第25話 神の悪意

 生徒会室から出た羽衣は、綺心たちと別れ、自分の教室に戻ろうとしていた。そろそろ午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ろうとしている。


「次の授業なんだったかなぁ……」


 独り言を呟きながら羽衣が教室の扉を開けると、教室の中は授業前にも関わらず、静まり返っていた。


「どうしたの?」


 羽衣が近くにいるクラスメイトの女子に声をかける。生徒たちは全員、一人の生徒に注目しているようだった。


「あ、羽衣ちゃん……えっと……鮮巳(あざみ)ちゃんが……」


「鮮巳ちゃん?」


 羽衣が生徒の視線の先を見る。そこには、クラス中から注目されながら窓際の席に座って窓の外を見ている女子生徒がいた。赤い髪を高い位置で二つにくくったその生徒の目は赤く、つり目で気が強そうな顔立ちをしている。クラスからの視線を気にもせず、その生徒は窓の外をじっと眺めている。


にしき鮮巳あざみちゃん……ほら、不登校で全然学校に来ない……」


「不良だって噂されてる子だよ……お昼からだけど、学校に来るなんて珍しい……」


「へぇ……」


 羽衣はじっと鮮巳の顔を見つめる。その顔は、どこか見覚えがある気がした。


「……! 羽衣! あの女子———」


「あ‼」


 レオが何かに気が付いたのと同時に、羽衣も何かを思い出し声を上げた。そして、駆け足で鮮巳の席に向かい、鮮巳の目の前にたどり着く。鮮巳が窓の外から目を離し、自分の元にやって来た羽衣を見た。


「羽衣、あなたのこと知ってる‼」


 クラスメイトが騒めく。鮮巳は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、羽衣の顔を見てすぐにハッと気が付いた様子だった。


「あの時は助けてくれてありがとう!」


 羽衣が鮮巳の手を取り、嬉しそうに笑う。鮮巳は羽衣の勢いに圧倒されたのか、ポカンとしていた。羽衣は鮮巳の顔を見て、上級悪魔と遭遇し、死にかけた時に助けてくれた赤髪の天使が鮮巳であることを思い出したのだった。


「あのね! 今度会ったらちゃんとお礼を言おうと思ってたの! 同じクラスだったなんて! 嬉しいなぁ!」


 羽衣は弾けんばかりの笑顔を浮かべているが、その横でレオはどうしたらいいかわからずオロオロしている。クラスメイトたちも二人の様子に困惑しているようだ。


 しばらく羽衣に圧倒され、呆然としていた鮮巳はハッと我に返り、慌てて羽衣の手を振り払った。そしてクラスメイト達が自分と羽衣を見てヒソヒソと話し始めたことに気が付き、羽衣を押しのけると、なにも言わずに教室から出て行こうとする。


「あ! ちょっと待って!」


 羽衣の制止も聞かず、鮮巳は扉を開けて教室から出て行ってしまった。授業の開始を告げるチャイムが鳴り、教室から出て行く鮮巳とすれ違った先生が「お? おい! 錦!」と鮮巳を呼び戻そうとしたが、鮮巳がその後、教室に戻って来ることはなかった。


