第26話 一番の理解者

 その日の夜、羽衣はレオにしこたま怒られた後、夜の街に悪魔退治に赴いていた。


「ねぇ、レオ~。悪魔退治はみんなで一緒にって……」


「うるさい‼ おまえは天使としての自覚がなさすぎるんだ‼ 七大天使にならなくていいなんて、首に反逆とみなされたらどうする⁈ 仲間だってまだ信頼していいのかわからないんだぞ‼」


「そんなことないもん……」


 夜の暗闇から顔を出す下級悪魔たちを桃色の炎で燃やし尽くしながら、羽衣は頬を膨らませる。レオは怒りに身を任せ、獅子の姿で悪魔を薙ぎ払っていた。


「いくら天使の記憶がなくても、いい加減自分が天使だって自覚してくれ‼」


「わ、わからないんだもん……羽衣は羽衣だもん……‼」


「頼むから軽率な行動で波風を立てるのをやめてくれ‼」


「そんなつもりないもん……‼」


「羽衣は大天使アリエルなんだぞ‼」


「羽衣は羽衣だもん‼」


 羽衣がそう叫んだ瞬間、羽衣の目の前に桃色の炎を大きな火柱が上がり、悪魔たちを燃やし尽くした。その火柱のあまりの大きさに、レオが驚いて動きを止める。火柱は悪魔を燃やし尽くすと徐々に小さくなり、火柱の向こうから悲しそうな表情を浮かべている羽衣の姿が見えた。


「羽衣……」


「……わからないんだもん……」


 レオが獅子の姿から元の姿に戻り、羽衣の元へと飛んでいく。悪魔を一掃した羽衣は、いまにも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


「羽衣はみんなと仲良くなりたいだけだもん……殺し合いなんてしたくない……」


「で、でも……羽衣はなにをどうしたって天使なんだぞ……アリエルとしての力も戻りつつあるのに……」


「羽衣は天使になんてなりたくなかった‼」


 羽衣の瞳から涙がこぼれる。羽衣の言葉にレオが酷く傷ついた表情を浮かべた。


「レオになんて出会いたくなかった‼」


 羽衣が叫び、レオに怒られると思ったのか、恐る恐る顔を上げる。羽衣がレオを見ると、レオは泣き出しそうな顔をしていて、羽衣は自分が放った言葉がレオを傷つけたのだと気が付いた。


「ち、違うのレオ……‼」


「……それでも俺はアリエルのエンジェリックだ」


 そう言うと、レオは背中の翼を羽ばたかせ、飛んで行ってしまった。羽衣が「レオ‼」と叫ぶが、レオは振り返らない。


 羽衣はしばらく呆然とその場に突っ立っていた。


「なにしてるの?」


 聞こえた声に羽衣が顔を上げると、そこには天使の姿をした鮮巳がいた。背中の翼で宙に浮かび、首に巻いた赤い首巻が夜風にひらめいている。鮮巳のそばにはローブを被ったマリスが飛んでいて、鮮巳は突っ立っている羽衣を怪訝そうに見つめていた。


「鮮巳ちゃん……」


「とんでもない火柱が上がったから上級悪魔でも出たのかと……」


 すると、鮮巳の姿を見た羽衣がボロボロと泣き出した。鮮巳がギョッとして羽衣の元へと飛んでくる。


「な、なに? 人の顔見て泣き出さないでよ……」


「うえ~ん! レオと喧嘩したぁ……‼」


「はあ?」


 声を上げて泣き出した羽衣に鮮巳が困惑しながら狼狽え、マリスが大慌てでハンカチを持ってきて、羽衣の涙を拭き始めたが、羽衣の涙は止まらない。


「エンジェリックと喧嘩って……」


「レオに嫌われたらどうしよう~……‼」


「嫌われないでしょ……エンジェリックは天使のために存在するものなんだから……ああ、もう! 泣くな!」


「うええん……‼ 羽衣、レオに酷いこと言っちゃったぁ……‼」


「だったら謝れ! いい? エンジェリックは天使のために存在する、天使と表裏一体の存在なの。どう足掻いたって、一緒にいるしかないんだから……」


「羽衣、もうどうしたらいいかわからないのぉ……‼」


「なにが?」


 鮮巳は半ば呆れている様子だ。マリスは大慌てで羽衣の大粒の涙を拭っていた。


「み、みんなと仲良くしたいのにぃ……‼ レオは、レオはダメって言うし……‼ 怒るし……‼ 天使とか、もう、よくわからないよぉ……‼」


「なにそれ……あんた本当に天使らしくない……」


「どうしたらいい……?」


「私に聞かないでよ……普通の天使は共闘とか仲良くしたいとかありえないし……」


「なんで天使は仲良くしちゃいけないのぉ……?」


「……首の命だから。それはどう足掻いても覆らない。でも、まあ……レオはただあなたを心配してるだけだよ」


「心配……?」


「レオが言う通り、首への反逆とみなされれば消される。エンジェリックは天使のために存在するんだから、天使が消えればエンジェリックも消えるんだよ。それはあなただって嫌でしょう」


