第45話 処刑

 ミカエルの聖域の中、天理とルシファーがぶつかり合う音が響く。剣を手にした二人は、お互いに一歩も引かず、死闘を繰り広げていた。


「ルシファー‼ なぜ首を裏切った‼」


 天理が炎の剣を振り上げながら叫んだ。ルシファーがその言葉にピクリと反応を示す。天理が振り上げた炎の剣は、天理に振り上げられたと同時に炎の勢いを増し、燃え盛る。ルシファーが身構えた。


聖虹せいこうほのお


 天理が剣を振り下ろすと、虹色の炎がルシファーに向かって放たれた。自分に向かって来る炎を睨みつけ、ルシファーは炎を避けようとせず、剣をかまえて待ち構える。そして、目前に迫った炎を剣で真っ二つに斬り裂いた。


 ルシファーは炎を切り裂きながら、大きな翼を羽ばたかせ、天理に向かって行く。炎を突き抜け、目の前に飛び出してきたルシファーに、天理が咄嗟に剣を振り、ルシファーの剣がそれを受け止めた。


「なぜだと? 貴様、本気で問うているわけではないだろうな」


「本気だ、ルシファー」


「この目を見てまだそんなことを問うというのか‼」


 ルシファーが天理の剣をはじき返し、天理に向かって剣を振る。天理の鼻先を黒い剣の刃が掠めた。天理がルシファーから距離を取る。


やみをもたらすもの


 ルシファーの背後に無数の黒い剣が出現した。そのすべての矛先は天理に向いている。


「神はもとより我らを裏切っていた」


 剣が一斉に天理に向かって行く。天理が炎の剣を振り、自分に向かって来た無数の剣を薙ぎ払ったが、黒い剣は無数にあり、天理を追って来る。


「サンティファクト‼」


 天理が叫び、炎の剣がサンティファクトの姿に変わる。サンティファクトは虹色の炎を纏いながら素早く天理を取り囲むように飛び、虹色の炎が天理を取り囲んで、天理を追って来た黒い剣が炎に燃やされて消滅した。


 次の瞬間、天理を守った炎が唐突に切り開かれ、天理の目の前にルシファーが現れた。


「⁈」


 天理が大きく目を見開く。炎を切り裂いたルシファーはそのまま天理に向かって剣を振り、天理が咄嗟に剣を避け、素早く剣の姿に変わったサンティファクトを掴み取ると、目前にいるルシファーに向かって剣を振った。


 ルシファーが剣を避ける。炎の刀身がルシファーの髪先を少し焦がした。天理から距離を取ったルシファーを追って、天理が剣を振りかぶる。そして、ルシファーの手に剣が握られていないことに気が付いた。


「がっ⁈」


 天理の腹部に後ろから飛んで来た剣が突き刺さる。苦しげに表情を歪めた天理がハッとしてルシファーの方を見ると、酷く冷たい瞳でこちらを見つめるルシファーと、そのルシファーの周りに大量に出現した黒い剣が見えた。


「……首に裏切りなどない。首がすべてなのだから」


 口から赤い血を滴らせ、苦い表情を浮かべる天理が呟く。


「すべてであるのなら、すべてを奪ってもいいと?」


 ルシファーが問う。その瞳は怒りで震えていた。


「……なにが言いたい」


「傲慢にも、奪ってもいいとそう言うのだな?」


「……ルシファー……なぜ、首を裏切った……?」


 天理がそう呟いた瞬間、天理に向かって無数の黒い剣が飛んでいった。天理が小さく息を呑む。避ける暇もなく、剣は天理の身体を貫いた。


「神が我が友、ベルゼブブとアスタロトを殺したからだ‼」


『ルシファー』


 それは、天使たちが現世に堕とされる前のこと。ルシファーが天使の頂点に君臨していたころの話。ルシファーの隣で、愛おしげにその名を呼ぶのは、なによりも大切な友、天使ベルゼブブとアスタロトだった。