    ◇


 放課後、羽衣は綺心に一言断りを入れて、人が少なくなった校内を鮮巳を探して歩いていた。


「態度悪い奴だったなぁ。羽衣~。あんな奴探すのやめて、帰ろうぜ~」


 道行く先生や生徒に鮮巳の居場所を問いかける羽衣の隣で、レオがブーブー文句を言っている。


「帰りたいなら帰ってもいいよ? レオだけで」


「酷いこと言うなよ!」


「私は鮮巳ちゃんにちゃんとお礼が言いたいの! あ! 恵慈ちゃん!」


「ひゃい⁈」


 羽衣が保健室から出て来た恵慈を見つけ声をかけた。恵慈は一瞬身体を強張らせたが、すぐ羽衣に気が付き「あ……羽衣さん……」と表情を和らげる。


「保健委員の仕事?」


「え、ええ……午後からお腹が痛くなって入り浸っていただけなのですけど……他の方が来てしまったので気まずくて……」


「え? 大丈夫⁈」


「せ、精神性の胃痛なのでお気になさらず……あ、う、羽衣さん! お願いがあります……!」


「なに?」


「こ、この後輝星さんと一緒に帰る予定なのですが……こ、怖いので一緒に帰っていただけませんか……?」


「輝星ちゃんと?」


「ふ、二人きりなんて無理です……‼ 殺されてしまいます……‼」


「大丈夫だよ~。輝星ちゃんそんな子じゃないよ。あ、そうだ恵慈ちゃん。赤い髪のツインテールの子見なかった?」


「え? ひ、人探しですか? そういう方なら保健室にいらっしゃいますよ……?」


「本当⁈ ありがとう!」


 恵慈に礼を言い、羽衣は颯爽と保健室に入っていく。恵慈が「あ、ちょっと待って———」と言いかけていたが羽衣は気が付かず、保健室に入っていった。


 保健室の中に先生はいなかった。代わりに、窓際のベッドの上に腰掛け、窓の外の夕日を眺めている鮮巳がいた。


「……⁈」


 鮮巳が羽衣に気が付いて目を見張る。羽衣は「見つけた!」と目を輝かせ、鮮巳に駆け寄っていった。


「探したんだよ! ずっとここにいたの? あ! もしかして体調悪い……?」


「おい、羽衣……」


 その時だった。羽衣の目の前に、黒いローブを目深に被ったエンジェリックが現れた。羽衣が驚いて「わあ!」と声を上げる。


「さ、さま、サマエルに、ち、ちか、ちかよる、な……‼」


 途切れ途切れのつたない言葉でそう言ったエンジェリックは、羽衣の前に立ちふさがり、警戒を露にしていた。


「あ、えっと、違うの……羽衣はただ……」


「ちか、よる、な、な!」


 噛みついてきそうなエンジェリックを前に、レオが羽衣の前に出てエンジェリックに威嚇した。エンジェリックはビクリと身体を震わせるが、頑なに羽衣の前からどこうとしない。


「いいよ、マリス。大丈夫」


 鮮巳が優しく声をかけ、マリスと呼ばれたエンジェリックが慌てた様子で鮮巳の後ろに隠れる。


「で? 私になんのよう?」


 鮮巳は怪訝そうに羽衣を見ていた。


「お礼が言いたいの!」


「……それだけのために私を探したの?」


「うん! だって、命の恩人だもん!」


「決闘で私を殺しに来たんじゃなくて?」


「そんなことしないよ! あ、自己紹介してなかった! 羽衣は獅子野羽衣! それで、こっちがレオ!」


「……羽衣は大天使アリエルの生まれ変わりだぞ……」


 レオは半ば呆れている様子だった。鮮巳も「そ、そう……」と若干困惑している様子だ。そして、鮮巳はしばらく考えるように黙り込み、口を開いた。


「私は錦鮮巳。大天使サマエルの生まれ変わり。この子はマリス。私のエンジェリック」


「サマエル……?」


 なにか思い当たる節があるのか、レオが呟く。鮮巳が怪訝そうな表情を浮かべ、羽衣が「レオ?」とレオの顔を覗き込んだ。


「サマエル……サマエル……あ! 神の悪意……」


「ちがう‼」


 鮮巳の後ろに隠れていたマリスが声を荒げてレオの前に飛び出した。目深に被っていたローブが脱げ、マリスの顔が見える。赤い鱗を持つ身体に、蛇を思わせる鋭い赤色の瞳。額にはレオと同じように石が埋め込まれ、小さめの鋭い牙が口の両端から飛び出している。その姿は他のエンジェリックと比べて少し異質だった。


「そ、そん、そんな、な、まえじゃ、な、ない‼」


「え、ええ……? ご、ごめん……」


「あ、あく、い、な、なんか、じゃ、ない‼」


「いいよ、マリス。落ち着いて」


 鮮巳がマリスをなだめ、マリスが鮮巳に飛びつく。レオはなんだかばつが悪そうな顔をして「ごめん……」と謝った。


「……べつに。事実だし。大天使サマエルは神の毒、神の悪意。そんな名前を持つ天使」


 そう言うと、鮮巳はレオと羽衣を睨みつけ、突き放すように言った。


「私に関わらないで」


「羽衣は鮮巳ちゃんと仲良くなりたいよ!」


 羽衣の一言に、鮮巳は状況が呑み込めなかったのか、ポカンとした表情を浮かべたまま固まってしまった。


「う、ううう、羽衣⁈ いまそういうこと言ってないと思うぞ⁈」


「え? なんで? 羽衣は鮮巳ちゃんと仲良くなりたいよ?」


「お、おまえ……‼ そういうとこ……‼」


「だって、鮮巳ちゃんは羽衣たちのこと助けてくれたよ。とっても優しいよ!」


「……あ、あれは……横取りしただけで……」


「それでも、羽衣たちの恩人だよ!」


 羽衣の笑顔に鮮巳は困惑しきっていた。


「羽衣ね、天使の頃の記憶ないから、サマエルがどんな天使かはわからない。でも、鮮巳ちゃんはすっごく優しい子だって思うから!」


 鮮巳が呆然と「わ、わけがわからない……」と呟いた。マリスもキョトンとしている。


「天使同士が仲良くなりたいとか……私たちは殺し合わなきゃいけないのに……」


「羽衣、べつに七大天使にならなくていいもん」


「羽衣⁈」


「みんなと仲良くなれたらそれでいいの」


「わー‼ おまえちょっと黙ってろー‼」


「わああ⁈」


 レオが慌てて羽衣の口を塞ぐ。ポカンとしていた鮮巳はもう一度「ありえない……」と呟き、バタバタしているレオと羽衣を見ると、マリスを抱いて保健室から出て行こうとした。


「あ! 鮮巳ちゃん、待って!」


「待て‼ 羽衣‼ いったん俺と話し合え‼」


「え~⁈ ちょっと待ってよ‼」


 レオと羽衣がバタバタしている間に鮮巳は足早に保健室から出て行く。自分を引き留めようとするレオを抑えながら、羽衣は出て行く鮮巳の背中に声をかけた。


「鮮巳ちゃん‼ また明日‼」


 羽衣の声に鮮巳は一瞬だけ振り返ったが、すぐに目を離し、去って行ってしまった。

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