第27話 神なんてクソくらえ
羽衣と別れた鮮巳は、マリスを抱き、夜の街をフラフラと歩いていた。夜風が鮮巳の赤い首巻をひらめかせる。鮮巳に抱かれたマリスはどこか不安げな表情を浮かべて鮮巳を見つめた。
「サマエル……?」
「……友達……だって……」
鮮巳が立ち止まる。
「神の悪意と、天使の頃から忌み嫌われて、神にすら認めてもらえなかった。七大天使になったら、独りぼっちじゃなくなると思ってたけど、友達かぁ……」
マリスは心配そうに鮮巳を見つめている。
「私、上手くできると思う?」
「だい、じょうぶだよ、さ、サマエル」
マリスは鮮巳の腕から離れると、鮮巳に抱き着いた。
「ぼ、ぼく、ぼくが、いるよ」
鮮巳が嬉しそうに微笑み「ありがとう」とマリスの頭を撫でる。マリスは嬉しそうに鮮巳の手に頬をすり寄せた。
その時だった。鮮巳とマリスはいつの間にか、暗い空間にいた。
「⁈」
鮮巳が目を見開く。先ほどまでいたはずの夜の街はそこにはなく、広がるのは薄暗がりな不気味な世界。様々な武器が地面に突き刺さり、そのどれもが血に濡れている。生暖かい空気が頬を撫で、酷く居心地が悪い。そして、地面には大量の天使の羽が散らばっていた。
「……うそ……」
鮮巳が信じられないと呟く。大量の天使の羽はどれもボロボロで、血に濡れた状態で絨毯のように地面に敷き詰められている。あたりで漂う羽の一枚一枚が、まるで引き千切られたようだった。
「……なんで……うそ……嘘だよ……‼」
青冷め、取り乱す鮮巳のそばで、怯えた様子のマリスがなんとか鮮巳を落ちつけようと「サマエル! サマエル!」と鮮巳の名を呼んでいる。だが、鮮巳はパニック状態だった。
「天使殺しのモーセの結界……」
その場所は、上級悪魔の結界内。
後ろで聞こえた物音に、鮮巳がビクリと肩を震わせて恐る恐る振り返る。鮮巳の背後には、小さな人影があった。
「ひっ……⁈」
その人影を見て、鮮巳がマリスを抱きしめて後ずさる。その人影は、ガリガリに痩せた老人のように見えた。地面につくまで長く伸ばされた髭に、骨が浮き出たミイラのような黒い身体。鮮巳に背を向けているそれは、手元でなにかをしている。
よく見ればそれは、天使の羽を千切っているようだった。
「にげて‼ サマエル‼」
鮮巳の腕の中でマリスが叫ぶ。鮮巳の頬に冷や汗が伝い、顔面蒼白で、身体はガタガタと震えていた。
人影が鮮巳に気が付いて振り返る。爛々と光る赤い瞳と、頭に生えた禍々しい二本の角。その手に握られた、捥がれた天使の翼。
その姿は、上級悪魔、天使殺しのモーセに他ならない。
モーセが鮮巳を見て、口角を吊り上げた。その表情は身が凍り付きそうなほどに不気味なもので、思わず悲鳴を上げたくなる。
「マリス‼」
鮮巳の声は悲鳴に近い叫び声だった。鮮巳の腕から飛び出したマリスが赤い大蛇に姿を変え、牙を剥いてモーセに襲い掛かる。不気味な笑みを張り付けたモーセは、手に持っていた翼を地面に投げ捨てると、その手に禍々しい杖を出現させた。
「
マリスがモーセを噛み千切ろうと迫り、モーセがマリスのキバを杖で防いだ隙に、鮮巳は無数の赤い毒針を出現させた。マリスのキバを防いでいるモーセに狙いを定め、毒針を投げつける。その時、ドプンッと音がして、鮮巳がバランスを崩した。
「⁈ 水……⁈」
地面が唐突に波打ち、鮮巳の片足が沈んでいる。鮮巳がバランスを崩したことにより、毒針は大きく軌道を変え、モーセにかすりもしなかった。
キバを杖で防がれたマリスの足元で、地面が波打ち、黒い水がマリスに襲い掛かった。マリスを呑み込もうと迫る水をマリスが慌てて避ける。
次の瞬間、モーセが手にした杖でマリスを打った。
「マリス⁉」