『ルシファー。ルシファーは綺麗だねぇ』


『天使の頂点に君臨する天使だぞ。神の寵愛を受ける天使なのだから、あたりまえじゃ』


『やめないか、アスタロト』


『事実であろうぞ、ルシファー。なぜ、ワシらのような下級天使の相手をしてくれるのか、不思議なのだから』


『ベルはねぇ、ルシファーのこと大好きだよぉ』


『なんじゃと? ルシファーへの愛ならワシも負けてはおらぬぞ』


『まったく……お前たちは……』


 変わらないと思われた愛おしい日々。ルシファーにとって、それはなによりもかけがえのない日々だった。神の寵愛を指しい引いても。


『ベルゼブブとアスタロトの処刑が決まりました』


 四大天使ミカエルからそう告げられた時、ルシファーの口から漏れだしたのは「は?」という、困惑の声だけだった。


『首よ‼ 首よ‼ お答えください‼』


『どした~? ルシファー』


『なぜ、なぜです⁈ ベルゼブブとアスタロトの処刑など……‼』


『ああ、それ? 仕方ないじゃん。あの二人って、元々私が殺すつもりだった神々の一人でしょ?』


『ですが‼ 首に仕えると、首もそれを許すと、二人を天使にしたではないですか‼』


『私はそれでも良かったんだけどね? 人間がさ』


『人間?』


『なんかさ、邪神だってうるさいの。だったら面倒臭いし、殺してもいっかなって。あの二人死んでも、私が困ることってないんだよね』


 神の言葉にルシファーが絶句する。神はなんともないと言うように続けた。


『天使が死んで、困ることってないでしょ?』


 ベルゼブブとアスタロトは天の前に跪き、処刑の時を待っていた。その表情はとても安らかで、なんの悔いもないように見える。


『ベルゼブブ‼ アスタロト‼』


 そこに現れたのは、処刑を止めようとするルシファーだった。処刑を見守るために集まっていた四大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルが素早く動き、ベルゼブブとアスタロトの元に向かおうとするルシファーを押さえつける。


『やめろ‼ やめてくれ‼ 殺さないでくれ‼』


 ベルゼブブとアスタロトがルシファーを見る。いまから殺されると言うのに、二人は微笑んでいた。


『逃げろ‼ 逃げてくれ‼ 頼むから……‼』


『ルシファー』


 涙を流し、必死にするルシファーに向かって、二人は諭すように言った。


『首は私たちに死ねとおっしゃったのだから』


 ルシファーが大きく目を見開く。二人は微笑みながら、涙を流していた。


『……堕天しろ』


 その声は、絞り出したかすれた声だった。


『堕天しろ‼ 逆らえ‼ そうすれば生きられる‼ お願いだから……‼』


『ルシファー‼』


 ミカエルが信じられないと言うように叫ぶ。ベルゼブブとアスタロトは、ルシファーの言葉に驚いたように目を見張り、諦めたようにふっと笑うと、首を横に振った。


『ルシファー。ベル、ルシファーのこと大好きだよ』


『ワシも大好きじゃ。ルシファー。ワシらの親友よ』


 二人の身体が淡く光る。そして、二人はパッと輝き、跡形もなく消滅した。


 ルシファーがなにも言えずに消えた二人がいた場所を凝視する。四大天使たちが静かにルシファーを離したが、ルシファーはその場から動かなかった。


『ベルゼブブ、アスタロトの処刑が完了いたしました』


『オッケー。お疲れ~。あ、ルシファー。どうする? さっきの言葉、訂正する? いまなら許してあげるよ』


 気の抜けるような神の声が聞こえる。


『……なにが……神だ……』


 ルシファーの六対十二枚の大きな翼が黒く染まっていく。異変に気が付いたミカエルが目を見開いた。


『殺してやる』


 ルシファーの翼が闇のように黒く染まる。ミカエルが咄嗟にルシファーを天から突き飛ばし、ルシファーは堕ちた。神の困惑の声も、四大天使たちの驚愕の声も耳に届かず、涙を流しながら堕ちていくルシファーの瞳は、怒りで震えていた。

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