を通過した。
次第にカーズの襲来で破壊された建物や瓦礫が多くなるが、美香はそのような景色には目もくれず、車内で渡された書類に真剣に目を通している。
廃墟の町をさらに海へ向かうと、かつて住宅地や商業施設などのあった人工島を改装した巨大なシェルターを備えた軍港への連絡橋を渡り、厳重な検問所の前で停まる。
運転手がIDカードを示すと衛兵は急にかしこまって敬礼し、車はそのまま軍港の中で大小の軍艦が接岸している岸壁に向かった。
その奥の護岸にひときわ大きい灰黒色に鈍く光る巨大な潜水艦に、美香の乗った車は向かっていく。
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