打たれたマリスが地面を滑っていく。鮮巳は地面に沈んだ足をなんとか引き抜こうとしていたが、引き抜こうとすればするほど、底なし沼のように脚は沈んでいった。
マリスが素早く身体を持ち上げ、モーセに襲い掛かる。だが、モーセは波打った地面にドプンと潜り、それを避けた。マリスの牙はモーセにかすりもしない。
モーセはマリスのすぐ後ろに現れた。そして、杖の先でマリスの身体を貫いた。
「マリス‼」
鮮巳の悲痛な叫び声が響く。身体を杖で貫かれたマリスはだらりと力が抜けた状態で杖の先に刺さっていた。モーセは無慈悲に杖を振り、マリスの身体が地面に叩きつけられる。赤い大蛇が地面で赤い血溜まりを作り上げた。
モーセの目が鮮巳を捉える。鮮巳が青冷め、足を引き抜こうとするが抜けない。モーセがゆっくりこちらに向かって来る。鮮巳はキッとモーセを睨みつけた。
「あんたなんかに殺されてたまるか‼」
鮮巳の手元に赤い毒針が現れる。鮮巳はモーセに向かって毒針を投げつけ、その毒針はモーセに向かって真っすぐ飛んでいき、モーセに直撃した。
モーセの身体は水のように揺らめき、毒針はモーセの身体をすり抜けて、後ろに飛んでいった。
「え」
鮮巳のその声は絶望に染まっていた。
モーセの姿が鮮巳の前から消える。鮮巳がそれに気が付く暇もなく、モーセは鮮巳の真後ろに現れた。鮮巳が振り返ろうとする。
モーセの杖が鮮巳の顔を殴りつけた。
あんなに抜けなかった足が抜け、殴りつけられた鮮巳の身体が地面を転がっていく。悲鳴すら上げられず、一瞬止まった息を戻そうと全身が震え、鮮巳は唐突に自分に襲い掛かった激痛にうめき声を漏らすことしかできなかった。
「……あぐ……うぅ……」
身体を起こさねばと力を込めようとする。モーセはもう鮮巳の目の前まで迫っているはずだ。
鮮巳はようやく気が付いた。自分の視界を支配している暗闇に。
「……?」
目を開こうにも開かない。光すら感じない。モーセの杖で打たれた鮮巳の両目は潰れ、とめどなく溢れる赤い血が流れ落ちていた。
「……マリス……」
なにも見えない暗闇の中、地面に這いつくばった鮮巳が手探りで倒れているはずのマリスを探す。マリスは身体からとめどない血を流しながら、鮮巳の元へと這って行こうとしていた。赤い大蛇は身体を引きずり、主を守ろうと声を上げようとして、その口から飛び出すのは赤い鮮血だけだった。
鮮巳の真後ろで、モーセは杖を振り上げ、鮮巳の身体を貫こうとしていた。
「……いや……」
鮮巳は理解していた。自身がいまここで殺されることを。それが抗いようのない運命であることを。
「……いやだ……いや……死にたくない……助けて……」
悪魔が自分を殺すことを。
「首よ……‼ お助けください……‼」
それは懇願。だが、鮮巳はすぐに気が付く。その願いが聞き届けられたことなどないことを。
「……なぜ……?」
暗闇の中、差し伸べられる手などない。神に嫌われた天使サマエルに、あまりにも似つかわしい死に様が、すぐそこまで迫っている。
神は鮮巳を助けない。どれほど祈り、願ったとしても。
「天使になりたくてなったんじゃない」
それは、明確な憎しみだった。自分を作りたもうた神に対する、明確な殺意と絶望。なぜ、いままでそれが沸き上がらなかったのかわからないほど、簡単な答え。
鮮巳の翼が黒く染まっていく。潰された両目からとめどない血と涙を流しながら、振り下ろされる杖を背後に感じ、鮮巳は叫んだ。
「神なんてクソくらえぇっ‼」
杖が振り下ろされる。鮮巳を助けようと這っていたマリスが動きを止め、悲しそうに笑ったが、鮮巳にはそれが見えなかった。
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