「……嫌……」


「エンジェリックだって自分の天使が消えるのは嫌なんだよ。エンジェリックは天使の一番の理解者だから」


「……」


 羽衣の涙が徐々に止まり、マリスがホッとして鮮巳の元に戻る。羽衣は小さく嗚咽を漏らし、涙で濡れた瞳で鮮巳を見た。


「仲直り……出来るかなぁ……」


「……出来るよ」


 すると、羽衣は泣きながら嬉しそうに笑った。


「やっぱり、鮮巳ちゃんは優しいね」


「……別に……」


 そこまで言いかけて、鮮巳は羽衣の後ろに現れた悪魔に気が付いた。羽衣は気が付いていない。鮮巳は咄嗟に羽衣の手を引き、自分に引き寄せた。


「わあ⁈」


「マリス‼」


 鮮巳の言葉に反応したマリスが悪魔に向かって飛び出して行き、その姿が一瞬にして翼を持つ赤い蛇の姿へと変わった。赤い蛇は鋭い毒牙を剥き出しにし、悪魔に襲い掛かる。


 赤い蛇が悪魔たちをなぎ倒していくが、闇の中から悪魔は次々と現れる。鮮巳は羽衣を自分の後ろにやると、悪魔たちを睨み、もう一度「マリス!」と叫んだ。


へび毒牙どくが


 鮮巳の手元に無数の赤い毒針が現れる。マリスがすっと鮮巳の動線から避け、鮮巳は手にした毒針を悪魔に向かって投げつけた。毒針はまっすぐ悪魔に向かって飛んでいき、悪魔に突き刺さる。その瞬間、悪魔たちが悲鳴を上げて苦しみ出し、次第にその身体がボロボロと崩れていった。


「……」


 羽衣は鮮巳に庇われ、呆然とその光景を見ていた。すると鮮巳が振り返り、羽衣を見た。


「神の毒。それが大天使サマエル。神にすら忌み嫌われる天使だよ」


 そう言った鮮巳の表情は悲しげだった。鮮巳の後ろで悪魔がザラザラと消えていき、蛇の姿をしていたマリスが元の姿に戻り、鮮巳の元に戻って来る。


「だから、私に関わらないで」


「でも、また助けてくれたよ。ありがとう!」


 羽衣が鮮巳の手を取り笑う。鮮巳は一瞬ビクリと身体を固くしたが、羽衣の手を振り払おうとはしなかった。


「羽衣、やっぱり鮮巳ちゃんとお友達になりたいなぁ」


「……私は……七大天使になりたいの」


 うつむいていた鮮巳が羽衣の目を見る。羽衣は不思議そうに首を傾げていた。


「だから、他の天使とは仲良くしない。どうせ殺し合うことになる」


「ううん……じゃあ、天使としてじゃなくて、クラスメイトとして仲良くなろう!」


「は?」


「一緒に戦おうとかは言わないよ。あとね、羽衣、七大天使になりたいわけじゃないから、鮮巳ちゃんと戦うことないと思うの!」


「……レオは大変だね」


「え? なんで?」


 鮮巳がふっと諦めたように笑った。


「わかった。わかったよ。友達になろう」


「本当⁈ やったあ‼」


 羽衣が満面の笑顔を浮かべる。鮮巳は小さく息をついた。


「とりあえず、レオと仲直りしなよ」


「あ、うん……頑張る……」


「エンジェリックは天使のためにあるんだから」


 そう言うと、鮮巳はすっと羽衣の手を離し「じゃあ、行くから」とそばで飛んでいたマリスを抱き寄せた。


「明日も学校来る?」


「行く気になったら」


「待ってるね!」


「はいはい」


 鮮巳が諦めたように笑う。


「早くレオと合流しなよ。こんな時間にエンジェリック無しで天使がフラフラするのは危ないから」


 そう言うと、鮮巳はマリスを抱いて飛んで行ってしまった。羽衣は「ばいばーい!」と鮮巳の姿が見えなくなるまで手を振り、鮮巳の姿が見えなくなると、小さな声で呟いた。


「レオを探さなくちゃ……」


「羽衣‼」


「わあ⁈」


 唐突に頭上から聞こえて来た声に羽衣が驚きながら上を見ると、そこには羽衣に向かって急降下して来るレオの姿があった。


「レオ⁈」


 急降下して来たレオは迷いなく羽衣に飛びつき、その勢いに負けた羽衣が情けない声を上げながら尻もちをついた。


「羽衣~‼ よ、よよ、よかったぁ‼ サマエルが出てくるのが見えたから、殺されたんじゃないかって……‼」


「だ、大丈夫だよ?」


「よかったぁ‼」


 レオは羽衣の胸に縋り付きながら涙を流している。レオの勢いに少々圧倒されながら、羽衣はレオを抱きしめた。


「あ、あのね、レオ……羽衣、レオに酷いこと言っちゃって……」


「そんなのどうでもいい‼ 無事ならそれでいいんだ‼」


「で、でも……」


「でも、俺が羽衣を心配してるってことだけはわかってくれよぉ……‼ 俺は羽衣が心配で心配で仕方ないんだよぉ……‼」


「う、うん……ごめん……」


「この際、羽衣が七大天使に興味ないのはもういいよ‼ でも、軽率な行動をどうにかしてくれぇ……‼」


「わ、わかった……ごめんなさい……」


「わかったならよし!」


 レオが羽衣からパッと離れ「帰るぞ!」と羽衣の手を引く。


「え、えっと……仲直りってことでいいの?」


「別に喧嘩もしてないぞ! 俺はアリエルのエンジェリックだ! 一緒にいるのは当然だろ!」


 レオの言葉に羽衣がパッと表情を輝かせ、レオを抱きしめた。


「大好き!」


「うわあ⁈ だからぬいぐるみ扱いするなー‼」

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